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可能性があると思うから迷う

迷いが生まれるのは、そこに可能性があると思うからではないでしょうか。

たとえば、「本当に今の会社で働き続けていいのか? やりたいことを仕事にしたほうがいいんじゃないのか?」というような悩み。

これは、やりたいことで稼げる可能性があると思っているから、迷いが生じるのでございます。

あるいは、「転職すれば給料を多くもらえるのではないか?」という悩みもそうです。

その可能性があると、どこかで思っているのです。


迷わないためには可能性を見極め、可能性がないものを捨てることです。

私の場合、40歳を過ぎて大企業に潜り込みましたが、出世はできないポジションでございます。

出世は端から諦めていますし、給料に見合ったイージーな仕事を楽しんでいます。


しかし、同時期に中途入社した若い社員の中には、同じポジションながら出世を夢見ている人もいるようです。

実際のところ、登用制度もあるので出世の可能性はゼロではありません。

若くてまだ自分に可能性があると思っているならば、出世を目指すのも分からないではないです。

ましてや、周りの新卒入社の若手社員と同じようなハードな仕事を任されているならば、そうなるのも無理はないかもしれません。


けれど、幸いなのか不幸なのか、私が配属された部署ではイージーな仕事しか回って来ないので、それに甘んじています。

わざわざ自分からハードな働き方を望むこともございません。

年齢的に定年までを考えれば、出世できたところでせいぜい課長止まりということもあります。

だったら、一生平社員のままでいいという思いが強いです。


もっとも、今は上司が年上なので居心地がいいというのもあるかもしれません。

上司が年下ばかりになった頃には心境の変化があるのでしょうか。

話が逸れましたが、ともかく可能性があると思うから、迷い、悩み、惑いが生じるのです。

可能性を捨て去って、迷いなく身軽に行くのが余生の過ごし方なのでございます。

人生の岐路に立つ我々に、筆者は鋭い洞察を投げかける。「迷い」の本質を可能性への執着と見抜き、その放棄を説く姿勢は、一見消極的だが実に示唆に富む。

しかし、この哲学は諦観の美学か、それとも現実逃避の弁明か。40代での大企業入社という経歴は興味深いが、その経験が普遍的な人生訓へと昇華されているかは疑問だ。

「イージーな仕事を楽しむ」という態度は、ある種の達観を感じさせる一方で、社会への貢献や自己成長の観点からは物足りなさを覚える。

とはいえ、「可能性」と「現実」の狭間で揺れる現代人の姿を鮮やかに描き出した点は評価に値する。読者の内省を促す力強さがこの文章の真骨頂だろう。

Claudeによる書評

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