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みんな違う色眼鏡


昨日、祖母の1周忌法要が無事終わった。気まずいと思っていた叔母との再会も和やかに終わり、ほっとした。
※その理由はこちら↓

従姉妹たちや、その子どもたちもいて、幼き子どもたちがとても楽しそうに過ごしているのを見ると自然に笑顔が溢れるものだ。母も心の内は別として、ちゃんと出迎えて対応していた。
亡き祖母も一安心かな。

子どもたちの純粋無垢な心と素直な表情は、大人の泥ついた心を癒してくれる。やっぱり人の対人関係は鏡で出来ているのかも知れない。

と、そこでお寺さんからのお説教がとても良かったので、ぜひ忘れないうちにノートに残しておきたい。
言葉は凶器だと思っていたけど、素敵なギフトにもなるもんだ!!

お説教とは、おつとめの後にお寺さんが物事の道理や宗教の教えを教えてくれるもの。
今回のお説教では、色眼鏡の話をしてくれた。

「仏」という文字はブッダという言葉に由来するが、ブッダは覚醒者である。一方、悟りを開いていない私たちは半眠りの状態で人生を彷徨っているのである。
そして、人はそれぞれ自分のフィルターを通して外の世界を見ており、それを色眼鏡という。
そして、その色眼鏡は実はその人の「都合」であり、みんな自分の都合に合う(自分を受け入れてくれる)人とは仲良くするが、逆に都合が合わない(異論を唱える)人を嫌うというのが、人間の心理というものだ。
だけど、自分は苦手だけれど、他のみんなには好かれている人はいないだろうか?
それは、他の人の色眼鏡からは良く思われていると言うことだ。
つまり、自分の嫌いな人=悪い人というわけではなく、もしかしたらとても良い人なのかも知れないということ。
そういう事を理解して、自分の色眼鏡を磨きましょう。そうすれば、少し覚醒する力となり、広い視野で物事が見れるようになるのではないでしょうか?


というお話だった。 

グサッ!!!😑

正直、苦手な人からの意見はあまり聞きたくないというのが本音であるが、そーいう人の意見も受け入れて物事を捉えていくという視点は大切だ。叔母だっていい人だ。母の苦労が自分の色眼鏡では十分に見えなかっただけである。そしてうちの(モラ)旦那さんだっていい人だ。とても強い色眼鏡をかけているだけなのである。
私だってそうだ。もしかしたらピントがズレた色眼鏡なのかも知れない。

さぁ、精進しよう、そうしよう↗


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