巡禮セレクション 25
2013年12月16日(月)
高皇産霊神
日本書紀、神代の下はとりわけ日本国にとって大事な記述のように感じます。
同じ神代でも、上と下では、同じ神様が出てきても同じレベルで読解できないと思います。
それは、次元が違う話のように思います。
国譲りあたりからが、人の歴史になり、神も人としての行動であったと考えられそうです。
その下から天津神の総司令官というか、首相というか宰相というか、とにかく全てを仕切っているかのような神が活躍します。
その名は、高皇産霊神またの名を高木神。
書記では、皇祖とまで冠しています。
これは、天皇家の祖という意味だとすると天照大御神ではなく、高皇産霊神が元祖となりうります。
天照大御神の長男、天忍穂耳尊の娘を嫁がせたのだから、皇祖というのもアリかもしれません。
おそらく、最大権力者は王ではなく、妃の父が義父として王を操るのが常套手段だったので、高皇産霊神が最大権力者だったのでしょう。
高皇産霊神は、中つ国征服のために、まずは天照大見神の次男坊を派遣します。
おそらく武力行使ではないと思います。
友好的な派遣であり、それゆえ天照大御神の次男という血筋を持った息子が派遣されました。
もしかすると、人質的な意味合いがあったのかもしれません。
次男天穂日命は、出雲で根付き、そこの領主となったのだと思います。
しかし、その地が中つ国の中心出雲であったかは、疑問です。
天穂日命の子孫は、近江日野へ移住しています。
また、その北、近江東部では、天穂日命の後に派遣された天稚彦を祀る神社が固まっています。
天稚彦は、高天原一族からすると裏切り者になります。
大己貴命の娘、下照姫を妻にもらい、これもどこかの大事な地域の領主になったことと思えます。
記録では、直ぐに殺されてしまい、その活躍は記録されていません。
そんな天稚彦を信仰する民がいて、大己貴命という王の娘を妻に迎えているのだから、それなりの人物だと思います。
天稚彦も天穂日命同様、友好の証として派遣されたのだと思います。
すなわち、当時は高天原一族よりも中つ国のほうが巨大だったということです。
それゆえ、中つ国というセンターの名がついており、高天原一族は端の国に住んでいたのだと思います。
天稚彦を祀る天稚彦神社や天明神社のある滋賀県犬上郡豊郷町には、天稚彦と仲の良かったアジスキタカヒコネを祀る阿自岐神社 (アジキ)があります。
滋賀県神社庁の検索でヒットするアジスキを祀る神社は、ここだけです。
三津村(滋賀県彦根市三津町)の勝鳥神社の祭神も天稚彦命です。勝鳥神社の由緒書きには「美濃の国での戦いで亡くなられた天稚彦命のなきがらを下照姫命の兄が三津にほおむり勝鳥石をたてたと語り伝えられている。」だそうです。
また「天稚彦神社の氏子は鶏卵鶏肉を食べてはいけないとあるそうだ。」と神奈備さんのHPには書かれています。
天稚彦の足跡が窺い知れそうです。
もしかすると、彦根の由来は、天津彦根でもなく活津彦根でもなく味鋤高彦根ではないか?と感じます。
天稚彦の葬式で、味鋤高彦根が殺した喪屋の遺体は、美濃国の藍見川の川上に至り、それが今の喪山になったと伝わります。
彦根から美濃国は、中仙道を通ると行けると思います。
藍見川とは、今の長良川ですから、中仙道から途中、長良川で遺体を舟にのせて喪山まで運んだのだと思います。
天稚彦の葬式は、近江東部で行われた可能性があると思います。
おそらく高天原族の国があったであろう九州までは、遠すぎると思います。
近江東部から湖岸沿いに北へ行くと、
高月町という町があります。
観音の町として有名です。
ここは、物部の地であり、中臣の地です。
少し北へ行くと伊香であり余呉です。
その高月の対岸に高島町という町があります。
ここは、継体天皇の生誕地であり三尾氏の地です。
僕は、高月と高島を時々、町名が混乱してしまいます。
高島町で有名なのは、サルタヒコの白髭神社です。
また水尾神社は、サルタヒコの天成神道が伝わっていたと伝わります。
以前、高島のある神社へ訪れた時、高麗神社という境内社が祀られていました。
祭神はわかりません。
なんとなく、サルタヒコか武内宿禰が思い浮かんだのですが、不明です。
この高麗は高句麗なのか高麗なのかも不明です。
もし、高句麗なら、高島や高月の高は、高句麗の意味があるのではないか・・・という気がします。
そして、そのトップが高皇産霊神ではないのか・・・と思いました。
まだ、確信はありません。
高木神とは、高句神ではないのか・・・
そして、句は狗と同じで犬と関わりがあるのではないか・・・と、天稚彦を祀る神社は、犬上郡にあります。
犬上郡の地名は、豪族犬上氏からきているそうですが、犬上は、犬神だと容易に想像できます。
ただ、高句麗のトーテムは鳥だそうです。
高句麗は鳥族だというサイトもあります。
天稚彦を偵察にやらした高皇産霊神は、雉の鳴女を使わせ、その雉を殺したことによって天稚彦は殺されました。
天稚彦神社の氏子は鶏卵鶏肉を食べてはいけないのも、鳥を殺すと不幸が訪れるからかもしれません。
また、高皇産霊神から天稚彦に手渡された弓矢は天羽々矢と天鹿児弓という名です。
羽は鳥、すなわち高句麗のトーテムであり、鹿は高句麗の元と伝説が伝えられる扶余族のトーテムです。
謎の神、高皇産霊神の姿がおぼろげながら見えてきたかもしれません。
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