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私にも、ちゃんとある
抑えても堰き止めても溢れるほどの、枯れるどころかどんどん湧き出すほどの愛を、確かに私は持っている
動物が好き!
猫が好き!
犬が好き!
なんて言えるほどではなく、駆け寄って触る事もせず、毎日動物の動画を見て癒やされるとかもなく、距離を保った上で可愛いなとただ思う程度の私
幼稚園のウサギを触っては目がかゆくなり、預かったハムスターに噛まれて大怪我をしたり、どちらかというと動物は苦手だった
そんな私も実家にいた頃ネコと過ごした時間により“かけがえのないもの”とか“無償の愛”がどういうものか、少しだけ知る
何を突然と思うかしら
本日2月22日はにゃんこの日だから、いつも一緒にいたネコの事を書く
15歳の秋から、32歳の秋まで、実家にはネコがいた
真っ黒で、まるい顔にまるい瞳
艶が良く、まるまると太ったその姿は、お尻の大きなおナスかピーナッツのようなフォルムをしていた
家族から愛情をたっぷり注がれて育った、暴れん坊で甘えん坊のそれはそれは可愛い男の子
最初はあまり仲良しではなかったけれど、大学生になったあたりから30歳で実家を出るまで、私が家で過ごすときにはいつもそばにいた
もう書いた記事は無いけれど、以前もこの事を書き、書きながら涙し、読んでは涙していた
今も不思議なことに、もうこの時点で目から何かがこぼれ落ちる
15歳の秋の頃、屋上と屋根の狭間で赤ちゃんネコが三日三晩とギャン泣きしていた
『見に行ったらあかん、見たら飼いたいとか言い出すに決まってる』と私を制しておいて、こっそり見に行ってすっかり情が移り、強引に飼う事に決めた暴君(姉)により、ネコ中心の生活が始まる
アマガエルや金魚とは少し違う、生活を共にする生き物と暮らす生活
姉は最初こそ張り切って世話をし、躾をし、去勢手術の段取りをしたり、ご近所の“猫飼い家”で色々教えてもらったり熱心に“飼い主”をしていた
しかし、執拗に構い、無理矢理抱っこしたり、一緒の布団で寝ようと引っ張っりこんだり、離さないかと思うと、邪険にする
気分の差が激しいせいかネコのほうがあまり近付かなくなっていった
そのうち、気まぐれに、たまにしか触らない程度になり、気が付けばネコはいつも私のそばにいるようになった
平日、日中は母と過ごしているけれど、私が家にいるときはいつも一緒
食事の時にたまに美味しいものをもらえるので一瞬父にも近寄るけれど、そうでないときはそばにいた
家に帰ると玄関にいて、そこからはずっと一緒
ご飯を食べているときはすぐ横に座り、椅子で食べる時は背もたれと私の背中の間で寝ていた
本を読むときも膝の上か足にアゴを乗せて、お風呂に入っているときも扉の外で待ち、作品制作中も部屋の隅にいた
寝るときは毎日私のお布団の上にいて、寒い時期はお布団の中に潜り込んでくることもあった
コロコロ(ゴミを取る粘着シート)を大量に消費し、毎日掃除機をかけないと毛だらけになって辟易したけれど、だんだんそれも日常になっていた
30歳の秋、家を出ると決めて、半月ほどで準備をし、両親が不在の日に夜逃げのように引っ越しをした
その日、慌ただしく動き回る私をネコはじっと目で追っていた
玄関の戸が開け放されていると、いつもなら脱兎のごとく一晩くらいの家出をするのに、その日はじっと、ひとつところで引っ越しの様子を見つめていた
責められているような、そんな気がして真っ直ぐ見ることが出来ないほどに、こちらをじっと見つめていた
家を出るとき、ただただ、このネコと離れることだけが悲しく寂しく辛かった
いつもそばにいて、時にはそっと近付き膝に手をかけ控え目に乗り、落ち着く姿勢が決まったらゴロゴロと喉を鳴らし撫でて欲しい場所をアピールする
気が済むまで撫でてやると、そのまま眠ることもあれば膝から下りてそばで過ごす
その時間は幸せそのものだった
足下を見れば、ネコがいた
振り返れば、ネコがいた
わたしたちは本当に仲良く、うまくやっていたのに
32歳の秋のある日、ご飯を全く食べないし、水も少ししか飲まないし、部屋の隅でじっと動かない、と連絡があり仕事のあとに駆けつけた
目がうつろで毛並みがバサバサの、数日前見たときとは全然違う姿で部屋の隅のお座布団の上にうずくまるネコがいた
私を見ると、弱々しい足取りでのろのろと近付きいつものように膝に乗る
少し撫でてやるとまたお座布団にもどりうずくまる
動いたことに両親は驚いていたが、帰り際もふらふらと玄関に出て来てくれて、小さな声で“にゃあ”と鳴いた
それが、私の見た、在りし日の最後の姿となった
翌日、私が様子を見に行く前に、眠るように静かに息を引き取ったのだと連絡があった
私たちと過ごした17年間は彼にとって幸せだったのだろうか
言葉が通じるものなら確かめたいと思った事もあったけれど、今ではむしろ通じなくて良かったのだと思っている
たまたま産み捨てられた場所で生きていただけの事だ
でも、私にとってはその存在が大切で愛しくて恋しくてありがたくて、そばにいてくれるただその事が幸せだった
信頼とか信用とか、相手の本当の気持ちはどんなだろうと探ったり、見返りを求めたりなんてない
抑えてもこみ上げる・湧き上がる愛しさとか恋しさとか、そんな感情を、人間をはじめとする“生き物”に対して持ち合わせていないのではないかと思う事が、ある
そんな私だけれども、このネコとの時間を思うその時ばかりは確実にあるのだと実感する事が出来る
この優しくて切ない曲を聴くとき想うのは、一緒にいたネコのこと
おそらく恋愛の事を言っているのだけれども、ところどころに感じる愛の強さみたいなものから、何となく、想う
どれくらい感謝したって足りないから
あなたを全心で 見つめ返す
太陽の光を浴びて 輝く
夜空の月がそうしてるみたいに
雲の空 隠れるように彷徨う私に
光をぶつけてくれたね
ひとりきり 閉ざした心こじ開け
私のすべてを 受け止めてくれたんだ
誰かを頼る心
強く信じる心
きっと あなたに出逢ったから
素直に なれたんだ
愛を知って 輝き出すんだ 人もみんな
世界を照らしてく 夜空の月のように
こんなにも輝いているよ 見えるかな
逃げないで強くなってく
あなたに笑って欲しいから
こんなにね 見て 光るよ
不思議だね 笑顔の奥で泣いてた頃の
私にさよなら出来たんだ
ありがとうだから苦しい時には
私の光で守ってあげたい
誰かのためになりたい
誰かのために生きたい
きっと あなたに出逢ったから
生まれ変われたんだ
愛を知って 輝き出すんだ うれしいよ
不器用な私だって まだ小さい光だって
どうかずっと 見守っていてね いつまでも
無限に繰り返す 心に抱く想いよ
飛んでいけ ありがとう
どうしよう どうしたらいい? こんなにも
"誰かを愛せる"って 涙が溢れ出す
愛を知って 輝いてるよ 迷わないで
世界を照らしてく 夜空の月のように
こんなにも 輝いてるよ
ほら この大空で
見て 光るよ
前回同様、こうして思い出して書いているだけで驚くほどの愛と涙が溢れ出す
そんな、仲良しだったネコのことを、書いてみた