巡禮セレクション 47
2013年11月17日
大田田根子の系譜
日本書紀によると
大田田根子は、
大物主と活玉依姫(陶津耳の娘)の子ということになっています。
古事記によると
大田田根子は、
大物主と活玉依姫(陶津耳の娘)の4世孫となっています。
旧事紀によると
大田田根子は、
事代主命と活玉依姫(三島溝杭耳の娘)の6世孫となっています。
陶津耳には、玉依彦と活玉依姫という二人の子があります。
三島溝杭耳には、玉櫛彦と玉櫛姫という二人の子がいます。
従って陶津耳と三島溝杭耳は同一と見れると思います。
この玉櫛彦の子が神武東征時に葛城国造となった剣根です。
同時期、シネツヒコ(ウズヒコ)は倭国造になっています。
剣根についてはまた別に調べないといけないと思っています。
大田田根子は、
・・・・・・また別に(母は)「天日方奇日方武茅渟祗の女」
と言われています。
大物主と玉櫛姫(三島溝杭耳の娘)には、
天日方奇日方、
媛蹈鞴五十鈴姫命(神武天皇皇后)
五十鈴依姫命(綏靖天皇皇后)
の三人の子がいます。
天日方奇日方武茅渟祗とは、
天日方奇日方の名なのか、
天日方奇日方(父)と武茅渟祗の女(母)という意味なのかわかりませんが、
父母と考えた場合、武茅渟祗(タケチヌツミ)は、
読み名からタケツヌミ(建角身命)と同神だと考えている人もいるようです。
しかし、天日方奇日方は系図から鴨王という人と一致しており、天日方奇日方=鴨王なら、
天日方奇日方武茅渟祗=賀茂建角身命
と見ても良いように思えます。
ただし、
書紀には、大田田根子を
「父を大物主神といい、母を活玉依姫といいます。陶津耳の女なり」と。
またいう「奇日方天日方武茅渟祇の女なり」とも言われている。
このことから、天日方奇日方は、活玉依姫の子でありながら父でもあるという矛盾が生じます。
もし天日方奇日方が活玉依姫の父であるなら、
天日方奇日方武茅渟祗=賀茂建角身命=三島溝杭耳
となります。
僕の誤解や理解不足かもしれませんが、
この辺りに秘密があるように思います。
でも、今はまだはっきりとしません。
ところで、大田田根子が大物主の子や4世か6世の孫であるなら、
大田田根子は、崇神天皇の時代の人です。
崇神天皇は、古墳時代の最初の王と見ています。
すなわち3世紀後半以降と見れます。
卑弥呼が死んだのは、3世紀半ばです。
卑弥呼は「既に年長大であった」と倭人伝に記されています。
大田田根子が大物主の6世はキツイと思いますが、
大物主の子か4世孫であるなら、
大物主の時代と卑弥呼の時代は一致しそうです。
事代主命は、託宣神です。
本来、託宣する人は巫女の仕事でした。
そういった意味では事代主命は巫女であるべきです。
もしかすると、巫女に憑依する神が事代主命なのかもしれませんが・・・
大物主の物(モノ)は、鬼(モノ)でもあると思います。
卑弥呼は、「鬼道で衆を惑わしていたという」
大物主=卑弥呼だとは、まだ考えられませんが、
邪馬台国近畿説を採るなら、
時代的な一致を考慮する必要があると思います。
卑弥呼は、崇神天皇に殺され祟り神となり、疫病が蔓延した。
卑弥呼の宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中が遂に鎮定したとは、大田田根子による大物主祭祀と考えられないでしょうか?
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