思考論_第一章_

1-2|考えるとは何か?【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】

 AIやロボットの台頭によって、我々人間は何をすれば良いのか、人間の本源的な価値はどこにあるのか、改めて問われる時代がきている。
 ある人は原始的生活に憧れ、ある人はシステムやテクノロジーに便乗する、そしてある人は悟りや宗教に道を見出すかもしれない。

 そんな中、私は考えること〝のみ〟を職業の中心に据えている人を「ブレイン・アスリート」と呼んでいる。
 糖質制限ダイエットや筋トレブームの昨今、「考える力」を鍛える人が増えている。早朝ヨガやランニングなどを通して身体を鍛える30代ビジネスパーソンと同じようにだ。

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たくさんの方に手に取っていただいた「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」(プレジデント社)。コロナウィルスの影響で活動が制限される期間に限定して全文公開しています。令和時代の生き方・働き方をぎゅっと凝縮した一冊です。

考える力を鍛えれば一生食べていける

 ブレイン・アスリートは、普通のアスリートと同様にストイックな生活を送っている。
 無駄な情報を自分の意識が引き寄せないように部屋と生活をシンプルにし、新聞やテレビなどを見ない。頭の回転を維持するための食事(特に料理に使う油に気を遣う)、無駄な情報に吸着されてしまった意識をひき剥がすための呼吸やヨガなどもする。
 偏見や固定観念を日々ひき剥がすには、筋トレのように練習が必要だ。
 決して楽な道のりではないし、この時代を生き延びる最適解とまではいかないかもしれないが、私は「考えること」は、一つの有力な解ではないかと思っている。考える力を鍛えることは、一生食べていける力をつけることと同じくらい重要だと信じているのだ。

考える人ほどロジックツリーを使わない

 冬季五輪の競技だけで100種目以上あるのと同じように、ブレイン・アスリートの世界にも様々な競技が存在する。学術研究の世界で競う人もいれば、全人口のうち上位2%のIQを持つ人(その団体をメンサと言う)、操る言語の数を増やす人もいる。頭の回転や記憶力を競う人もいる。

 私のブレイン・アスリートとしての競技は「メタ思考」であり、端的に言えば抽象と具体の「距離」を競うものだ。運動競技にたとえれば高跳びみたいなものだと思う(メタ思考については、後ほど説明する)。

 世の中には思考法のような形で考えるための本はたくさん出ているが、それらのほとんどが「考えるための言葉の使い方」を説明している。

 たとえばロジカル・シンキング、あるいはwhy?(なぜ?)やso what?(だからどうした?)を考えろ、というものだ。

 たしかに考えるにあたって、これらのツールや言葉は〝補助輪〟の役割を果たすだろう。それをきっかけに、一歩深い言葉や概念も見つけることができる。

 だがそれは考えることの本質を示さない。それは思考力を直接的に説明していない。実際、私は考えるときにロジックツリーなどの補助輪をほとんど使わない。ただし考えるトレーニングをするうえで最適なので、本書の第2章で紹介する。

「考える」最終目的とは?

 では本当の意味で「考える」とは何か?

 ここで私は改めて定義する。「考えるとは、概念の海に意識を漂わせ、情報と知識を分離・結合させ、整理する行為」である。つまるところ、考えるとは「意識的な行為」なのだ。

 考えるとは頭を使うことだと一般に言われているが、そうではない。どういうことかと言えば、意識を使うことである。考えるとは、意識を使って情報を整理することだ。これがブレイン・アスリートの出発点である。そして、「意識を自由にコントロールすること」こそ、最終的な私たちの目的地である。
現時点ではわかりにくいかもしれないが、少しずつわかってくると思う。

 禅の入門のための絵図に「十牛図」と言われるものがある(図4)。悟りに至るまでの道筋が10枚の絵で表されているもので、自分の牛、つまり本当の自分を探すところから物語は始まる。物語を通して心の内を探りながら自らの本質に気づき、そこから解を得る手法を説いている。従来の問題解決技法は、すべて外の世界をどう観察するかをその前提としていたが、この十牛図では、自分の内側(意識)の世界をどうコントロールするかに焦点を当てている。

 私が考えるうえで大切にしているメタ思考も、その流れを汲む(図4)。
 メタ思考とは具体的に言えば、対象を一度抽象化して本質に迫り、再度各論に落とす思考のことである。思考の幅をできるだけ広く取り、因果・上下関係を整理することで対象を立体化し、最終的にどれだけ本質まで結晶化できたかが勝負となる。メタ思考とは抽象と具体の距離、空間軸の広さ、そして情報と知識の結合能力を競うある種の競技なのだ。

 メタ思考における結晶化とは、言葉を再定義することである。言葉を再定義していくことで物事の本質を突く。それが思考家である私の仕事であり、読者にも目指してほしいところである。
 私はこれまで考えることを仕事にしてから、いくつもの問いを立ててきた。投資とは何か、企業とは何か、お金とは何か、人間とは何か……といった具合である。参考までにそれぞれの再定義と著書を紹介する。

・投資とは「価値と価格の差に賭けること」(『知ってそうで知らなかったほんとうの株のしくみ』、PHP文庫、2013年)
・企業とは「価値を創造するコミュニティ」(『デューデリジェンスのプロが教える企業分析力養成講座』、日本実業出版社、2008年)
・お金とは「外部化された信用」(『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』、ダイヤモンド社、2013年)
・人間とは「情報に吸着した意識の集合体」、生命とは「関係に宿る意識」(ともに『新しい時代のお金の教科書』、ちくまプリマー新書、2017年)
・仕事とは「才能を貢献に変える作業」(『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』、KADOKAWA、2017年)

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