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巡禮セレクション 7

美斗の麻具波比

2018年11月18日(日)

平田篤胤は『古史伝』で、「始めて男女の形の別り給へる意をもて、称奉れりと所思ゆ」として「と」を陰部の意味であるとする。
篤胤は、「と」は性交を意味する美斗の麻具波比の「と」と同じであると考えていた。(「古事記と植芝盛平」より)


「と」は戸のことですが、扉や門の意味として使います。
みとのまぐわいの美斗は、美称の美で斗を称えた表記になっています。
そして、この斗とは、女性器を表すことになります。

みとというと、水戸の字を思い浮かべます。
水戸は、ミトやミナトと読んだそうです。
ちなみに、水戸市の由来は、
「古代から海や川の水の出入口は「みと」または「みなと」と呼ばれていました。水戸の場合も、那珂川と千波湖との間に突き出した台地の先端が「みと」と呼ばれたのは、その地形上の特色に基づくものといえます。また「水戸」という地名になったのは、いつごろか明らかではありませんが、吉田薬王院文書(応永年間のものと推定、西暦1400年ごろ)に現れたのが早い例とされています。」とHPにあります。

僕が水戸と聞いて思い浮かべるのは、水戸神(みなとかみ)です。
速秋津比古神・速秋津比売神の対神です。
港の神様とされています。

しかし、本当は、美斗神なんじゃないでしょうか?
港は、川が海に注がれている地に多いと思います。
そしてその地形は、川が産道であり子宮を意味していたのだと思います。
速秋津比売神は、祓戸四神の一柱ですが、ここにも戸の文字が見えます。
そして、速秋津比売神は、瀬織津姫が川に流した穢れを河口で飲み込む役割です。
人体に例えるなら、血液が川で、体の老廃物を尿として体外に排出する器官になるのかもしれません。

古代の性神として幸神信仰があげられますが、祓戸の瀬織津姫が幸姫の変化形と考えるなら、速秋津比売神もそうなのかもしれません。


さて、竃神として祀られる奥津彦、奥津姫ですが、これも幸神信仰が源流になるのではないかと言及してきました。
僕は、この火の神と、水の神である秋津彦、秋津姫はよく混同してしまいます。

奥は、興と混同しやすいことは、以前書きました。
そして、奥津(おくつ)は興津(おきつ)であり、興玉神は、猿田彦である場合があり、奥津彦も幸神に関係があること、そして、もしかすると秋津(あきつ)と興津(おきつ)も関係があるのかもしれないと考えています。

秋津彦、秋津姫の孫に櫛八玉神という出雲の神がいます。
水戸市に流れる那珂川は、ナーガ川かもしれません。つまり竜蛇族の地かもしれません。
常陸国出雲大社は、
「大神のご分霊が鎮座されているこの福原は、島根県・出雲大社から、大国主大神の第2御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が鎮まる長野県諏訪大社を通り、日が生まれる国・常陸国へと直線上で結ばれているご神縁の地です 。」
とあるとおり、古代出雲族の地だったのかもしれません。

古代の幸神信仰は、あまりに巨大だったので、征服者はその神を抹殺することができず、いろいろと分解したり名を変えて祀るしかなかったのかもしれませんね。

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