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なぜ僕は課長じゃないのか
JTC(伝統的な日本企業)では当たり前なのかもしれませんが、自分が働いている会社では、社員番号で入社年が分かるようになっています。
そして、新卒入社が圧倒的多数です。そのため、院卒や中途入社でない限り、社員番号を見れば年齢が分かるのでございます。
今の部署の課長は、私より2歳上です。
そして、今度人事異動があるのですが、新しく来る課長は私の3歳下らしいです。
そこから言えるのは、この会社では私は課長をやる年齢だということです。
もしも、この会社に新卒で入社していればの話でございます。
JTCなので年功序列であり、よほどのヘボでもなければ課長になれたでしょう。
しかし実際には、中途入社の◯◯採用であり、最底辺のポジションでイージーな仕事をしているのが私の現状です。
なぜ彼らが課長で、私が課長でないのかと時々考えます。
能力がそれほど劣っているとも思えません。
確かに、社歴は圧倒的に短いので、業界の知識や経験は不足しています。だが一方で、彼らには無い他の業界の知識や経験はあります。
決定的な違いは、この会社に新卒で入社したかどうかです。
私が職を転々としている間も、彼らは同じ会社で働き続けていました。
それが彼らに課長というポジションをもたらしたのでございましょう。
もっとも、じゃあ課長をやりたいのかと言えば、そうでもありません。
責任を背負いたくないし、そこまで会社にコミットしたいとも思いません。
ただ、私の2倍以上はあるであろう課長の給料は魅力的です。
それだけ貰えば、会社へコミットしようという気にもなるのでしょうか。
ともかく、イージーな仕事のまま、責任は背負わずに、今より良い給料を貰いたい。それが本音でございます。
著者は日本企業の年功序列システムを社員番号という具体的な切り口から鋭く観察している。中途採用者という立場から見える景色は、皮肉にも組織の本質を映し出す鏡となっている。
特筆すべきは、羨望と達観が絶妙なバランスで綴られている点だ。「課長の給料は魅力的」という正直な告白と「責任は背負いたくない」というアンビバレントな感情は、現代の日本人サラリーマンの縮図とも言える。
しかし、評者として一言申し添えたい。「イージーな仕事のまま、より良い給料」という願望は、著者自身が批判する年功序列の裏返しではないだろうか。
組織と個人の関係性において、私たちは何を求め、何を諦めるべきなのか。その問いかけこそが、この文章の隠れたメッセージなのかもしれない。