
"現状維持”と”足るを知る”はちがう?自分の根はきっと、ニヒリズム。
JoEです。
このnoteは、一大学生が日々の自分の頭を片付けること・何を考えて生きている人間なのかを伝えることの訓練として、ミライにかけて少しずつ綴り重ねていく、稚拙な日記です。
実は本を選ぶとき、もちろん、あらかじめ決めていた本を本屋に行ってただ買うということもあるのだが、本屋に行ってビビッと直感に触れるものがあったら軽く手にとってみることもあるし、ネットや動画サイトでパーッと見ていたら気になる思想の本に出会って実際に買ってみるということもある。
ハマトンの『知的生活』を読み進めていることは前回の記事でも紹介させてもらったが、それに加えて最近は、老子とニーチェの思想にも興味を持ち始めている。
はっきり言って(かじった程度のレベルで話すことではないと自覚はあるが)、自分にはニーチェ思想のほうがしっくりくることは、現段階としては間違いない。
彼の、ニヒリズム観(人生は無意味であるという考え)にまみれ苦しみながらもそれに克っていく人生に生きる喜びを見出す姿勢は、誰にだって勇気をあたえる力があるとおもう。
しかし、かといって老子の”無為自然”思想(ものごとを作為的に動かそうとせずありのままの状態として受け止めること)も悔しむくらいに尊い。
彼は、「水」を、誰よりもへりくだって下へ下へと流れていき、とてもか弱い存在でもありながら、時には大海になってあらわれたり、岩や大地をも押し流す圧倒的な破壊力を見せつける存在でもあるとし、これが人間が目指すべき理想郷なのでないかと投げかける。
上善水の如し。柔よく剛を制す。
また、”足るを知る者は富む”ということばは、本当に的を得た言葉でありつつ、本当に実践が難しい真理でもあるとおもう。
うむ、確かに周りをみると自分の際限なき欲望を抑えるどころか、自覚すらできていない人がいくらいるだろうか?
まあ、かくいう私も、それとたたかう一人なのではあるが。
都会にいることだけでもさることながら、いま生きている時代はほんとうに情報が多すぎるのは事実なのだから、人々の欲望が満たされることなんて今後しばらくないのだとおもう。
ほんとうに疲れる日々であり、時代である。

トマトってすごいよね。
昨日夕方頃に、幼馴染から電話がかかってきた。
ゆっくり話せたらとのことだったので、家に帰ってから、諸々の悩みを聞かせてもらった。
自分が受け止めるだけで果たして何の力になれるか到底わからなかったが、自分を頼ってくれたことはたしかだったし、素直にとても感謝した。
なんなら、こちら側の悩みも聞いてもらってたしね。笑
おたがい、アアそーだよねえ、エー本当にそうかなあとか、軽くぶつかりあいながら励ましあって、共感しあった。
「俺らってわがままなんだよね、きっと。」
そう、人間はみんなわがままなんだと思う。
どこまで煎じ詰めても、みんなちがうひとりひとりの人間だし、それぞれにもっている欲望が必ずあるし、嫌でも他者とのかかわりの中で生きていかなければならない、なんとも孤独で傲慢でむなしい存在。
でも、だからこそ自分の生きる軸は何かしら持っててもイイと思うし、ぶつかりあうことが避けられないんだったらその中で強調しあう術を見出していくべきであり、そんなことの中に生きる喜びとかやりがいとかなんやらが生きているのかな、とわたしはおもう。
こんな終わりなき欲望に、”足るを知る”こと。そりゃ、むずかしいよね。
実はたいせつなのは、「謙虚であること」なのだと思う。
結局、今日言いたかったことはこれだ。
自分の今立たせてもらっている環境に満足して、誰一人に対してもかまわず、感謝を向ける。
あなただけで、わたしだけで、今のあなたがあるのではない、今のわたしがいるのではない。それは、はなはだしい勘違いだ。
そのうえで、謙虚と感謝の姿勢がありつづければこそ、その山の上を登り続けてもよいと思うのだ。
よく、(感謝もせずに)現状に満足できないとか、口先だけで自分は謙虚だとかいとも簡単にいう人もいるけれど、そんなの今のあなたの実際の行動・・環境・人間関係・話し方を見れば、正しいか正しくないかは全部マルハダカだよねとつくづく思う。
こーゆーこと考える自分が、いちばん謙虚ではないんだけどね。
まずは、誰に対してもありがとうと感謝の意を向けれる人間になりたい。
そして謙虚に、謙虚に、さらに謙虚に。
いったん現状に満足できること。
きれいごとでもあり、きれいごとでもない。
どんな状況であれこんなことが自然とつづけれる人が、きっと真に”富む”。
ご一読いただき、感謝致します。