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【落語(9)】 『景気』

 ツケ買い、ツケ払いってありますよね。他にも、借金とかローンとか後払いとか言いますが。他の言い方は?え?クラウドファンディング?まあ今はそういうのもございますが、掛売り、掛け買いなんていう言葉もございますな。江戸の頃の商いは専ら借金で成り立っておりました。あの三井グループの元を作った三井高利、ね、高利と書いてたかとし、が、「現銀掛け値無し」という現物現金の商売を始めるまでは、掛売り掛け買いのほうが当たり前だったんですよ。これからクレジット払いだのペイペイだのが主流になるでしょうから、江戸の頃と同じになると言えますな。
それで、売掛、買掛を清算するのが、大晦日ということになりましてね。買掛のほうが多い人はお金を用意するのに苦労したようで。
 さて長屋にご隠居さん、人のいい甚兵衛さん、しっかり者の女房などといった連中が揃いますと、噺の幕開けとなるわけでございまして……


甚兵衛「忙しいね。いや、忙しい」
女房「いったい何が忙しいってんだ」
甚兵衛「とりあえずはお茶でも飲んで、それから凧揚げに行くのに忙しいんだよ」
女房「自分から暇だってことを認めちまったね。やることがあるよ」
甚兵衛「ええ?旦那を凧揚げに行かせねえの?可愛い旦那だよ?」
女房「なんだいその可愛いってのは。べつに凧揚げをしちゃいけないと言っているんじゃないよ。ただ、やらなきゃならないことがあるだろうさ」
甚兵衛「じゃあ、羊羹を食べて、それから独楽を回す?ああ、それならいいよ」
女房「なにを呑気なことを言ってるんだい。ああ、でもちょうどいいや。その羊羹を買っておいで。栗の入ったやつだよ。はい、羊羹のお代と、それとべつに1円」
甚兵衛「え、羊羹が食べられて、お小遣いまでもらえるの。嬉しいねえ。もしかしてお前、俺を愛しているんじゃないのかね」
女房「なにが愛しているんじゃないのかね、だよ。しっかりしてくれなきゃ困るよ。あたしがいなきゃあんたはどうなるんだろうね。借りたものを返しに行かなくちゃならないだろうさ。羊羹はお届けするんだよ」
甚兵衛「ええっと、借りたもの?……ええ?それを返しに行く?これ、使えるお金じゃないの?」
女房「そうだよ」
甚兵衛「それはやめようよ」
女房「なんでだい」
甚兵衛「羊羹食べらんないじゃない」
女房「呆れたお人だねえ、借金をしに行くんじゃないだけましだと思いなよ。やっと返しに行けると思えば気持ちがいいだろうさ。つべこべ言っていたら、家ぃ追い出すよ」
甚兵衛「勘弁してくれよ。行くよ。行きますよ。しかし1円も。勿体ねえな」
女房「借りた恩をもう忘れちまったかい。後隠居さんに頭を下げてお金ぇ借りたんだろうさ」
甚兵衛「ああ、そうだった。あんときも俺が行かされたんだった」
女房「行かされたってのが人聞きが悪いよ」
甚兵衛「ああ、こりゃ長い小言になるね。そんなら行くよ。いや、行かせていただきますよ」
女房「行くのはいいけど、御礼の仕方わかってんのかい」
甚兵衛「御礼なんかいらないだろうよ。銭はくれたわけじゃないんだから」
女房「もうちょっとまともな料簡を持っておくれよぉ、おまえさん。ええ?暮れにどうにもやりくり算段がつかず、また死んだふりでもしようかって言っていたところを、助けてもらったんじゃあないか。何遍も借金を繰り返して、それでもお前さんのことを可愛がってくださるんだ。返せる時には、きちんとしたお礼をしなくちゃあいけないよ。あたしが教えてあげるから、覚えんだよ、いいかい?
 御隠居さんの前に出たらね、きちんとした挨拶ってのは、こいう形にね?手ぇ三角にして、前につく。そいでもって初めは「昨年の暮れにはたいそうお世話になりました。流行り病に景気も冷え付き、我が家の家計も火の車、首の回らなかったところをお救いただき、まことにありがとうございました」って言うのよ」
甚兵衛「初めは、ってまだあんのかい」
女房「後のことはいいからまず覚えな。「昨年の暮れにはたいそうお世話になりました」ってね。
甚兵衛「昨年の暮れにはたいそうお世話になりましたってね」
女房「「ってね」はいらないんだよ。も一遍やるよ。「昨年の暮れにはたいそうお世話になりました」」
甚兵衛「昨年の暮れにはたいそうお世話になりました」
女房「流行り病に景気も冷え付き、我が家の家計も火の車、首の回らなかったところをお救いただき、まことにありがとうございました」
甚平「流行り病に景気も冷え付き、我が家のかけーおひおふうふぁところをおゆーいいただき、まことにありがとうございました」
女房「なんかごまかしてないかい?」
甚平「そんなこたぁねえよ。はい。次。さよならっつって帰る?」
女房「先があるよ。まだお金を返してないだろうさ。その先は「春永になり、景気もよくなりまして、商いのほうも少しずつ上を向くようになって参りました。遅くなりましたがどうにかやりくりもつきまして、こちらのお貸しいただいたお金をお返しいたします。御隠居さんと私共との間柄では、利息をお支払いするのも却って失礼になるかと存じます。かと言ってこの度の御恩に報いませんのも心苦しい限りです。つきましては、つまらないものではございますが、こちらはほんの御礼だと思ってお納めください」」
甚兵衛「・・・・・・・・・・・・・・はい」
女房「はいじゃないでしょ」
甚兵衛「ちょっと、長いよ」
女房「仕方ないねぇ。「お貸しいただいたお金とお礼でございます」でいいことにするよ」
甚兵衛「はあ。行ってきます」
女房「あー、それからね・・・」
甚兵衛「か、勘弁してくれ。まだあんのかい」
女房「聞いたところ、あんたは借りに行ったときも、お金を借りたらすぐ帰ってきたっていうじゃないか。失礼な話だねえ」
甚兵衛「貰うもん貰っちまったら、もう居る必要はねえじゃねえか。なにがいけないっていうんだ?」
女房「間違ってもそんなこと口に出すんじゃないよ。せっかく御隠居さんが可愛がってくださっているんだ。ええ?要件を述べたら、後は御隠居さんとの世間話に付き合っておあげなよ。愛想をよくしておけば、また気前よくお金だって貸してくださるってことがわからないかねえ」
甚兵衛「ああ。で、なにを話すの。安保反対!とか?」
女房「何ばかなことを言うんだい。そこは、なにも難しいことを言うことはない。お前さんは目下なんだから、まず御隠居さんに話を預けて、よく聞く。それで「最近暖かくなってきたねえ」と言われれば、「そうですねえ、もうすぐ梅が咲くでしょうねえ」と、先様の言ったことを認めておいて、あとほんの少しだけ具体的なことを付け加えて差し上げるのさ。あとはこれを繰り返すだけでお喋りというのは弾むっていうもんだよ。目下の者は長く話しちゃいけないよ。余計なうんちくをひけらかして、いつ終わるかわからないようなのは以ての外だ。わかったね?返事は?」
甚兵衛「わかったよ」
女房「じゃ、行っといで!きちんと頭を下げるんだよ」

甚兵衛「さて、栗羊羹も買ってと。はぁ・・・・お金をくれたんで、いやに気前がいいと思ったら、お遣いだったとは。ここに羊羹があるのに食べちゃいけないんだよ。あいつは旦那をこき使うねえ・・・
着いた。御隠居さん、こんちは」
御隠居「おお、だれかと思ったら甚兵衛衛さんじゃないか。よく来たね。あたしゃおまえさんが大好きでね」
甚兵衛「あたしは御隠居さんが好きじゃありませんけど」
御隠居「この失礼なのも久しぶりだね。そういう正直なところが大好きだ。さぁさぁこっちへお上がり。うんうん、たまには顔を見せてくれなくちゃ寂しいよ・・・なんだい、変な格好をして」
甚兵衛(両手で三角を作り頭に置いて)「うー、いえ、変じゃありません。御隠居さんはあいさつってものを知らないんですか」
御隠居「はあ、さてはお光っちゃんにあいさつを仕込まれたと見えるね。いいんだよ、そういうのは。あたしと甚兵衛さんの仲じゃないか」
甚兵衛「そうですか。でしたら、お茶でも淹れてください」
御隠居「ハハハ。こりゃ参りましたな。婆さん、お茶を用意してあげなさい」
甚兵衛「えーと、昨年は暮れました」
御隠居「・・・うん。とっくに今年が明けたな」
甚兵衛「流行りのケーキを冷やしたのに、我が家のかかぁが火で焼きました」
御隠居「おいおい、なんだ?ああ、昨年は流行り病で景気なら冷え込んでいたな。家計が火の車なんてこともあったろう。これがわかるあたしも、おまえさんとの付き合いが長くなったな」
甚兵衛「すいません、ちょっと黙っててもらえませんか。
・・・春になり、景気もよくなりまして、秋じゃないから上を向き、どうにか栗もありまして、こちらのお菓子はいただけないのであげます」
御隠居「おいおい、なんだって・・・まあとにかく気を使ってくれたんだね。あたしが食べていいんだね」
甚兵衛「心苦しい・・・つまらない・・・」
御隠居「わかったよ。いっしょに食べましょうよ。婆さんこれ切っとくれ。お光っちゃんに、口上を覚えさせられたんだろう」
甚兵衛「はー、言えた」
御隠居「あんまり言えちゃいないがね。いいさ、そういう堅苦しいのは抜きで。それよりもあたしはおまえさんと、気楽にお喋りができればいいんだよ。ゆっくりしとくれ。こちらにおいで。梅が見えるよ。暖かくなってきたね」
甚兵衛「そうですね。もうすぐ梅が咲くでしょう」
御隠居「いや、もう梅は咲いてるんだがね。いや、水を差しちゃいけないな。甚兵衛さんとこういう世間話ができるのは珍しいからね。うん、梅はこれからもっと咲くだろうね。あとは景気だな。そうかい。景気は上を向いているかい」
甚兵衛「け、景気?ええと、そうですね。もうすぐ……天井が見えるでしょう」
御隠居「ああ、あたしは最近相場に凝っているんだが、相場では青天井なんて言うからね。そうですか、ハイハイ。それなら結構だよ。だがまたまた水を差すようだがね、流行り病のお陰で、すっかり家に籠る人も増えたからね。まだまだ厳しい商いを強いられている人も多いと思っている。おまえさんも店を構えて商をしているから、この国の景気の動向は肌でわかるだろう。いや、堂島で米切手を買おうかどうか迷っていてね。帳合米商いという、まだ取れていない米の商いだ。それをするには、景気を読んで先行きを慎重に見込まなくちゃならない。なあ、おまえさん、どのへんから景気がいいとわかるかね。その証とかはあるかねえ」
甚兵衛「へ?景気がよくなる証ですか?」
御隠居「そう、具体的な証だよ。この国の景気の」
甚兵衛「この国の?具体的な?ええー、八五郎さんが博打で十円勝ちました。あと、和尚さんがお布施でお金が余分に入っていたって言ってました」
御隠居「いや、そういうのじゃなくて、この国の景気ということで」
甚兵衛「八五郎も、和尚さんもこの国の人ですよ。えー、でもこの国にはもうちょっと人がいますね。大家さんが、金を拾いましたね。あと、横丁のお医者さんが、富くじに当たりましたし、竹さんのところは子供が生まれて御祝いに1円貰って・・・・・・」
御隠居「これじゃあ話がいつ終わるかわからない」


〈了〉

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