『好き』を語る愛とか熱量を感じるのがスキなんだ
書いて、読んで、そして聴いて、感じる
3月から書き始めたけれど、いちど全部やめてしまったりしたもので、やっと1ヶ月
一生懸命を超えたら何やら妙な気持ちにかき乱されてイヤになってしまって、全部消した
身勝手極まりないのだけれど、そうしてしまった
やっぱり読みたいなとアカウントを作った
会員でなくなると複数の読みたい記事にたどり着くのがとても大変だったから
アカウントを作成したらちょっと何か書きたくなった
そうやってまた開き直ってやり直して、もうなのか、まだなのか、やっとなのか1ヶ月
自分の好きなものや、好きなこと
コーヒーが好き
ビールが好き
お散歩が好き
お料理が好き
音楽が好き
本を読むのが好き
映画を観るのが好き
ラーテルが好き
どれもこれも詳しくなくて、人に語れるほどのこだわりや特別な知識・見識があるわけではない
本当に誰の役にも立たない、多くの人にとってどうでも良いだろう事をよくもまあせっせと書いてるな、なんて思いながらついついページを開けては書く
そして開くと、読んじゃう
私には、自慢できる・これだけは負けないぞみたいな特技は無いし、仕事に打ち込んでいるわけでもない
ほとんどの時間をひとりで過ごす、裕福でもない、そう若くもない、何ていうことのない人間のありふれた日々の中のひとりごと
誰にも話さなければ、なかったことになるような、そんな事を拙い文章ながら、なるべく素直な気持ちをのせていく
バカバカしいような、そんな誰かの思いや日常が誰かのところに届いて『バカな人もいるもんだな』ってちょっと笑ってもらえたら良いのにな
そんな感じでnoteを書いている
そして、ページを開けると飛び込んで来る沢山の誰かの『好き』が綴られた愛情や熱量に触れる事が出来る
今現在の事”旬”のものでも、何年も前に書かれたものでも、書いた人の思いや経験の詰まったものでも、良いことばかりではなくても、その書き手の心動く瞬間や溢れ出る愛しい気持ちに触れたような感覚が好き
その誰かの『好き』に、知識見識はなく、書いてあることがサッパリ理解できなくても、関心を持たなかった事─何ならあまり自分の好きではない事について書かれていても─でもその愛情や熱量、万人受けする情報であってもそうでなくても、その人なりの独自の偏りのある解釈でも、そこに心が動けば、もう『スキ』なのだ
無理な共感も、前向きな感想も、学びも、感動が無くても全然構わない
こういうのが好きなんや〜、そんなの好きな人いるんや〜
その熱や愛を感じる
それだけで、多分、良い
『嫌い』や『苦手』について書かれているとき、自分に余裕がない時や心に隙間がある場合必要以上に闇を抱えることになるので、あんまり心を寄せすぎないように客観的に、注意深く読む
でも、思わずそんな部分にも心を寄せたくなる時だってあるし、わかりたい気持ちで溢れるときだってある
そんなふうにしてnoteを読み、そして私も書く
顔の見えない相手に向けて自分の気持ちや思い、行った場所、見たもの、食べたもの、思い出したことを毎日書くようになるなんて考えたこともなかった
そんな私が、顔を見て言葉を交わして話をしている時でも感じ得なかった『自分の思いが届いている』『言葉が通じている』気がしてならない感覚を抱くことがある
一方的に思っているだけだとしても、そういう風に思える場所や時間を持てている、と思えることが私にとってはとても大事
心の闇や膿を放り出すだけではなく、愛や好きを込めて心を解放できたことで得られた場所だ
どうしようもない眠れぬ夜に、ぼんやり携帯を触ってしまってうっかり『ヘルプが利用可能』を目にした事が一度や二度ではない、そんな私にとっては大事な場所
ここだけが頼りだと寄りかかったり、何か求めているものが必ず手に入るなんて思ってない
自分も『好き』や、その『愛』とか『熱』を外に出して初めて、ずっと探していた探し物は見つかるような気がする、そんな感覚
もちろん、ただただ楽しいものや面白い事を見つける場所でもある
周りの人にも、noteをやっている事はひとりしか話してないし、その話をした同僚は食事の時に携帯を取り出しご飯の写真を撮る私の姿に驚いていた
祇園祭やお神輿、お出かけの様子、などは実況さながらに写真を送る事もあれのでそちらは通常運転らしい
振り返りというほどのことでもないけれど、なんだかんだで1ヶ月続いたんだなという、今の気持ちなんかを書いてみる