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巡禮セレクション 58

2014年01月25日(土)

八咫烏の足は何本?

ヤタガラス2

八咫烏といえば、三本足の烏として知られています。
しかし、
以前、少し触れましたが、記紀には三本足だとは書かれていません。

いつから八咫烏は、三本足になったのか?
疑問です。

三本足の烏は、太陽のシンボルとして世界各地で知られています。

「三足烏はエジプト神話の壁画に見られる。これはリュキアやパンフィリアの三足巴から考え出されたとされる。
また、ギリシャ神話のアポロンの烏である烏座を描いたものでは時にカラスが3本足の姿で描き表される。」

東洋だけでなく、エジプト、ギリシャでも三本足の烏が描かれているのですから、普遍的というか、これは一つの真理なのかもしれませんね。

確か、烏は白かったという伝説もありますから、これは白と黒、死と再生の日は沈み、また昇るという信仰にも関係あるかもしれません。

現代の嫌われ鳥も、元は霊鳥なのです。

中国で三足烏は、
「太陽に住むとされ、太陽を象徴する。
日烏(にちう、拼音: rìwū リーウー)や火烏ともいい、月の兎の月兎と対比される。
しばしば3本の足をもつとされ、三足烏とも呼ばれる。
また、金色という説もあり、金烏(きんう、拼音: jīnwū ジンウー)とも呼ばれる。
なお三足烏の「金烏」の絵は、日本の1712年(正徳2年)刊の「和漢三才図絵」の天の部の「日」の項にも認められる。」

「中国・前漢時代(約2200年前)の古典「淮南子」が、太陽の黒点を3本足の烏に見立てたのが三足烏の起源のようで、日本では奈良・明日香村キトラ古墳(8世紀初頭)の天井壁画の太陽図に三足烏が書き込まれていたのが2年前に分かった。」


おそらく中国発祥の三足烏が高句麗や百済の元である扶余に伝わり、百済を経由して日本に伝来したと考えられそうです。


「三足烏は、四世紀の高句麗古墳に初めて登場して、これが朱雀・鳳凰へと変化して日本にも伝わった。」

「百済は高句麗の伝統を受け継ぐ同根の国家だったから、韓国に”三足烏”神話が伝わり、百済から日本にもそれが伝わっている。」

「太陽の化身である解慕漱(かいぼそ=高句麗の建国神話では天帝の子で、東明王〈朱蒙〉の父とされる)が頭にカラスの羽で作った「烏羽冠」をかぶっているところに淵源を求めることができると解説している。」


そうすると、僕が八咫烏の活躍した神武東征時代は、1、2世紀と考えていますので・・・


「三世紀のころ、朝鮮の渡来人が、太陽に三本足の烏を、故国の旗印としていました。
「鳥は、太陽からの使者である」という、伝説が中国・朝鮮にあり在地化したと考えられます。
それらの人たちが大字烏脇に、天津小屋根命(あまつこやねのみこと)を神明宮(今の神明神社)に祀り、その旗印を神紋とした。
烏脇には、古くより太陽に三本足の向い烏に波を図案化した、村の紋所があり、幕や提灯に描かれ今に伝えられています。」


高句麗の古墳に三足烏が描かれているより、八咫烏は古いわけで、八咫烏が三本足である可能性はかなり低いです。

僕は、八咫烏が導きの鳥であること、
そして、導きの神というとサルタヒコであり、
サルタヒコの導きの神としての原型が、サダル神の可能性から、杖をついたサダル神が、三本足になることが原因で、導きの八咫烏も三本足になったのではないか・・・と考えます。

それは、渡来系の氏族の影響であるわけです。


「聖徳太子建立の法隆寺にある国宝玉虫厨子(たまむしずし)の裏側にある海龍王宮図の右下に、玉免・蟾蜍(せんじょ)(がまがえる)、左上に太陽に三本足の烏が描かれております。
仏教美術として伝えられたもので、中国・朝鮮からの渡来人によってつたえられたのでしょう。」


「六世紀の継体天皇の始めころ、大臣(おおおみ)(右大臣)に巨勢(こせ)・大連(おおむらじ)(左大臣)に大伴(おおとも)、その下に物部各族が各職位についていました。
530年頃巨勢が姿を消し、536年蘇我(そが)が右大臣となった。
539年には左大臣には、物部がなり、大伴と権力が逆転しました。
その前に仏教が伝えられ、蘇我(佛道派)と物部(神道派)の権力の争で、物部は滅ぼされてしまった。
生き残った同族は青森に敗退しました。
青森県黒石市浅石に羽黒宮(現羽黒神社)があり祭神は倉稲魂命(くらいなたまのみこと)・挙田別命(ほむたわけのみこと)となっています。
そこには三本足の烏が神紋として伝えられています。
三本足の烏は物部族の旗印であったと考えられています。」


どうやら物部氏も三足烏をシンボルを用いていたようです。
そして、八咫烏の現れた熊野は、ニギハヤヒの領地だと考えられていました。

まだ、確信は持てませんが、やはり穂積氏の影響があるような気がします。
そして、物部の穂積氏と結びついた天児屋根の中臣、伽耶氏族が、八咫烏に三足烏を結びつけたのかもしれませんね。

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