思考論_第一章_のコピー

3-5|2020年以降、「仕事」はこう変わる【1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法】

ソサエティ(社会)からコミュニティ(共同体)へシフトする中で、私たちの働き方や仕事はどのように変化するのだろうか。
 仕事の変化を一言で言えば、それは労働から貢献へのシフトということになろう。

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たくさんの方に手に取っていただいた「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」(プレジデント社)。大反響を記念して、8/14限定で全文を公開します! 令和時代の生き方・働き方をぎゅっと凝縮した一冊です。

仕事は労働から「貢献」へ 

 それは何か時間を使って作業をすることではない。コミュニティに対して貢献することが仕事となる。

 先にも述べたように、作業だけではなく、その人が「存在」していること自体が仕事となる場合もある。

 一つ前の項目で、経済の中心はモノでもコトでもなく、ピア(誰かと一緒にいること)になると述べた。そうなると、誰かと共にいること自体が仕事となる。

 最近の卑近な例を挙げるのであれば、友活などもその部類に入る。何かを提供する作業を伴わず、一緒にいること自体が相手にとって価値となるからである。

 したがってまずは、一緒にいて気持ちの良い人になる必要がある。

 会社組織に所属する場合でも、最も重視されるのは学歴やスキルではなく、「一緒に働きたいか?」という一点に集約される。

 一緒にいて気持ちの良い人とは、一般的にはコミュニケーション能力の高さを意味するが、コミュニケーション力とは、言ってみれば「人との距離感のマネジメント」にほかならない。嫌いな上司、尊敬する先輩、未熟な後輩、友人、親戚、あらゆる人それぞれに応じた適切な距離を10段階くらいで設定でき、それぞれに応じた接し方、言葉の使い方、語彙を増やしていくことである。

 相手を単にブロックするのか、仲良くなるのかといった白か黒かの選択ではない。相手との関係にグラデーション(濃淡)をつけることである。

 次に、仕事の現場においては誰もが感情労働者(エモーショナルワーカー)たるべきだということだ。これは人の心の機微を敏感に知覚して、しかるべき対応をする意識を働かせるということである。

 本書はあくまでも思考論(考えるための意識の使い方)を説いたものであるが、意識の使い方には後に述べるように、相手の気持ちに焦点を当てるといった国語のような方法もある。

 くり返しになるが、巷で叫ばれるAI脅威論に対して、AIやロボットが仕事を奪うということについて気にする必要はない。AIは思考しない。ただ計算するだけである。計算はそれがどれほどの関数や変数を使おうと次元を超えることはできない。AIが目指すところはあくまで情報の最適化。「フレーム問題」に対処できておらず、上位次元から物事を捉え、有機的につなげることができない。それができるのが、人間の強みである。

 人間は意識を使うことができる。意識は次元を超える。先ほどのエモーショナルワーカーのように、相手の胸元に意識の焦点を当て続ければ、自ずと相手の考えていること、望んでいるものがわかる。AIに勝つには計算力をつけるよりも、意識をコントロールする力を養うほうが大事だ。

縦と横のつながりを作る

 仕事が労働から貢献へと変わるとき、私たちが取り入れるべき具体的な行動がいくつかある。
 たとえば21世紀においては、単なる「業界人」の価値は下がる一方である。

 専門性が不要と言うわけではない。たとえばM&Aという課題を解決するには会計や財務、税務、法務、人事、業務、ITなどの専門家集団(ファンクショナル・エッジ)が必要になる。

 ただ、現状ではそうした専門家集団(業界)は機能的に分断され閉じているので、いくら業界知識を持っていてもM&Aのような大きな課題は解決できない。それができるのは、優秀な経営者やプロデューサーなど、メタ思考で課題を俯瞰して横串を刺して見ることができ、最適な解決策を考えられる人に限られる(図37)。

 そもそも私は「業界」とはある種の固定観念だと思っている。慣習的に確立された仕組みの中でオペレーションを回すもの、それを業界と言う。そこで優先されるのは効率化であり、仕組みと目的が定義されたフラットな領域における最適化について、AIはとっくに人間を超えた。この構成員たる「業界人」は徐々に生きづらい時代になる。金融業界で起きている大規模リストラが業界人の衰退を如実に表している。

 出版業界で働いているなら、IT業界やアート業界とは絶対につながらなければいけないだろうし、世の中に存在する様々な社会課題に対しても首を突っ込んでおくべきだろう。あとはグローバルへの対応。わずか1億人強しか使わない日本語にこだわるのではなく、自分なりに得意な言語を選んで、その言語圏での出版トレンドに敏感になっておけば大きな強みになる。もし紙メディアだったら、ウェブメディアやアニメ業界、動画ストリーミング業界ともつながっておく必要がある。

 そうやって縦や横のつながりを日頃から作ってどんどん組み合わせていかないと、新しい発想は生まれず、斜陽産業である出版業界の中では生き残れないだろう。

 しかも、ネットワーク社会に移行していくと、今まで以上に専門性が容易に調達できるようになる。無数のプロフェッショナルに直接仕事を依頼できるクラウドソーシングもあれば、SNSのネットワークを使ってプロ人材を探し出し、仕事を手伝ってもらうこともできる。

 だからこそ業界という枠組みを超えて橋渡しすることで新しい価値を生み出せるハイブリッド人材の価値は乗数的に上がるのだ。たとえば税理士の年収は500万円、ベトナム語の通訳の年収も500万円、だがベトナム語を話す税理士の年収は5000万円である。

 アートの世界を見ても、本当に大成功している天才と言われる人たちは皆、ハイブリッド人材である。世の中には絵が得意な人は掃いて捨てるほどいるが、やはりピカソやモネを挙げるまでもなく、現代でも千住博氏などは別格である。彼らは絵描きであると同時に、思想家・哲学者でもあるからだ。

 もちろん、自分の好きなことに没頭しながら生きやすくなる社会ではある。でももし何かの世界で圧倒的な成果を挙げたいなら、自分のアトリエを飛び出し、知識を貪欲に学び、その知識を統合することにしか成功はないだろう。

マスター・メンターを持つ

 どんな仕事を選ぼうと、マスターやメンターを持つことは必要だ。

 なぜならコミュニケーション作法や所作、考える枠組み、倫理基準などの仕事のスキルは「身体知」であり、言語化できるものではないからである(つまりビジネス書を乱読しても本質を身につけることは難しいということ)。

 身体知を身につけるためには仕事のロールモデル(師匠)を見つけて、じっくり観察してモデリングすることが成長への最短距離である。

 マスターとは職業軸のつながりのことで、メンターとはプライベートな軸のつながりのこと。前者はティーチングやコーチングをしてくれる「師匠」、後者は焼肉を奢ってくれながらメンタリングをしてくれるような「先輩」のことで、プライベートな軸のつながりを指す(図38)。

 マスターとメンターなきキャリアはまずないだろう。地方の工場で働いていようとニューヨークのゴールドマン・サックスで働いていようと、それは変わらない。

 たとえばマネックスグループCEOの松本大氏のマスターはジョン・メリウェザー氏。世界中から天才を集めてきてLTCMというヘッジファンドを作った経験を持ち、今でも派手に活躍する伝説の投資家だ。そのメリウェザーが師匠として崇めているのが、世界最大の投資ファンド、クォンタムファンドを率いるジョージ・ソロス氏。

 こうやってマスターやメンターの系譜はつながっていくもので、それは21世紀に入っても変わらない。むしろネットワーク社会のおかげで、今までは出会うことすら叶わなかったような人ともつながりやすくなる。

 逆に言えば自分が成長したときは、面倒くさがらずにプロフェッショナル軸の「弟子」とプラベート軸の「後輩」を持ち、その系譜を永続させていく姿勢が重要である。

 ちなみに私のM&Aの領域のマスターは三菱商事、アステラス製薬など多数の社外取締役や監査役を務める岡俊子氏だ。その岡氏のマスターが旧デロイトトーマツやアビームコンサルティングを設立した西岡一正氏である。

 マスターやメンターは必ずしも自分のすぐ近くから探す必要はない。

 自分が習得したい分野で能力的にも人間的にも尊敬できる人を見つけたら、多少強引でも弟子入りさせてもらう道もある。本や記事を読んで感銘を受けた人がいたら、SNSでダイレクトにメッセージを送ってアポイントを取るという方法もあるだろう。もしくは講演会などに参加して、講演後の交流タイムで挨拶をし、フェイスブックなどでつながり、その人が何かプロジェクトを動かすときに真っ先に手を挙げ、無償で貢献するという方法もある。

 弟子入りさせてもらううえで最も大事なことは、第1章の冒頭にも書いたが、愛嬌。次いで、とにかく使えるヤツと思われることだ。

素直さを磨き上げよ

 マスター、メンターの話に通じることとして、私は職業訓練における最大の美徳は「素直さ」だと思っている。素直ということは脳のハードディスクドライブに空きがあり、幼児の体のように思考も柔軟だということだ。

 実際、私の会社ではできるだけ社会人経験のない人を採用するようにしている。それは経験がないほうが仕事の「型」を教え込みやすいからである。

 経験のない人はそれを自分の弱みだと考えがちだが、実はそれはアピールポイントなのである。様々な新人に仕事を教えてきた立場から言って間違いない。

 仮に30歳を過ぎていて職能が身についていない場合でも、やはり最大のバリューは素直さだ。卑屈になる必要はない。

 素直さは生まれ持った特性ではなく、訓練で身につけられる。本文でもくり返し伝えているように、物事を俯瞰で見る。物事をゼロイチではなくグラデーションで見る。もう少し具体的に言えば、自らの人生で否定してきたものをあえて肯定してみる。嫌いな人、苦手な領域、避けてきた勉強を肯定してみる。

 このような訓練を1ヶ月くらい続けると、一点に吸着していた自分の思考パターン、すなわち偏見や固定観念を一つひとつ解きほぐすことができる。

地方と海外に活路を見出せ

 訓練するのはいいが、どこで頑張るかという話もある。

 この国の未来に閉塞感を抱いている若者の多くは、心密かに「維新」を求めている。だが、残念ながらこの先の日本に「黒船」がやってくる理由は見当たらない。

 では今の若者は、どこに活路を見出せばいいのか?

 方策は2つある。「地方」と「海外」である。

 イノベーションは常に「周辺」から起こる(図39)。なぜなら「周辺」は「現実」とこすれ合い、摩擦し合っているからだ。日本のコアである霞が関は現実に触れていないので、そこでは空論ばかりが飛び交う。

 よって、もし志があるなら地方で旗揚げするのが一つの手だ。幕末維新も地方の脱藩志士によって成し遂げられたことを思い出そう。

 もしくは一度、この国を出て行くのも手だ。

 これまでは「日本企業」と「日本国民」と「日本政府」は三位一体として捉えられてきたが、今後は分裂する。

 2006年頃から先見のある「日本企業」は日本を捨て、グローバルに戦うことを決めた。世界市場を意識して外国人留学生を積極的に採用する企業も増えている。日本企業が日本人を雇わなければならないという理屈は存在しないので、ここで決定的に「日本企業」と「日本国民」「日本政府」は分離・反発することになる。優秀な外国人を新たな乗組員として迎え入れることができた企業からそそくさと世界航海に乗り出しているのだ。

 逆に日本から出て行かない日本企業は、政府の庇護のもとにある重厚長大企業と、その体力がない中小零細企業だけだ。

 では、「日本企業」に去られる可能性の高い「日本国民」と「日本政府」はどう出るか?

 前提として、行政の無駄はなくならない。市民革命を経験していないこの国は実質的には封建国家であり、国民が「お上」に口答えすることは決してないのだ。

 そうなると財源の確保が問題になるので、政府は出て行ってほしくない企業に媚びて法人税を下げる方向で動いている。そのしわ寄せは消費税増税である。

 ただ消費税の増税はさらなる内需の圧迫につながることになり、国内の閉塞感はますます高まらざるを得ない。

 加えて、政府は国民資金のロックによる財源の確保を狙うだろう。政府の負債と国民の預貯金はそれぞれが1000兆円でプラスマイナスゼロの関係にあるが、それは国民が間接的に国債を買っていれば成り立つ関係だ。

 だが国民も、今さらゆうちょにお金を預け、政府に騙し取られるほどバカではない。グローバル企業へと進化する日本企業や、成長する海外企業・資産へ少しずつ財産を移すはずだ。

 国民からも財源を確保できないとなると、政府は国民の要請をかなえることは何一つできない。もし一つあるとすれば、それは「日本円通貨の国際的なIR(資本家対話)」であり「高度な産業資本政策」であるが、そのような機能を持つ組織はない。では今後新たな組織が生まれてこの国を導くかと言うと、情報化・分散化が進んだ今、そんなことはありえない。

 だとするならば、出て行ける者から出て行くとなるのが当然だ。

 若者はグローバルに出て行く新進気鋭の中堅企業に乗るか、グローバルで戦う外資系企業、あるいは自らの筏で世界を巡るしかない。それができないとしたら、新たなコミュニティを地域やバーチャルに形成し、その中で小さな生活と幸せを享受することになるだろう。

正社員はリスクでしかない

 私は学生から進路相談を受けるが、就職を勧めていない。お金と健康の問題を抱えた会社勤めの友人がいたら、即時退職を勧めている。

 それはなぜか?

 そもそも会社に就職するのは「手に職を」、あるいは「信用を」という理由からだろう。でも90%の会社では手に職がつくことなどない。旧世代の産業システムのやり方や会社独自の文化を身につけることは、市場価値から言えばリスクにもなりうる。それに社会的信用を担保できる企業はせいぜい3?5%。誰もが知るような世界的企業と、三井、三菱といった商社の一部くらいだ。

 何度も言うが、これからの時代、信用は個人で作っていくものである。

 私の考えるキャリア設計の解の一つは3段階に分かれる(図40)。

 10代~20代は「修行期」と捉え、マスターやメンターの側で仕事の技を盗んだり、留学やインターンで海外を経験したり、大学院などでビジネスを学ぶ。

 特に20代は信用をどんどん作っていかなければいけない。その信用を使うのは30代~40代以降。お金と同じで浪費をせず、コツコツ貯めることが大事である。

 信用をスピーディに貯めるためには、求められた仕事に対して必ず相手の期待値に20%上乗せしていくことが重要だ(私はこれを120%ルールと呼んでいる)。

 逆に言えば、自分の思考と知識の限界から8割のレベルで十分な成果を挙げられる仕事を選ぶことが上司やクライアントへの誠意だと思う。研鑽は自分のお金で積むべきである。そうやって信用残高を増やしていくことで見えてくるものがあるはずだ。逆に修行期間である20代にお金や地位や名誉を求めるとうまくいかない。

 30代、40代は「孤軍奮闘期」と捉え、起業を経験したりしながらリーダーシップとマネジメントを学ぶ。30歳前後になれば自然と新しいミッションが芽生え、一念発起する人が出てくるはずだ。ただし、業界をまたいで大きな挑戦をしていきたいなら、40歳くらいでようやくちゃんとした価値が出せるようになる(逆に40代にしっかり価値を作れないと、50代以降で後はない)。
 そして50代、60代は一国一城の主となり、会社を率いながら人を守る。

 このように武道で言う「守破離」の順番に沿って、人生のうち3回は非連続的にキャリアを変えて、出世魚のように生きていくのがベストだと思う。

 大企業のどんな優秀なエースでも、35歳までに会社の外に出て広いマーケットであらゆるリソースの制約の中で戦ってみないと、井の中の蛙になる可能性が高い。

 いずれにせよ、そういう意味でも「一つの企業で働き続ける」という発想は捨てたほうがいい。

 私のような40代の親世代はよく「正社員になることが安定をもたらす」と言うが、それもない。新入社員の30%が3年以内に、最初に勤めた企業を去る時代である。それが前向きな転職ならいいが、特に若い世代の退職は心を病むことが原因であることが多く、その後のキャリアが低空飛行になることもある。つまり、正社員にこだわることは長期的視点で見るとむしろ不安定になりかねないのだ。

 ならば上意下達で自由度のない職場を選ぶよりも、不安定飛行ながらも時間と人との距離感(ストレス度合い)を自由に選択できる「健康的自立」を最初から選ぶほうが長期的には安定するのではないだろうか。
 ネットワーク社会ではそうした生き方がしやすくなる(図41)。

会社はオペレーションとイノベーションの掛け算

 人は何かと「できる、できない」で選択肢を考えがちだが、今の時代、「やりたいこと」を優先すべきである。

 人は好きなことをやっているときが最も集中しているし、スキルも上がるからだ。

 それに雇う側にとっても、管理コストが一番低く済むのは、忠誠心があって仕事に専念できる社員である。決して仕事ができる人ではない。

 会社は常にオペレーション(業務)とイノベーション(進化)の掛け算でその強さを発揮するものである。

 仮にある企業が、仕事ができる人や実績のある人ばかりを求めているのであれば、その会社は極めてファンクショナル(オペレーショナル)に経営されており、外的変化に弱いと判断できる。そのような会社はそもそも避けたほうがいい。

 これからの企業が求めるのはイノベーション(進化)を牽引できるタイプの人材である。

 その点、やる気さえあれば、自分が就職したい会社の事業についての知識や経験がなくても他での知見をその事業に適合させながら進化を促すこともできる。だから実績や経験がなくとも堂々とやりたいことのできる会社を選び続ければいい。必ず道は開けるし、実際、私の周りでそうした想いを捨てなかった人は、今やりたいことが存分にできる境遇を手に入れている。

キャリアの8つのロールモデル

「自由に生きろ」と言われても、新しいロールモデルがなければ路頭に迷う人が出てきて当然だろう。
 ここでは参考までに、私なりにまとめた「8つのロールモデル」を簡単に紹介したい。小泉進次郎衆議院議員をはじめとする若手議員による「2020年以降の経済財政構想小委員会」においてプレゼンをしたものである。

 私はそのプレゼンで、多様なキャリアパスが成立する時代になることを説明したうえで8つのロールモデルを提示し、さらにそれぞれのキャリアパスを早い段階から自主的に選択し、効率良く学べる生涯キャリア制度を提案した(図42)。

 なお、図の中の⑧にあるオペレーション人材以外はすべてプロフェッショナル人材(もしくはごく少数のジーニアスクラス)である。プロフェッショナル人材とは、新たな商品・サービスの開発などの取り組みを通じて、企業の成長戦略を具現化していく人材のこと。オペレーション人材とは、あらかじめ定められた定型の仕事を行う人材を指す。有期雇用の派遣社員や契約社員、アルバイトなどが該当する。現状ではおそらく生産人口の80%をオペレーション人材が占めるが、2045年くらいになればその割合は60%くらいまで減り、プロフェッショナル人材が増えるのが理想的な配分だと予想している。

 これらはまだまだ粗い仮説にすぎない。ただ抽象論だけを語っていても政府や行政は動かないことがわかっているので、具体的な案を提示したものである。

 この8つのロールモデルは、どれが偉いとか、位が高いといった差はなく、個人の資質に合わせて選ばれる前提のものである。

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山口揚平 Yohei Yamaguchi
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