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鳳虹庵日記 30

2012年01月26日

都の西北・・・

AAA(トリプルA)からキングギドラを連想し、キトラに意識が向かいました。
奈良のキトラ古墳のキトラの由来はいくつかありますが、
亀虎(キトラ)で
亀=玄武:北と
虎=白虎:西の壁画・・・・
というのがあるようです。。。
実際は、わからないようですが・・・

そして、戸隠=十隠=斗隠
の繋がりから、
斗の字は、十字の左上に二点があること、
十字は、東西と南北のラインがクロスしているなら、
その二点は、西北を指していること。

そして、今日あるサイトでこの図を見て、

都の西北


(「クレアなひととき」より引用)

Aが、十字の西北に位置していると見ました。


さて、西北で思い出すのは、
「都の西北、早稲田の隣・・・」
バカボンのパパの母校バカ田(馬鹿田)大学の校歌です。

今、思うと、この馬鹿田の文字は、すごい意味を持っています。
馬:水神の乗り物で、龍の変異体です。
鹿:火を意味し、鍛治や鉄との関わりがあります。
田:米や八芒星を構成し、太陽も意味します。光に通じます。


では、実際、都の西北に何があるかというと・・・
都といえば、やはり京の都です。
その御所の西北の方向、地図上に目を 落とすと、
丹後があります。
まず、一番に思い浮かぶのが元伊勢です。

そして、久美浜町や網野町といった町があります。
ここには、伊勢外宮の祭神、豊受大神である天女伝説があります。
浦島太郎伝説もあります。
京丹後七姫巡りなんてのもありますね。

僕の町にも関係の深い彦坐王の子で四道将軍の一人丹波道主王の剣、国見剣を祀る神谷神社があります。
丹波道主王の娘、日葉酢媛命は、垂仁天皇の后として、倭姫命やヤマトタケルの父景行天皇、
また、石上神宮に剣千振を贈った五十瓊敷入彦命等を生んでいます。
倭と深い関わりがあることがわかります。
久美浜は、以前は、熊野郡と呼ばれていたようで、それも気になります。
他に、地図を見ると、
網野町木津、久美浜町湊宮、久美浜町鹿野、久美浜町葛野、
甲山、女布権現山・・・等が目につきます。

もう少し、西に目を向けると城崎があります。
鬼伝説がある大江山が近くにあることを思うと、
城崎は、鬼崎かもしれませんね。
城崎は、竹野町があります。
温泉の山手には、大師山があり、そのすぐ南西には来日岳があります。
来日岳の標高は、567(ミロク)mです。
今や、その頂上には、電波塔が立ち並んでいるそうですが、
それほど電波上重要な場所は、やはり古代も重要な地であったと思われます。
城崎町桃島や、鋳物師戻峠なんでのも気になりますね。


ざっとしか調べられていませんが
都の西北には、何か重要なものが隠されているようです。
温泉もあるし、雪の心配がなくなったら行ってみたいな!

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