1-4| 考える真の目的とは何か?【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】
ここまで書いたように、考えるメリットは無数にある。
では一体、何を考え出せば「本当に考えた」と言えるのだろうか。
考える目的を端的に言えば、「代替案を出すこと」「具体案を出すこと」「全体像を明らかにすること」「本質を見抜くこと」の4つである。
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「できる人」は常に代替案を用意している
まず、「代替案を出すこと」について伝えるうえである人の言葉を取り上げたい。
「アイデアがある人は悩まない」というものである。これは、面白法人カヤックのCEO柳澤大輔氏の言葉だが、実に素敵な言葉である。その意味することは、「代替案(Bプラン、Cプラン)を持っている人は安心して生活することができる」というものだ。
ホリエモンこと堀江貴文氏もその知的パターンの典型例だ。彼とは私が宇宙開発事業HAKUTO(ispace社)に関わっていたときに何度かお会いした。あるとき彼の部下がミスを犯していたが、本人はあまり気にしている様子はない。もちろん部下に注意はするのだが、きつく問い詰めることもない。余裕がある。
彼の優秀さは何だろう?と考えてみると、彼にはあまり執着がない、ということがわかった。つまり代替案をいくつも持っているから余裕があるのだ。
「想定内」という言葉が一時期流行ったが、まさにそれだ。大学を中退し、就職せず起業家になった彼には、ストレートに大学を卒業し、就職した人に比べ失敗がつきまとう。そのため失敗を前提に、別の手段(代替案)を持つ習慣が身についている。別の方法があるから、部下がミスしても執着しないのだ。
真の知性とは「囚われない心を持つ力」
ご存知の通り、堀江氏には収監された経験がある。普通の人なら収監されると大変落ち込むだろうが、彼が「この時間を使って、1000冊本でも読むか」と頭を切り替えられたのも、代案をいくつも持っていたからではないだろうか。
複数の選択肢がある人は一つの案に執着しないから幸せでいられる。幸福が人間の目的なら、真の知性とは、囚われない心を持つ力である。
世間は大きな誤解をしている。ホリエモンが入学した東大はすごく頭が良い人が行く、と思っている。しかし、実際に東大に入るのは「頭の良い人」ではない。頭が良いかどうかとは関係なく、受験を高尚なる行為ではなく、単なるゲームだと矮小化して捉えている人が合格している。進学校のシステムとはそういうものだ。
しかし普通の人は逆に捉えている。勉強は高尚な物事で、それができる人を偉いと敬う。当の本人たちは、勉強を小さなもの、時には単純な作業でしかないと、逆に重きを置いていない。その彼らが社会の上に立つというのはある意味滑稽に見えるかもしれないが、現実である。こだわる人ほど成果を挙げることができない。
東大に受かる人たちのすごさをあえて言えば、勉強にかける時間ではなく、小さな物事に集中し続ける意識のコントロール力にある。受験は意識のコントロールの良いトレーニングの場ではあるが、それ以上でも以下でもない。得た知識は時と共に移ろい、やがて忘れ去られる。残る価値は集中した体験である。新しいゲームは次から次へと生まれるのだ。
実現可能な具体案を導き出してこそ、考える意味がある
考える目的の2つ目は、「具体案を出すこと」だ。
具体案とは、「明日何をすれば良いかを行動に落とし込める案」のことである。つまり、行動可能な状態まで落とし込めなければ案とは言えないということだ。
よく生産的な仕事の現場では、「問題をそのままにしておくな。問題を(解決可能な)〝課題〟にせよ」と言われる。これも同じように具体的な形に落とし込めなければ何も考えなかったことと変わらない。単に「検討する」という形で終わる会議や文書があるが、それでは本当に考え抜いたとは言えないだろう。解もすぐに実践できるレベルのものでなければ、机上の空論で終わってしまう。
解が改善レベルの話であれば、アクションに落とし込むことは簡単だ。しかし、私たちが今後していかないといけないのは、改善ではなく「改革」であり、場合によっては今までの常識をひっくり返すパラダイム・シフトである。そこには当然、既得権益を守ろうとする人たちが存在するので、そうしたしがらみや抵抗をどう排除できるのかというところまでデザインされた実現可能な「解」でなければ、思考する意味がない。
たとえば、日本の抱える大きな課題に医療改革がある。
国家財政を圧迫する医療費を下げるためには予防医学に注力することが重要だ。これは理屈では明らかだが、国民が健康になってしまっては商売が成り立たない医師会が徹底的に反対することもまた明白な事実だ。
だとすれば、一つの案としては機能性医学や予防医学を研究する機関をジョイントベンチャーとして設立し、その理事に医師会の重鎮をつけて予防医学の利益をどんどん医師会に還元し、新しいオペレーションだけは関与させないといったスキームも考えられる。このように、従来の組織に新しい施策のメリットを還元することでスムーズに物事を実現させることは可能だ。
改革を行うときはインセンティブの設定がとても重要となる。正論を振りかざしながら「俺は正しくてあいつらが間違っている」と怒っても社会は変わらないのだ。問題の核心を突き、同時に実現可能な具体案を出す必要がある。
全体像を明らかにする
考える目的の3つ目は「全体像を明らかにすること」である。
先に私は経営者たちとよくランチをするという話をしたが、考えることで大きく対象を広げ、見えてこなかった論点や選択肢を相手が自分で見つけることができる。
物事の全体像を捉えるべく、俯瞰するときに特に意識すべきは「時間軸」と「空間軸」で、このとき実際に紙に書き出すことがポイントだ。これはどんな思考活動にも言えるが、紙をどんどん使って思考の言語化をしていくべきである(私は机の上に大量のA4用紙を積んでいる)。
私がメタ思考をするときによく使うフレームワークは「T&Sキャンバス」というものだ。
横軸にT(時間)、縦軸にS(空間)を取って、各要素の関係を整理していくという手法であり、思考を言語化していくときの一つのフォームになる。
T&Sキャンバスの最もシンプルで身近なものは、誰もが使う工程表だ。横軸に時間軸が取られており、縦軸は担当者や部署が書かれていて、どのタスクがプロジェクト全体の中でどのような位置付けなのかが整理されている。
もしくはインターネットで注目を集めた「世界史対照年表」というものがある(図10)。
縦軸が国(や地域)で横軸が年代になっており、どの年代にどの地域がどの国によって支配されていたかということが1枚でわかるようになっている。これもまさにT(時間)&S(空間)キャンバスの例である。
メタ思考を実践する際は、こうしたキャンバスを白紙の状態から作っていく。
私はあらゆるミーティングに白い紙と細いペンしか持っていかない。そして最初の30分は参加者の話を聞くことにフォーカスを当て、それぞれの発言の位置関係(抽象・具体度)、時間軸(緊急・中長期)を把握し、それを頭のキャンバスもしくは白い紙に書いて位置関係を整理していく。
自分が話し始めるのは1時間のミーティングの中で、45分くらい経ってからだ。あらゆる発言内容とその発言者のインセンティブ(動機・目的)の位置関係が把握できていれば、問題のコア(本質)にあることと、それに対する解決策(効果的かつ実現可能なもの)もわかる。
仮にそこで解決策が出なくても、大抵の場合、様々な問題はスパゲッティのように絡み合っているので、それらを解きほぐすだけでも十分な価値を提供できる。T&Sキャンバスを使いこなせるようになれば、その後は難しい作業ではない。
最も困難なのは、ビジネスの場合は自分の意思(欲)がそこに介入することである。ビジネスである以上、自分(自社)の取り分が必要となるのは当然だし、そうでなければ事業の継続もままならない。だから実際には、思考したことから利己心を差し引いて残ったものがミーティングでの価値となる。
対象との距離を置いた状態(俯瞰した状態)というのは、このT&Sキャンバスのそれぞれの軸の幅が広いということを意味する。
時間軸に関して、問題解決をするときは、その背景を探るために過去をたどる必要があるだろうし、何年先まで考えるかによって最適な解も変わってくるはずだ。
空間軸に関しても、ここをどれだけ広く取るかでより対象を俯瞰できる。
空間軸を広げるときに多用するのは、海外の事例である。
たとえば結婚制度について考察したいのであれば、先進国の、たとえばフランスの多様なパートナー制度の動向を押さえないわけにはいかないだろうし、日本での最大の課題になりつつある「孤独」の問題については、2018年にイギリスに新設された孤独担当大臣の取り組みを調べておく必要がある。BBCやCNNなどのメディアをインターネットのブックマークに入れるくらいはしておきたい。
私は欧州の知の巨人であるジャック・アタリ氏が好きだが、彼のすごさを一言で言うなら、そのT&Sキャンバスの広さにある(彼の場合はT〈歴史〉&F〈フィールド〉である)。アタリ氏は有史以前から未来まで、宗教や環境、貨幣、暴力、民主主義、ドラッグなど、世界全体をくまなく横串で見通したうえで本質的なルートを導き出す。一つひとつは表層的で分断化されたテーマだが、それらをすべて有機化することで21世紀を貫く原則を洞察している。これはメタ思考力を持っている人にしかできない思考法である。アタリ氏にとっては壮大なパズルを解いている感覚であろう。興味のある人は、『21世紀の歴史』(作品社)、『海の歴史』(プレジデント社)などを読んでもらいたい。
私の本格的な「パズル解き」は、先述したように、M&A専門のコンサルタント時代にクライアント企業を分析することから始まった。企業は様々な部署、プロダクト、歴史、業界、取引先などフィールドが多岐にわたる。しかも大手企業になると関連会社の数も膨大だ。それらすべてを視野に入れながら、企業を動かす本質を特定するのが、M&Aの最も重要な仕事である。
これがだんだんできるようになると、私はもう少し幅を広げて「株や投資とは何か」を考えたくなった。その思考の結晶が、先ほど紹介した『知ってそうで知らなかったほんとうの株のしくみ』(PHP文庫)である。
その後は「企業分析」と「価値創造」を体系化することに努め(これは大前研一氏が学長を務めるビジネス・ブレークスルー大学の講座となった)、それを卒業したと同時に「貨幣とは何か」というもっと大きなパズルにチャレンジをすることになった。
T(時間)&S(空間)を軸に取るパターンと同じような方法として、たとえば企業分析には、会社の経営成績を表す損益計算書(P/L)、会社の財政状態を表す貸借対照表(B/S)や業界構造、業績などのあらゆる要素があるが、外部環境と内部環境、ビジネスマーケットとキャピタルマーケットの2軸のマトリクス上に並べると、図11のようになる。このマトリクスは、『デューデリジェンスのプロが教える企業分析力養成講座』(日本実業出版社)のメインフレームワークとして使っている。
「物事を理解するとはその輪郭を明らかにすること」
これは私が絵の先生に教わったものだ。対象を正確に描くためには、対象そのものではなく、輪郭と周辺を描きなさいということを意味する。
輪郭を明らかにするためには4つの切り口がある(図12上)。
1.背景・原因を考察する
2.対象がもたらす結果・意味を考察する
3.対象の下位概念を分解して、より具体的な内容を詳しく考察する
4.対象の上位概念、またはその上位から見つめた対象と同レベルにある
対象物を考察する
今紹介したこの4つの切り口を、「英語」の輪郭をつかむことに応用すると、次のような方法が考えられる(図12下)。
1.文法の本質や語彙の語源を知る
2.ネイティブの文章構成や発話を感覚的につかむことに注力する
3.分厚い文法書と辞書の内容を自分なりに整理する
4.ラテン語を勉強する。またはそこから分化した英語以外のインド・ヨーロッパ言語(スペイン語、フランス語、ドイツ語など)の違いの発見に努める
理想はこの4つの切り口をすべて考えること。それが英語習得の最短方法だと思う。何かを考えるときに最も重要なことは「垣根を設けないこと」である。
頭の良い人ほど単語を覚えない
英語学習のつながりで話をすると、単語の覚え方に、「語源」から覚える方法がある。単語の根源的意味を知っていれば、知らない単語の意味も推察できる。
たとえば「sub」の意味は、「下(の)」である。「subway(サブウェイ)」の意味は、sub(下の)way(道)で「地下鉄」、「submarine(サブマリン)」は「海の下」で潜水艦、「subliminal(サブリミナル)」が「潜在(下の)意識」と類推できる。
さらに本質を考える人は、アルファベットごとの意味も知っている。
たとえば、bは存在や肯定、向上、成長などを意味し、dは欠乏や否定を表す。だから単語の頭にbが使われていれば、自然に「ああ、何か肯定的、前向きな意味なんだな」と感じることができるし、d?とくれば「なんとなく、悪い意味だぞ」と推測できる。抽象性は高いが、本質的であるからこそ応用がきくのである。
頭の良い人は、極めてメタ(抽象的)な本質をいくつか押さえており、そこから枝葉末節の問題を難なく解決してしまうものなのだ。
本質を見抜く
メタ思考の最終的な目的は本質を見抜き、核心を突く代替案を見つけることである。
では「本質的」とは何かと言うと、3つの共通する要素があることがわかる。
それは「普遍性(応用がきくこと)」「不変性(時が経っても変わらないこと)」「単純性(シンプルであること)」だ。
こういった本質を押さえると、その後応用できる可能性が高くなる。考えたことが本質的かどうかについては、この3点を検証してみるとはっきりするだろう。もしも考えたことがこの3つの要素を持ちえない場合は、さらに本質的なものが存在することがわかる。
ここではこの3点について、もう少し詳しく説明しよう。
1 普遍性
普遍性とは応用がきくこと。ある分野についてその本質(原則)をつかんでしまえば、他の様々な問題は芋づる式に解決してしまうような解のことである。
2 不変性
本質は時が経っても決して錆びることがない。本質的思考によってつかみ取った答えは、過去、そして未来永劫に通用するものとなっている。明日の結論が今日の結論と違うのであれば、まだ思考が十分ではないという証である。
3 単純性
ものの本質は、いつ何時も、とてもシンプルなものである。これは物事の本質を理解しようと努めるうえで非常に重要なことで、この世の中は一見複雑に見えても想像以上にシンプルで、本当の問題は最終的には一つしかないのだ。問題が二つも三つもあるということは、もっと考えるべきことが残っている証である。
3つの要素以外にもう一つ付け加えるとすれば、自分なりの思考の結晶を見て「ちょっと気持ち悪いな」と感じたら、まだ核心を突いていないということだ。その違和感は、「もっと先に到達可能な本質があるから、もう少し頑張れ」と教えてくれているのだ。逆に言うと、そうした違和感を感じ取る能力を持っていることが重要で、それがないと本質的な解を得ることは難しい。
以上が本質的に共通する要素であるが、自分がつかみ取ったものが「完全な本質(ものの真理)」でないからと言って、今の段階で気にする必要はない。もし何らかの世の中の本質をつかむことができればノーベル賞を受賞し、歴史に偉大なる功績を残すことができるかもしれない。だがまずは本質「的」な問題をつかむだけでも、思考を伴わずに行った短絡的行動に比べれば、圧倒的な効果が期待できる。
表出的な問題は問題ではない
多くの人は何らかの成果を挙げようとして様々な問題に対処しようとする。しかし、そうした問題は大抵の場合、テコで言う「支点に近い部分」に位置する表出的問題である。表出的問題への対策のことを対症療法というのだ。
メタ思考ではテコの支点からより遠い本質的問題に対して、したたかにメスを入れる。つまり、核心を突くということは「ここを変えれば最も大きく動くだろう」というレバレッジ・ポイントを見つけることである(前ページの図13)。
レバレッジ・ポイントを見抜くことは、当たり前だが簡単ではない。ただ、そうかと言って表出的問題ばかりに手をつけるのもコスパが悪すぎる。
目に見える問題は取り組みやすいが、それに対して一生懸命対処しても、結果として得られる成果は小さい。しかも物理的に相当大きな力を加えなければならないし、それで一定の成果を挙げたとしても、問題の根源にメスを入れていないので必ず新たな問題が出てくる。そして結局、モグラ叩きをするかのように、延々と表出してくる問題に取り組まなければならないのだ。
しかもモグラ叩きでは、「苦労>成果」という法則が成り立つ。レバレッジ・ポイントであるスイッチを切らなければ、いつまで経っても問題はなくならない。
よって、見えている問題にはできるだけ手を触れてはいけないし、仮にその場しのぎが必要だったとしても、目の前に見える氷山の下にある大きな氷の固まりを常に意識しなければならない。
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