【数理小説(9)】 『無限の帝国3 無限の選挙』(選択公理)
無限城、王の間。インフィニティー帝国のアレフ王と、宰相のチョイスが向かい合って話をしている。チョイスはいつものように深刻な顔をしており、アレフ王は珍しく、腕を組んで目をつぶりながら、時々深くうなずいては感心している。チョイスは今日の王の態度に満足しており、国が本当に危機に陥ればきちんと物事を考える、国思いの王なのだ、とアレフ王を見直し始めていたところであった。
「……でありますから、例の無限帰納戦法という名のネズミ講のせいで、我が国の領土内の属洲は分割に次ぐ分割が進行し、ついに数だけは無限になったわけでございます。領土のほうはまったく広がっておりません。しかしながらこの事態は、以外にも喜ぶべきことになりました」
「うむ」
「といいますのも、インフィニティー帝国は、各属洲から税金を納めさせております。属洲が無限大となった今、ほんのわずかばかりであれ税金を徴収いたしますと、その総額は無限になるわけでございまして」
「うむ?うむ」
「つきましては、返却が絶望的とされていた、自転車操業による他国への莫大な借金も、この度返せる見通しが立ったのであります」
「うーむ。うむ」
「これも、我がインフィニティー帝国に、狭い国土ながら無限の数の住民がいたおかげであります」
「うむ」
「国土が有限なのに住民の数が無限というのはおかしいと言う人もいるかもしれませんが、それはいくらでも小さな部族がいるからでありまして、まあそこんところはあんまり難しく考えないことにするといたしまして、さらにいうと無限のお金だって有限の土地には収まりきらないではないかとか面倒なことを言う人はきっといると思いますが、ここは無限平面世界なのでいろいろ不思議なことがあるのだ、ということで説明は一切省略いたしますのでお許しを」
「うむ」
「ですがまだ別の問題がある……やもしれませぬ」
「なんとまあ」
「税を治めさせるためには、各属洲が統治されていなければなりませぬ。それにはすべての属洲で、長が選出されている必要があります。ところが長を選ぼうにも、無限の属洲があるわけでして、「無限の選挙をすることは、不可能ではないのか?」と、元老院の一部の者が疑問を抱いているのであります」
「あ、それ!」
話に間の手を入れるアレフ王の髪の隙間から、耳にイヤホンが差し込まれているのをチョイスは見つけた。
「王様!話を聞いていないのですか。なんですかそれは。音楽を聴いているのですか?音楽なら王様らしく、宮廷音楽家たちに演奏させればよろしいではありませんか。いつになく話を真剣に聴いていると思ったら、まったく」
「あ、いやあ、これはその、なんだな。ハハハ」
チョイスは気づいた。音楽のCDなどではない。『聴くだけであなたも名将になれる・リッチキングレッスン』という自己啓発CDである。先日無限城を訪れた、最果ての地から訪れたという行商人が、言葉巧みに王に薦め、チョイスが「騙されてはなりません」とさんざん言ったにも関わらず、王は20巻セットを購入してしまったのだ。
「ああ、なんということでしょう。まったく私の話を聞いていませんでしたね。これから選挙が必要だというのに」
「いやいやチョイスよ、なにを言うか。聞いておったとも。たかが属洲の選挙の話であろう?それがなに?無限だから難しい?ああ、それだけのことか。心配するでない。有限であろうが無限であろうが同じことだ。各属洲から、優れた者を一人選出すればよいのだから」
「優れた者と簡単におっしゃいますが、住民の数も無限である属洲で人を選び出すのは、大変なことでして」
「それがなんだと言うんだ。選挙が大変なら……例えばそうだな。もっとも高齢な者を代表にする、ということでもよかろう。うむ、それがシンプルで良い。そうしろ。統治者がいないよりはましだ」
「はあ、もっとも高齢な者ですか……たしかにそうですな。つまり、当面は長など誰でも良いわけで、それなら高齢者と定めてしまえばもっともらしくもある、と。いや、さすがは王様。元老院はなにをくだらないことを疑問に思ったのやら。では早速、王様の仰せの通りに手配をしてまいります」
チョイスはあっさりと王の意見を受け入れた。いや、そんなに単純な話なのだろうか?だが、王の言うことは理に適っているように思われてならない。
チョイスは言いつけに従って早速代表を選ぶべく、その場を後にした。
「王様、大変です!」
チョイスは、王の元に駆け込んできた。もう日が暮れかかっている。
「なんだ。慌ただしい。静かにせぬかあ。余は、夕食の真っ最中であるぞ」
「はあ、お食事中でございましたか。これは失礼いたしました。ですが王様、大変なのです。代表が選べません!最大の年齢の者がだれか、決まらないのです」
「決めるもなにも、最高齢者というものは自ずと定まるものであろう。それともなんだ?我が国の属洲には、年を数えることもできないものばかりだとでも言うのか?」
「いいえ、年齢を数えることはできるのでございます。ですが、これこそが最高年齢という者を選んでも、たとえば122歳の者が見つかったとしても、次には122歳11ヶ月、その次には122歳11ヶ月30日、さらにその次には122歳11ヶ月30日23時間……というように、その国の中にほんの少しだけ年齢の高い者が見つかってしまうのです」
「バカなことを申すのう。そんな属洲はもう放って置け」
「それが、すべての属洲がそうだというのです」
「あきれるのう。だったらもうなんでもよいではないか。例えばだな、最大がだめなら最小でいいだろう。そうだ、そうしろ。成人したものの中で、最小の身長のものを長にすればよいではないか。それがいい」
「ああ、さすがは王様。身長の最小というのは、これはすぐに決まりそうですな。ではさっそくそのように……」
だが、王の間を出て行った宰相は、また間もなく戻ってくることになった。
「王様、大変です」
「なんだ!余はトイレに入っておる!」
「ああ、これは失礼いたしました。ですが一大事なのであります。実は、身長の最小の者が選べません」
「属洲には、身長を計れぬ所があるとでも言うのか?ええ?」
「そうですよねえ。私もそう思うのですよ。思うのですが、この世界は広うございます。実は、これという人物を見定めても、必ずそれより小さな者が現れてしまうということでございます。その人物が最小かと思っても、たとえば1メートル1センチの者、その次には1メートル1ミリの者、その次には1メートル0・1ミリの者……という具合に、またそれより小さな人物が現れるというのです。それがどの属洲でも同じことが起こっているというのです。だから定められない、と。本当の話です」
「ああ、まったくもう……」
王はあきれるでおさまらず、悲しくなってきて泣いてしまった。
「そんな属洲は……ええい、では、体重が余の体重にもっとも近い者をさが仕出し、その者を長に決めよ」
「ああ!王様と体重の近い者を選ぶ。支配者にふさわしい体重、とでも言うと、これまた意味ありげで良いですな。さすが」
「そうだ、そうだ。最大でもなく最小でもなく、もっとも近い者だ。これなら選びやすいであろう」
「早速行って、手配をして参ります」
「はぁ……疲れるのう」
チョイスはその場を後にした。
「王様、起きてください。王様……」
「う、うーん、むにゃむにゃ……」
「王様。王様。おーさまーっ!!!」
「うわあっ、何事だ!敵襲かっ!」
「属洲の代表が選べません」
「その前にお前は時と場所を選べんのか。余は見ての通り、眠っておったのだぞ」
「ああ、これはこれは失礼いたしました」
「わざとであろう。お前、少し楽しんでいないか?余に恨みでもあるのか?」
「滅相もない。私が王に恨みを持つことなどありえましょうか?」
王は考える。心当たりがありすぎることに気づき、考えるのをやめる。
「それでなんだ、今度は」
「はい、一大事でありますから、報告いたします。王様と体重が近い者が選べないのです」
「そうかそうか。それはそれは、大変なことで」
王の言い方も皮肉めいてくる。
「つまり、体重を量れぬ属洲があるとでも言うのか?ばかばかしい」
「いや、本当にけしからんばかばかしい話ですが、ハハハ。いろいろなことがあるもので。実は、あらゆる体重の者がおりまして、限りなく正確に計ると、いくらでも王の体重に近い者はいる、ということでございます。もう、0コンマ00000001グラムとか、もっと細かい重さまで計って決めるわけですが、決まりません」
「まったく……」
すでに深夜になっていた。王は眠くてしかたない。
「じゃあ、ジャンケンだ」
「無限の住民がジャンケンをすれば、永遠にあいこになるでしょう」
「ぬぐぐ……もう、なんでもいいから、だれか決めてしまえ」
「ああ、王様、適当に、なんでもいいから、というのでは選べません。どう選べばよいのですか」
「なんでだ。適当にだよ。それができないことはないだろう」
「それができないのです」
「んー……わかった!ではもう各属洲から選出するのはやめだ。どこか一つだけ属洲を選べ」
「はあ。して、どうするのでございましょう」
「その属洲の住民は全員長となるのだ。一人につき一つの属洲を割り当て、そこを治めさせるのだ」
「おお!それは画期的なアイディアですな。選挙は不要なわけですな?それでは早速、そのようにいたします」
「王様!」
「なんだ!」
「無限にある属洲の一つを選べません!」
「そんなわけがあるか!」
本当にそんなことがあるのであろうか。それは、神でさえ知らないかもしれなかった。
〈了〉
Ver.1.0 2020/6/20