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終わりを思い描くことから始める。
もうすぐで2024年の終わりを迎える。
ということで、来年の抱負、いや、今後の人生のミッション・決意をここに示そうと思う。
今年の数ある自分が思う功績の1つに、「7つの習慣」という本に出会えたことがある。
何かに悩んだとき、課題を解決してくれる本を探すことで、人生がまた一歩前に進み、幸福感がまし、未来がより明るくなったりする。
中でも今年は11月(結構直近)に出会った「7つの習慣」を読んだ時、衝撃が走ったことをよく覚えている。
この本に書いてある重要な習慣の一つに「終わりを思い描くことから始める」という言葉がある。
人生は家を建てるのと同じ。
どんな家を建てたいか、それをまずデザインしなければ、どんな材料を買って、どんなスパンで、どんな作業を行なっていくかは決まらない。
当たり前のことのように思えるが、ほとんどの人がこの状態に陥ってしまう。
自分は何者になりたいのか。
なにを成し遂げたいのか。
世の中にどんな価値を残したいのか。
これが明確に決まっていないまま、日々襲ってくる大事な選択を決断していく。
それはまるで建てたい家も決めずに、ただ闇雲に作業をする建設業者と同じだ。
そうならないためにも、まずは何事も「終わりを思い描くことから始める」という習慣が必要になるのである。
では、人生という大きなミッションで私はどんな終わりを描きたいのか。
自分が死んだとき、お葬式で棺桶に入っている自分を想像し、その時に集まってきた人たちはどんな人たちで、その人たちにどう思われてたいのか。
それを考えることに人生のミッションの答えがどうもあるらしい。
ということで、前置きは長くなったが、このブログを通して、自分の人生をデザインし、人生の終わりを思い描き、ここに人生のミッション(使命)を書き残しておきたいと思う。
デザインさえしてしまえば、あとは自分が納期通りに実行する力があるかどうかである。
それが予定通り行われたかは私が死んだ時、このブログを見つけた誰かが、答え合わせをしてくれると嬉しい。
それでは私の人生がより豊かになるために、終わりを思い描いていこうと思う。
ミッション・ステートメント
関わる全ての人々が何事にもとらわれず、自由に自分の方向を選べる世の中にする。
私の人生のミッション・ステートメントはこれに決まった。
ミッションステートメントとは、利益よりも大切にするべき重要な価値観であり、世の中に貢献する活動だと私は認識している。
簡単に言えば、大金持ちになろうと、飯も食えない貧乏な人生になろうと、ブレることなく守り抜ける信念のことだ。
この価値観を乱して目の前の短期的な利益に飛び付いてはならない。
何億積まれようと、どんな圧力をかけられようとブラしてはならない。
特に大人の忖度など、つまらないことで曲げてはならない。
それが、私の正義であり、これを守り抜くことが、私がこの世の中に残せる価値である。
では、このミッション設定するに至った敬意。そして、このミッションに込める意味。を説明していこうと思う。
関わる全ての人々が何事にもとらわれず、自由に人生の方向を選べるようにする。
このミッションは、私が最もこれまで感じてきた大人への憎しみと愛情の狭間にある重要な価値観である。
つまりこれが私の原動力で、情熱である。
こないだ読んだ本にこう言うことが書いていた。
「人生は有限であり、一度きり。
嫌いな人の雑音にかまっていたら、本当に大切なことをやる暇がなく一生が終わる。」
本当にその通りである。
人生は一度きり。自分の生きたいように生きないと一瞬で終わっちまう。
そんなこと分かってるって思うかもしれないけど、これ以上に大切な考え方はないって強く思う。
私は、高校生くらいの時まで、とにかく人の目を気にして生きてきた。
その当時は、そんな自分に満足もできてなくて、環境のせいとか、大人のせいにして生きてきた。
「なんでこの人たちは、結局自分の人生の責任をとってくれないのに、偉そうに価値観を押し付けてきたりするんだろう?」
「こんな大人いなくなればいいのに」
こんなことを日々思っていた。
私が常に正しいと思ってたし、「こんな世の中を変えたい、こんな大人を変えてやりたい。自分が環境を作れば絶対良くなる。」とすら思っていた。
だから当時の目標は、「いずれ自分の学校を作りたい。」とかそんなぼやーんとした大きなどちらかと言うと非現実的な目標ばかりであった。
しかし、大学の4年生の時ある人との出会いで、この考え方、人生の価値観が大きく変わることになった。
その人は、人材紹介会社の人で私の就活をサポートしてくれたのだが、初めてこの人に出会った時、
「あ、俺こういう大人になりたいんだ。」
って思った。
なんか当時の自分は、それが衝撃で、この人にどうにかしてついていきたい、あの人に好かれたい、その一心だった。
それもあって、就活を鬼のように無双すれば、この人に好んでもらえるかもしれないというたったそれだけの思いで就活を誰よりも突っ走った。
あの時、多分おれ以上に就活やり切ったやつ絶対いないって言えるくらいである。
そんなこんなで、たくさんの企業の試験を受け、たくさんの内定をもらった。
この時の自分は、まだ、自分はできるタイプ。って思ってた。
内定を無双し、どこの試験も落ちることなく迎えた、就活終盤、ついに、初めて企業から、内定をもらえなかった。
たった一つ。この一つだけ私は落とした。
その企業こそが、私の憧れる人がいた人材紹介会社だった。
ここに受かったら、絶対ここに行くと決めていた。
すごいショックだった。
でもいったん立ち止まって考えた時、私はその企業で働くのがゴールではないということに気がついた。
私は、あの人みたいに大人になりたくて、あの人のそばで働きたいって思っただけで、他の手段でもあの人みたいになることはできるって思った。
だから、なぜ私は最終面接で落ちたのか、社長のフィードバックを聞きたい、その人(私の憧れの人)が思う、落ちた理由も聞きたいと言ってアポをとった。
その時言われたことが、
「あなたには根性がある。だがしかし、あなたにはまだ他責の念がある。」
ということだった。
大人のせい。環境のせい。自分では変えられないものに僻んでいる人生だということが、たったの30分の面接で、言葉で、見極められたのだ。
でもこの言葉、これまで他の人にも言われたこともあったんだが、「うるせえ。この人への憎しみこそが原動力で、俺が世の中を変えてやる。黙ってろ。」くらいにしか思ってなかった。
ただ、その時は違った。
言われた相手が違った。
どうしてもなりたいって思った憧れの大人たちだったから。
私は、「その人のアドバイスを受けたら、その人に近づく。」という考えを大事にしてて、裏を返せば、なりたくない人のアドバイスに耳を傾けてたら、そんな大人と同じになってしまうということだ。
だから、今までは大人の言葉なんて「うるせえ」くらいにしか思っていなかったのだが、その時は、素直に受け止めようと思えた。
その言葉を受けて、自分を見つめ返し、面接を見つめ返すと、本当に自分が他人のせいばかりにして生きてきたということが分かるようになってきた。
部活の環境が楽しくないのは、監督のせい。先輩のせい。勉強がわからないのは先生のせい。そんなことばかり思っていた。
でも違った。監督が理想の監督ではないのは事実だとしても、野球を楽しむことはできるし、先生が教えるのが下手でも、自分で調べれば必ず答えには辿り着く。人のせいにしている限り、自分の成長はない。そう思えるようになった。
「変えられないかも知れないことに願いを寄せるんじゃなくて、100%変えられることにだけ人生を集中する」
これが自分をより輝かせ、他人にも影響を与えられるような人間になるいちばんの近道だと思うようになった。
つまり、何が言いたいのかって、自分の人生に納得がいかなかったのは、環境のせいではなくて、自分の考え方のせいだったのだ。ということにこの人との出会いで気づいたのだ。
だから、これまで思っていた、「私が環境や世の中を変える!」というのは、わたしがこれまで憎んでいた世の中や大人への不満を解決する方法ではないということに気がついた。
大事なのは、環境を用意することではなくて、自分の人生は、自分しか変えられないよ。ということを人に伝えることだし、自分も徹底して実践していくことだって思うようになった。
別に高校生の時思っていた、憎しみが消え去ったわけではないし、今も原動力や情熱は同じように持っている。
だから、この言葉をミッション・ステートメントとする。
「関わる全ての人々が何事にもとらわれず、自由に人生の方向を選べるようにする。」
これを成し遂げた時、わたしは悔いなく人生の終わりを迎えることができる。
だがこれは、決して、みんなが呑気に暮らせるように綺麗な世の中にする。とか、人生の邪魔する大人から子供を守るとかそんな優しい言葉ではない。
この世の全ての人が、「自分の人生は自分しか変えられない。」ということを自覚し、どんな環境でも自分の人生を幸せに生きる勇気を持つ人間になるべきだということだ。
わたし自身も、まだまだ完璧に実践しきれてない。
いつも人の目を気にしていると感じるたび、反省をする。
おそらく人生における永久の課題である。
結局人生なんて「幸せになるため」にあるだけだから。
わたしはわたしの人生しか責任を取れないし、あなたの人生はあなたしか責任は取れない。
あなたを守ってあげることもできない。
だから、自分の心に素直になって、自信を持って生きていこう。
自分を一番大切にしよう。
あなたもわたしも。
今日この瞬間から、あなたは幸せになることができる。
ただ、それができるかできないかはあなた次第でありわたし次第。
人生は自由だ。
人生100年だとしたらもうあと77年しかない。
とても短い。
だから、死ぬ時に、後悔のないよう、このミッションを叶えるために必要なことをわたしはやって生きていく。
手段に答えはない。
教育に携わるかもしれないし、会社を起こすかもしれないし、ブログを書き続けるかもしれない。
でもそんなことはどっちだっていい。
でも、
「人生は自由」
これだけは一人でも多くの人に伝えて死を迎えたい。
わたし、そしてあなたの人生が、今この瞬間から、何事にもとらわれず、自由に人生の方向を選べますように。