信じるというもの。
誰も信じていない
って人いるよな
職場・学校の人間関係に疲れて誰かを信じられなくなった人
恋人に裏切られて信じる心をへし折られた人
つらいよな、
うん、
裏切られたことより
信じられなくなってしばらく経った時に
”人を信じられないこの状況”がしんどくなってくるんよね
私にもそんな時期があって
どんなに身近で見守ってくれてる人がいても
疑心暗鬼になってしまって
それが少し緩和した時に気づいたの
意外と日常って【信じる】ことで成り立ってる
ってこと
違うよ?
誰かを信じてなきゃ日常が無くなる
とかじゃなくて
なんか知らんけど
気づかんうちに【信じる】ことをしているんだな
って思っただけ。
生きてくための 衣食住 が
誰とも関わらずに生活できちゃう人は
例外として話を進めよう。
『衣』
レジの店員さん
商品を実店舗・ネットショップに陳列してくれる店員さん
店内にいると話しかけてくる店員さん
etc…
AIであろうとなんだろうと
私はできることなら話しかけてこないでほしい
って思う
けど
話しかけられたらフレンドリーに話をしてしまうので
見ず知らずの人からの押しに弱いこともあり
勧められた商品を買ってしまうこともしばしば
勧められた結果 良い と思ってしまい
お財布がギリギリなのに購入してしまう
ってやつ
でもそれって
話しかけられなかったら
〈良い〉と思える商品に出会えることもなかったわけで
その一瞬だけでも
〈繋がり〉ができて
”洋服を購入する”ことに対して〈信じる〉ことができるから
購入する流れになる。
嘘くさい人に勧められた商品は
どんなに良い商品でも
大体の人は購入しないだろう
わからんけど。個人差あるけど。
『食』
デパ地下・コンビニに並ぶお惣菜
ファミレスで運ばれてくる注文品
調理するために購入した材料
etc…
自分で調理するにしても
大元は どこか の 誰か が作り上げた物
自然とそれを手に取っているはず
普段買いに行くスーパー
新しく出来たスーパー
はたまた
家の近くに畑があるような地域なら
軒先で販売しているとれたて野菜の直売所
手に取った野菜や精肉や鮮魚が
安全である確証ってどこにあるのだろう
これもまた
自然と【信じる】ことが発生しているが故の
『食』の成り立ち
なのだろう。
『住』
これは簡単な話。
何か不備があったり
不動産屋さんの態度が最低だったら
その紹介された建物に住みますか?
本当に金銭的にやばかったり
何か特別な理由があれば
その建物に住むんだろうけど
大体の人の答えは
”NO”
だと思う。
紹介された建物に住むのは
〈信用できる情報〉と
〈信頼できる対応〉の
両方の提供があるからではないだろうか。
『衣』『食』『住』
結論
〈見ず知らずの人であれば信頼を一瞬でも築ける〉
ということ。
【信じる】ことって
永遠に続けないと
【信じる】ことにならないのだろうか。
意外と【一瞬信じる】ことで自分が成り立っている
ならもう
”誰も信じられない…”
って落ち込んだり悲しくなることはしなくていいのでは。
そりゃもちろん凹むことはある。人間だもん。
けど捉え方を変えてみると
自分の生活を
なぜか保証してくれる見ず知らずの人たちを信じられるから
それで無敵だぜ!
くらいの心持ちでもいいんじゃね?
ってちょっと思った。
浮気する元恋人より
信用できる沢山の命を繋いでいる農家さんや店員さんがいる
って言ったら
なんかかっこよくね?
知らんけど(°▽°)HAHAHA
人生イージーモードで生きよ。
おわり