ショートショート#6「振り子時計」
思い出話をしよう。あの頃、僕は小学生だった。
夏休みがやってきて、久しぶりに父の実家へと帰省した時のことだ。
あの家へ行くのは何年ぶりだったろう。
…なんて言ってみるが、物心つく前に行ったきりだ。祖父母の顔も覚えちゃいない。わかっているのは、祖父と僕の目元はそっくりということだけ。
長らく疎遠だったらしいが、祖父母と両親の間に何かあったのだろう。今なら大人たちの苦悩も想像に難くない。
いつにも増して口数の少ない父。それに気を遣ってか、母もやけに静かだ。なんとなく居心地の悪さを感じながらも、ドラえもんの単行本を読み耽っていた。
…いつしか眠りに落ちていた。母に声を掛けられ気が付く、どうやら目的地に着いたらしい。だだっ広い庭、そこに佇む大きな平屋。なんの変哲もない、田舎の家だった。
父は誰にも聞かれない程度の声量で「よし」と呟き、車から降りていった。それに続いて母も僕も降車した。
エンジン音に気がついたのか、祖父母が出迎えてくれた。
「よくきたねぇ…久しぶり。まぁ!こんなに大きくなって!!さぁお疲れでしょう?あがってあがって。」
嬉しそうに駆け寄ってきた祖母。その後ろで目尻をしわしわにして、ただただ微笑んでいた祖父。周りが騒ぐほど祖父と僕の目元は似ていない気がした。
父は硬い表情のまま挨拶を済まし、僕に声をかける。
「ちょっと大人だけでお話しするから、お家の中を探検しておいで?いいね?」
有無を言わせず、大人たちは僕を置き去りに奥の部屋へと消えていった。
突然暇を言い渡された僕は…広い家にワクワクが止まらなかった。長い廊下、無数のドア、心地良い縁側。祖父母二人暮らしにしては広い。手当たり次第ドアを開け、部屋という部屋を探検した。
どの部屋にも振り子時計があることにふと気がついた。よく見たら廊下にもトイレにもある。各部屋に時計があることなんて珍しくはないが、違和感が一つ。どの時計も正しい時間を刻んでいないのだ。たまたまかと思い他の部屋も確認したが、全てが異なる時間を指していた。
どこにいても時間を確認したいのに、正確ではない時計。疑問に思いながら本が無造作に積まれた部屋の振り子時計をぼんやり眺めていたところ、針は12時を指した。時計がポーンポーンと音を出し時刻を知らせる。
それとほぼ同時に各部屋の時計が一斉に鳴る。
ポーンポーン…ポーンポーン…
異なる時を刻んでいたはずなのに、全てが一斉に時刻を知らせている。その音を拒絶するように耳の奥がキーンと痛み始めた。
「うぅ…痛い…助けて…」
音が止むのを待つようにうずくまっていたところ、少しずつ意識が遠のいていった。
…目が覚めると、時計は相変わらず12時を指している。
一瞬の気絶?それとも夢だったのか…?戸惑いながら時計の振り子を目で追っていると、部屋の扉が開き誰かが入ってきた。
「おや?君は…??」
黒髪に少し白髪の混じる男性が僕を見つめていた。
「あ、え、こ、、こんにちは。えっと…この家の孫で…おじさんは…?」
驚いた様子の男性は、僕の目線に合わせるようにゆっくりとしゃがみ、やっと口を開いた。
「君…。あ、ごめんごめん。信じられないと思うんだけど、えーっと、僕は未来の君なんだ。今時計が鳴っただろ?それで…時空が歪んだみたい。多分。ははは、信じられないよね…。いや、信じられないな、そりゃ…。」
僕は黙っておじさんに疑いの目を向ける。何を言っているんだ、ドラえもんの世界じゃあるま…
「ほ、ほら、ドラえもんって漫画は知っているだろ?引き出しの中がタイムマシンになっているアレ、未来ではそれが当たり前になっているんだよ。だからこうして夏休みに子供達とタイムトラベルをしていたんだけど…時計が一斉に鳴り出したもんだから時空が歪んでおじさんだけ落っこちちゃったんだ。いや、まさか、昔の自分に…会えるなんて。びっくりしちゃって。」
驚いた。ちょうどドラえもんのことを考えていたら、おじさんの口からもドラえもんの話題が出るなんて。なんだか思考が似ている。よく見たら顔立ちもどことなく似ている気がしてきた。もしかして本当に僕なのか?!
「おじさんが本当に未来の僕だったら、好きな食べ物くらい分かってるよね?」
おじさんがゴクリと唾を飲む。掠れた声を絞り出す。
「……ネギトロ丼。」
なんてことだ!凄い!!僕はネギトロ丼が大好きだ。マグロ丼でもマグロ漬け丼でも海鮮丼でもない、ネギトロ丼が大好物なのだ。
こんな変化球を当てられるなんて、おじさんは未来の僕なんだ!!!!!
興奮冷めやらぬまま、おじさんの顔を覗き込み
「正解だよ!!凄い、本当に僕なんだ!!」
完全におじさんを信用した僕は、未来のことを尋ねた。
高速道路では大きなロボットが交通整備をし、学校では黒板は使わず、みんなコンピューターで授業を受けるらしい。車にはテレビが付いていて、もう少しで空を飛ぶようになるとか。
一方で問題もあるようだ。コンピューター社会になったことで街中にカメラが設置され、まるでコンピューターに監視されているようで気が休まらない。人間はいつかコンピューターに飲み込まれてしまうのではないかと世界中で議論が巻き起こっているそうだ。
いつか少年雑誌で読んだような、想像していた未来が実現されていることに僕はワクワクが止まらなかった。もっと知りたい。
「ねぇ、これは聞かない方が良いと思うんだけど、未来の僕はどんなお仕事をして誰と結婚するの?!」
「…これは言わない方が良いと思うんだけど、そうだなぁ。仕事は、描いていた将来の夢とは違うことをしているよ。」
憧れのサッカー選手にはなれないと知り、悲しい気持ちになる。高学年になったらサッカー部に入ろうと思っていたんだけど…
あからさまに落ち込む僕を見かねたおじさんが笑いながら続ける。
「はは、ごめんな!そんな顔しないで。他に夢中になれることを見つけたんだ。良いことじゃないか。結婚相手は知らない方が楽しいだろ?
言えることといえば、おじさんはもうすぐおじいちゃんになる。孫が生まれるんだ。少しはおじさんにも似てたら嬉しいんだけど…。一緒に遊ぶのが楽しみなんだ。」
優しい目で笑うおじさんはとても幸せそうだった。どうやら僕の未来は明るいらしい。とはいえ、ここに至るまで様々な困難が待ち受けているだろう。…まずは夏休みの宿題という名の困難を片付けなきゃ。
もうひとつ質問をしようとしたその時、この部屋の振り子時計が1時を告げる。同時に全ての振り子時計が鳴り響く。音と音の間を縫って、遠くから母の声が聞こえた。
「お話終わったよ、あれ、どこにいっちゃったのかしら。おーい。」
「あ、お母さんだ。おじさん、隠れ…あれ?」
横にいたはずのおじさんは、もうそこにはいなかった。振り子時計の音はまだ鳴り響いている。
ポーンポーン…ポーンポーン…
一定のリズムで鳴る音が心地よい眠りへと誘う。
…いつしか眠りに落ちていた。母に声を掛けられ気が付く、どうやら大人の家族会議は終わったらしい。おじさん、いや、未来の僕はどこにいったのか。出会った時と同じように振り子時計が鳴ったため、未来に帰ってしまったのだろうか。きっと時空の歪みが戻ったんだ、そう考えるのが自然な気がした。
父や祖父母のいる居間に通され、祖母が麦茶をくれた。眠っていたせいだろうか、僕は一気に飲み干した。
この家の居間は畳張りで、隣接する三つの畳部屋と繋がっていた。部屋と部屋の間は襖で仕切れるようになっている。よくある日本家屋の仕様だった。
この時期は襖で仕切られておらず、居間を含めた四部屋が広い一部屋のようになっている。
空になったコップを勢いよく置いた時、ふと隣の部屋が目に入った。そこには大きな仏壇が鎮座しており、小学生の僕でも何やら大事な部屋であることは理解できた。
壁の上部には謎の写真。笑顔だが、なぜか皆一人で写っている。知らないおじいさん・おばあさんばかりだ。
その中に知っている顔が一人。
先ほどのおじさん、未来の僕だ。
なぜ未来の僕の写真がここに?だって僕はまだ子供で、おじさんになった姿を誰も知らないはずなのに。写真を指差し母に尋ねる。
「ねぇ、あの人って誰?」
大人たちの視線が僕に集まる。なんか気まずい…。暫しの沈黙のあと、祖母が口を開く。
「あれは、あなたのおじいちゃんよ。あなたが2歳のときに亡くなったの。」
…おじいちゃん?じゃあここにいるおじいちゃんは?
状況を完全に理解するには幼すぎたが、あのおじさんは未来の僕ではないことは分かった。
写真の中で笑う"おじいちゃん"の目元は僕にそっくりだった。
祖父はオカルト雑誌の記者で日本中を駆け回っていた。時には少年雑誌に未来予想ネタを書くこともあったらしい。通りで未来に詳しいわけだ。
オカルトに精通していたなら「未来の僕」だなんて嘘がスっと出てくることにも頷ける。
僕が2歳の時、事故で亡くなった。取材の移動中だった。
物心つく前にこの家に来たのは、お葬式のためだったとやっと気がついた。
その半年後、祖母は再婚をした。それが目の前にいる祖父だ。あまりにも早い再婚に父は憤り、長らく疎遠となっていたようだ。
なぜそんなに早く再婚をしたのか、今は分からなくて良い気がした。
この冬、弟が生まれるため、流石に顔を出すことに決めたらしい。僕に本当のことを告げるのはもっと先の予定だったと祖母は嘆いていた。
「…それにしても、なんでこのおじさんの写真が気になったの?」
祖母の言葉にドキッとした。実はついさっき、おじいちゃんと会って、未来の僕だって言われて、信じちゃって、未来はどうなってるかとか、色々お話をして……楽しかった。
こんな形でおじいちゃんと会えたなんて、誰も信じてくれないだろうな。
本当のことは思い出に、僕とおじいちゃんだけの秘密にしよう。
「えっと、なんか目元が僕と似てるなって思って。」
緊張が解けたみたいに大人たちがどっと笑う。
「そうね、本当によく似てるのよ。大きくなったら俺に少しでも似てたらいいな、なーんてよく言ってたけど、目元はそっくりね。きっと喜んでると思うわ。」
そう言って祖母は遠くを見つめながら微笑む。それを横目に父が元気よく切り出す。
「…さぁ!お腹も空いたことだし、お昼ご飯でも食べに行こう。この辺りに海鮮の美味しい定食屋があるんだ。ネギトロ丼もあるぞ〜!!」
「やったー!!早く行こう!お腹ぺこぺこだよ!!」
大人たちは重い腰を上げ、出発の準備を始める。僕も元気よく立ち上がり、大好物のネギトロ丼にワクワクしていた。
あれ?そういえば、おじいちゃんはなぜ僕の大好物がネギトロ丼だと分かったのだろう。おじいちゃんが生きていた2歳時点では、まだネギトロ丼と出会っていない。当てずっぽうか?
うっすら考えながらも玄関まで歩く。靴を履き終わり何気なく鏡を見て気がついた。そうか、だから分かったんだ。
そこには「好きです、ネギトロ丼」とデカデカと書かれたTシャツを着た僕が映っていた。
あぁ、変なTシャツは着るものじゃないな。
恥ずかしい気持ちになりながらも僕は家を出た。