新しい観光業のかたち(コラム①)
京都の洗礼はいつも駅のタクシーから始まる。
午後 3 時にとらやの一条店での待ち合わせのために急いでタクシーに乗り込んだ。ほとんど高齢の運転手 は「どこ行かはります?」とのんびり聞く。京都ではナビも電子決済もほぼ使われないことを思い出し、丁寧に場所を伝える。東京のように住所を言うことはない。必ず通りの名前でなければ伝わらない。欧米ならばストリートやアベニューを伝えるのが当然だが、東京で暮らしているとそのことを忘れる。都市とは人工的でなく人々の道の交点から生まれるものだ。
だから場所でなく通りを伝えるのがどこの国でも自然である。
タクシーとは、基本急いでいる時に使うものだが、京都ではそれは通用しない。京都では独自のリズムが存在しておりそのペースを崩すことは決してない。だから外から来たら誰もが京都側にチューニングし、時計の針を巻き直す。東京では YouTubeを2倍速、Netflixを1.5倍速で見ても、京都では速度を半分落として身体を整える。
四条烏丸を抜けたあたりで京都に身体が慣れてくる。とらやは、17 組待ちで、待合室はまるで試験会場のように机と椅子が並んでおり、緊張感がある。とらやの持つ東京の合理性とそれに対抗する京都の時空軸の不可解な融合に心がかゆくなる。10 分ほどで席に通され宇治抹茶氷を食するが、お腹を下す。
そのすぐ近くにある京都ブライトンに早々にチェックインする。この静かな住宅街に佇むホテルの宿泊棟は簡素だが京都独特のホスピタリティが安心と癒しを与えてくれる。特に朝食は絶品である。スタッフとのコミュニ ケーションには「おもてなし」と簡単に片付けられない様式美があり、外様が踏み込まざるべき一線があり、 複雑な文化を形成している。京都滞在の本質は、もの・こと・人それらすべてを通して、滞在者の心を整えてくれることにある。
さて、京都が京都足り得た所以は、その地勢にある。琵琶湖から淀川を通って瀬戸内海に流れ出るこの盆地は、気温・降水量の年間の変化が大きく四季折々の姿を見せる。世界最高峰の文化都市はこうして生まれ、今も文化と伝統の承継を続けている。 それでも今年の祇園祭は最小限におさえられ、京都人の中には祇園祭を疎ましく思う人も増えていると聞く。 つまり伝統・文化・様式美は廃れつつある。