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薔薇の女神日記、対極なる反影
超電磁マシーンボルテスVというアニメをご存知の方は、僕と同世代の男性だと思います。
このアニメは1977年に放送が開始されたので、今から50年近く前の話になるかと思えば随分昔のような気がします。
動画のように5台のマシーンが合体し巨大ロボに変身して敵と戦う話です。
このアニメがフィリピンで2023年に実写化されて今日本でもテレビ放映されています。
懐かしいので僕も見ているのですが、なかなかの実写だと思います。
先の合体シーンを実写化すると次のシーンとなります。
毎回、このシーンが出てくるのですが、先日このシーンを見ていてあることに気付きました。
こんな事を感じたのは初めてなので、パートナーに話をすると共感してくれてこれは凄いことなのかもしれないと思いシェアすることにしました。
それは、こういう話です。
例の合体シーンですが、僕はこれを見るたびに、「オオッー!!」と思ってワクワクするのですが、これを女性が見てもそう同じように感じないのではないか・・・とふと思ったのです。
男性と女性は同じものを見ても感動が異なります。
逆に女性がベールをヒラヒラさせて楽しそうに舞っていても、それを美しいと感じこそすれ、同じことをして楽しいとは僕は思えません。
女性はメカに関してあまり興味をそそられないと思います。
なかにはメカ好きの女性もいらっしゃいますが、エネルギーの質の嗜好に関してはそれは男性的だと思います。
先日、ある需要があって女性であるパートナーがホームセンターのネジやボルトが陳列しているコーナーに行ったのですが、とても男性的なエネルギーを感じてクラクラしたそうです。
もし男性的エネルギーを感じたいのならそこに行けば良いと言っていました。
いろいろな規格やサイズ、型番に分かれて整理陳列されている金属の加工品が集まるコーナーは男性的エネルギーに満ちているようです。
反対に、僕はお花屋さんに行くと女性的エネルギーを感じ、今でこそ抵抗はありませんが、最初の頃に女神神殿用や瞑想会用のお花を買いに行くときは少し躊躇があったものです。
この異なるエネルギーは別に敬遠するべきものではありません。積極的に取り入れることによって新しい環境が生まれるかもしれませんし、補い合うことができるかもしれません。
しかし、好みや違和感を伴うものがあるので、無理して合わせなくとも良いと思います。
それが冒頭のメカの合体シーンに対する感覚に結び付くのですが、こんな事を考えるようになったのも純粋な女神性や女性性のエネルギーを身近に感じるようになったからです。
僕はここ3年程、特に女神性やそのエネルギーの探究というか、真の女性性の解放に注力してきました。
その結果、男性では理解しがたいその特性や感性に触れ、対極という事を深く意識させられました。
今の僕では女性のそれらを理解、共感することはできないのですが、少なくともそういうものだという認識は持てました。
自分にはわからない感覚だし、時にはそれが正しいとは思えない場合があっても、女性性を尊重するという態度は少しは身に着いたように思います。
これもこの薔薇の女神日記で記録してきたような二人での経験や女神の導きによるものだと思います。
今の世は、男性原理でなりたっており、男性優位で女性を支配するがごときプログラムされています。
それと異なる経験や訴えに直面すると不快感として反抗心が発動するようになっていると感じます。
そういった男性社会で生きる女性性はひどく抑圧され、純粋な女性性や内面の女神性というものは表現できなくなっています。
僕は、社会の問題の元は、この「女性性の抑圧と男性性の歪み」であると感じているのですが、そういった女性性に覆いかぶさる男性性は、真っすぐではなく歪んでいます。
そして自分だけが曲がって立っているなら、真っすぐに立つ周りを見て、自分の歪みを修正できるのですが、社会全体が曲がって立っているので、対比する存在もなく自分の歪みに気付くこともできません。
女性性が十分に発揮でき、女神のエネルギーに満ちていた縄文時代は戦争もなく平和であったそうです。
女性性だけでは成り立ちませんが、今は、男性性が極端に優位であり、女神エネルギーが大きく封印されている状態です。
だから、まず世の男性が女性に譲らないと始まらないと思います。
そしてバランスの取れた状態まで回復する必要があると考えてきました。
女性は自分だけの力と意志で自分を解放し表現することはまだまだ難しいと思います。
そういった女性は異性の攻撃の的となり同性からは嫉妬の対象となってきました。
だから、理解ある男性が女性を守らないといけないと思っています。
それが、現代の「女神と英雄」の関係性となります。
そいういった態度で女神との関わりを持ってきたわけです。
そして、冒頭の話になりますが、その時に純粋な男性性とは、純粋な女性性により歪みが矯正されると感じました。
その為には、純粋な女性性を解放しなければならなくて、女性性の解放は男性性の回帰に繋がるという事です。
多くの男性にとって身近な存在として女神のように生きる女性は稀だと思います。
しかし、身近に女性のいない男性も少ないと思います。
妻や恋人、友人、同僚、または母や姉妹等に対し、彼女らの女性性と女神エネルギーの解放を意識して接することにより、もしかすると自分の純粋な男性性が蘇ってくるかもしれません。
異性とは、その純粋なエネルギーにおいて反影する鏡のようなものかもしれません。
その異なるエネルギーに触れることにより自分の対極のエネルギーを理解できると感じました。
これを「ボルテスVの教え」と名づけました。