巡禮セレクション 40
2014年05月18日(日)
続・華麗なる一族 セオの家系
伊勢外宮の渡会氏または、伊勢朝臣氏の祖先に天日別命がいます。
新撰姓氏録には、「左京 、神別、 天神、伊勢朝臣、天底立命孫天日別命之後也」
とあります。
天底立命の孫、天日別命とは、天日別と天日鷲が同神と考えられているためです。
天底立-天背男-天日鷲
これは前回見たとおりです。
他方、天日別命の祖父に天牟良雲命というのが記録されている資料があります。
天牟良雲命とは、玄松子さんのまとめを参考にしますと、
「別名、天村雲命(あまのむらくものみこと)
天二上命(あめのふたのぼりのみこと/あめのふたかみのみこと)
後小橋命(のちのおばしのみこと)
邇芸速日命の天降りに随伴した三十二人の防衛の一人。
度会神主等の祖。
『新撰姓氏録』には、天村雲命は明日名門命三世孫、額田部宿禰の祖とある。
天香語山命の御子とする伝承もある。」
とあります。
天村雲命と見て、おや?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
天村雲命とは、元伊勢籠神社の国宝海部氏の系図には、
彦火明-天香語山-天村雲と続きます。
火明とは、天照国照神です。
おそらく、天村雲命が邇芸速日命の天降りに随伴した神とされていることから、物部氏の作意が見られます。
ちなみに、天照国照神である天火明がニギハヤヒと同神だと考えられていますが、
この二柱は別神です。これも物部氏の作意だと考えられます。
なぜなら、天火明=ニギハヤヒを訴えているのは旧事紀(先代旧事本紀)だけです。
旧事紀とうのは、物部氏が自分達「物部偉い!」を訴えた書物ですので、自分達の祖先であるニギハヤヒを偉いさんに結びつけて書かれている可能性が大きいです。
実際、新撰姓氏録では、天火明とニギハヤヒは区別されて記録されています。
物部ファンには申し訳ないですが、僕はいくつかのケースで物部氏は他の系図を乗っ取っている可能性を感じます。
前回の瀬織津姫との対神もそうですが、ニギハヤヒについては随分ファンタジーが一人歩きしている感を感じてしまいます。
僕もほとんど妄想譚なので、それを非難する立場にありませんが、誰かが言い出したことを、そのまま信じ込んで吹聴する姿勢は、あまり感心しません。
脱線しました・・・
話は、伊勢と天背男の一族が関係していることを述べたかっただけです。
で、次に進めます。
高群逸枝著の「母系制の研究」には、
「天神本紀「天背男命、山背久我直等祖」とあり、左京天神に「宮部造、天壁立命子天背男之後也」とみえる。」
「神代本紀「天神立命、山城久我直等祖」とあるが、神立命は摂津雑姓に「葛城直、天神立命之後者、不見」とあり、
河内神別に「役直、高御魂命孫天神(○ 一作押)立命後也」とあって、葛城国造の系である。」
とあります。
天背男とは、山背(やましろ=京都)の久我直等祖とあります。
天背男が、星神、アマノカガセオ(天香香背男)と同神だと考えられるのは、
山背のクガ(久我氏)だということから、アマノ・クガセオ(天久我背男)と論じられることも要因です。
また、上記よりこの家系は、葛城の役氏から繋がっていることになります。
役氏は、役小角を輩出しておりますし、賀茂氏の流れにあります。
賀茂と葛城が天背男に繋がってきました。
アマノカガセオを服従させた倭文神を祀る倭文神社の本源が奈良葛城市にある葛木倭文座天羽雷命神社だというのも意味があると思います。
この倭文神社は二上山の麓に鎮座しており、二上山に祀られている神は大国魂神と豊布都魂神です。
山頂にフツヌシが祀られていること、それに麓の倭文神社の祭神は、天羽雷命であること。
天羽雷命とは、神名からだけですが、前回みた天津羽羽命や気吹戸雷神を連想させてくれます。
しかし、これはまだ追求できていません。
ただ、全て繋がっていると想像しているだけです。
さて、賀茂と繋がっている天背男ですが、
尾張総社、国府宮と呼ばれる尾張国大国霊神社の社家は天背男の子孫だと名乗っています。
こちらのブログには、
「『賀茂神官賀茂氏系図』に「中島連祖、鴨県主、鴨為弖、中島県主」とあった。
尾張国大国霊神社神職家の中島連は鴨神社家から派遣されたのだ。
中島県主とあるが、大国霊神社神の所在地それ自体が尾張国中島郡にあるから、地元の人なのではないか。」
と書かれています。
やはり天背男と賀茂は同族でした。
天背男命=賀茂建角身命
という命題から始まった追求ですが、可能性は高まりました。
高群逸枝著の『母系制の研究』(全集1)には以下の記述があるようです。
「つまり、出雲系であった葛城母族から天香香背男が出、天孫系に徹底抗戦するも破れ(しかし死なず)、
同じ出雲系であった母族の系をたどり山城愛宕に蟄居。後の山城国造の祖となる。
天香香背男が破れ、大和の支配下に置かれ、火明命系に祖変しながらも葛城の地に残った母族は「多祖」として出雲神系の命脈を保ち、
そこから葛城役氏・役小角が生まれてくることになる。あるいは小角の出現に朝廷は天津甕星の再来を見たかもしれない。
さらに、途中葛城から尾張の系が分派した様子を少し挟んでおいたが、この尾張の系の「葛城の母たち」の末に、
誰あろう日本第二の王となる源頼朝が生まれてくるのである。
頼朝の背後に小角を祖とする修験勢力の力が大きくあったことは想像に難くない。
はたして頼朝は「源氏の息子」だったのか。天津甕星・役小角を生んだ「葛城の母たちの息子」だったのか。
この葛城母族をたどる話は相当ディープな日本に食い込んで行くと、思うのです。」
様々な神々が繋がっていそうで、それでいてイメージは合いません。
これから少しづつ紡いでいく必要があります。
ただ、伊勢から尾張へのつながりは地形的にいっても理解できます。
尾張氏の祖も天火明命ですし、京都丹後元伊勢籠神社の海部氏も同じです。
そして、伊勢外宮の豊受大神はそこから伊勢へ勧請されました。
一本で繋がります。
ここに、葛城の出雲・鴨氏が繋がっているわけです。
二上山にフツヌシと共に大国魂神が祀られていること、この大国魂神とは、もし三輪山の大物主だとしたら、
その妻問ひをしたモモソヒメとの繋がりが感じられます。
「アスパラガス」のメッセージの意味がモモソヒメだと理解しましたが、この辺りは次の展開が期待されます。
ところで、尾張国二宮といえば、大縣神社です。
この神社は、この地を開拓した大縣大神を祭祀しています。
その氏族は、ヤマトタケルの三世孫大荒田命で、その子孫が丹羽氏です。
ここで気になるのは、丹羽と丹生の類似です。
大縣神社には、姫神信仰が残っています。
そして、今までのナガレから見ると、
オオゲツヒメは、伊勢の丹生から阿波に移動したということでした。
丹生の女神とこれらの姫神達は同神か根源が同じではないか・・・と想像しているところです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?