見出し画像

事業に失敗、自殺(大げさですね)まで考えた私

20歳台から40歳台までいろいろな仕事をしてきた、その場その場を生きてきた感じ。
楽しかった仕事や辛い仕事、なんとなく働いてきた。

母親は64歳の若さでなくなった。
父親は母の死後、後妻業のババーにつけ込まれ、結果、騙された。

後妻業でも良い、親父の老後の面倒を見てくれればと無理やり納得していた私。
結局ボケ始めたら捨てられたバカ親父。

いろんな資格を取得できた私→器用貧乏

私がいろいろな職業を経験したことで良かったのは、その時時の必要な資格を取ったこと。
器用貧乏となり、それが仇となった。

不動産関連の仕事を始めた私に近づいてきた男、言葉巧みな口車に乗って、結果、やはり騙された。

金額としては2千数百万。
プラス信用情報はブラック、サラ金にも手を出した始末。

生活費も家に入れられず「女がいるんじゃない?」と妻に疑われた。

もうお終いかと自殺(少し大げさ)まで考えていた時期もあった。

そんな折、夜のカーラジオから歌が流れてきた。
♫♫ ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ ♫♫
後で調べたら 沢田亜矢子 gift
夜の車の中、多分1時間ぐらい泣いた。

久しぶりに聞いたら、やっぱ泣けた。
♫♫ ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ ♫♫

前置きはここまで

ボケ始めた親父と詐欺師と介護との接点はどこか

私が不動産事業に手を出したの48歳の頃(厄年ではない)
親父がボケ始めたのもこの頃。
詐欺師が本性を表したのもこの頃。

50歳のとき(2000年)介護保険がスタート。
後妻業から放り出された親父を引き取り、同居が始まる。
これと同時に介護事業を立ち上げた。

介護事業に手を出した動機は、親父がボケてヘルパーさんを利用しようと考えたから。
介護事業を初めて半年ほど、詐欺師との関係を清算、借金だけが残った。

詐欺師を恨んでいるかって?
もちろん恨んでいるが、ただ1点感謝している点もある。
それは、

介護事業に手を出すきっかけを作ってくれたこと

それ以外は、この投稿を書いている間も血圧が上がってくるのが分かる。

さて、介護保険スタートで個人や大手企業が参入した介護事業、当初はどの介護事業所でもイケイケドンドン、順調な伸びを示していた。
しかし、介護報酬の締め付けが始まり売上は少しづつ低下。

低下してきた売上は訪問介護が主要因。
これはいかんと「通所介護」を立ち上げる。

こんな感じで、立ち上げ→売上増→売上低下→他事業立ち上げ のイタチごっこの24年間です。

会社を挙げての副業

「立ち上げ→売上増→売上低下」をまた繰り返すのか不安があるが、別事業として「健康サロン からだ調律館 ほっこり養生」を立ち上げ業績回復を図っている。

個人的にも、社長でありながら市民税非課税世帯になっている状態を打破しようと、個人でも副業の勉強をしている最中の、現在の私。


よろしければサポートお願いします!古希過ぎライターのネタ作りの励みになりますの。記事を気に入る→サポートする→さらに記事を書く→他の人が喜ぶ。皆さんの笑顔を想像し、さらに投稿します。\\\\٩( 'ω' )و ////