日記-2024/09/24

 夏に買ったのを消費しきるために昼にそうめんを食べた
 つけ麺スタイルの食べ方はやっぱり好きだな。

 マスカットのケーキを食べた。だって今日は伊集院惠さんのお誕生日だったから。
 記事が緑色なのでこれもマスカット味なのかなと思ったけど、とくに風味は感じなかったのでただの彩りっぽい。おいしかった。

 最近自分の中で小説を書く機運が高まってきているため、溜めていたアイデアのメモを整理したり、断片的なシーンを書いていったりしている。
 以前メモを取るために使っていたEvernoteを久々に開いて当時のアイデアをサルベージしたりもした。
 Evernote、久々に開いたときに普通の画面にたどり着くまでがマジで謎解きみたい。
 機能制限の範囲が変わったお知らせだったり、有料プランへの案内が出てきたりするのを、英語直訳調の日本語の意図を汲みつつ、どこを押せば有料プランの選択画面に飛ばされることなく普通の画面にたどり着くかのゲーム。
 そのことついてどう思っているかは伏せるけど、とりあえず遠からないうちに書いてある物全部別の場所に移すことは検討している。
 とはいえ検討を始めてから数年経っているので遠からないうちというのは嘘になるかもしれないけれど……。

 小説書くの、とてもむずい。最近はこうして日記をつけることで、自分の考えていることを140字よりも多くの文字数で書きだす機会も増えているけど、事実ベースで書くのと、状況描写から出来事から自分で考えて書きだすのとではやっぱり使う脳筋(のうきん(脳の筋肉(脳みそまで筋肉のことではない)))の箇所が違う。
 かっこいいシチュエーションはふんわりと思いついているのに、どうしてもキーボードをたたく指が、言葉を紡ぎだす語彙が、それに追いついていかないのだ。

 こうして自分の語彙や文章能力に向き合いながら文章を書いていると、ふと手が止まった時に、言語なんていう人間の思考や感情といった複雑怪奇な物を脳内から外に出すにはあまりにも力不足な誤解産み産みツールが脳内情報を出力するために必須な物であり続ける状況が数百年も数千年も続いてる、あまりにも恐ろしい事実に思いを馳せてしまう。
 現代の世界で一番早い移動手段が人力車しかないみたいなものだと思う。
 いったいどれほどの天才的なアイデアが脳内からうまく外に取り出せなかったという理由で個人の脳内にしまわれたまま消えていったのだろうと考えだすとめちゃくちゃ怖い。

 早いところ思考や感情をうまいことそのまま伝達・保存する手段が発明されてほしい。
 思考を伝えるために言語が必須ではなくなり、「言語を使ってらっしゃるんですか?粋ですねぇ」みたいな風潮になった世の中でうまくいかねーって言いながら小説を書く人になりたい。

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