福祉と援助の備忘録(15) 『内因性と心因性の区別がなくなったって?』
漢方では、同じような症状でも違う薬を処方することがある。人の体質をいくつかのタイプ、『証』に分けて、それを見立てた上で薬を出すからだ。ところがこの見立てが難しい。舌を診たり、脈を診たりせねばならない。
最近は西洋医もツムラやクラシエの漢方を処方する。だが中医ではないので、舌診や脈診で証を見立てる目を持っている人は稀であろう。
そこでとりあえずそれっぽい薬を出す。それが合わなかったら、証が合わなかったとして薬を変えるのだ。これとてひとつの、証の診断である。
こういう見立てと治療をする漢方のやり方って、ズルイな、と以前は思っていた。だがもしかするとうつ病の臨床においては、似たような発想が必要かもしれない。
うつ病についての備忘録を書き始めよう。
はじめに
「最近仕事で残業続きなので、メンタルの病について調べてみた。昔はテレンバッハというえら〜い先生が考え出した『メランコリー親和型』って概念が世界に広まっていたようだけど、今ではその手の、脳に原因がある『内因性うつ病』ってのと、ストレスによってなる『抑うつ神経症』ってのは同じものだと判ったらしい。おかげで国際的診断として今使われているDSMという誰でも診断できるものを使って、自分が気分障害の中の大うつ病だと自分にも診断できた。うつ病は薬なんか使わずに最もエビデンスのある認知行動療法で治すことが勧められているから、手近な病院でやってもらおうっと!」
問題. 上に書かれたことの中にある間違いを指摘せよ。
ひっかけだらけの難しい問題だ。
・まず、『メランコリー』という言葉。『メランコリー型性格』という性格を提唱したのはテレンバッハではある。だが、メランコリーという言葉そのものは古代ギリシャにまで遡れ、『ヒポクラテス全集』にその記載を見ることができる。
・古代ギリシャから使われる意味でのメランコリーという言葉なら世界的に広まっているかもしれないが、『メランコリー型』というのはそんなに広まってはいない。さらに、『メランコリー親和型』なるおかしな訳語を用い、それをうつ病の中核群であると考えているのは日本だけである。
・恐ろしいことに、心因性のうつと内因性のうつの区別が、もはやないものと思い混んでいる精神科医がいる。中にはテレビで、そういう区別をする医者は勉強不足なのだと嘲笑う者を観たことさえある。それら二つの概念は、消えたわけではない。DSMはIII以後、原因は論じず症候だけから病気を分類することにしたので、二つを区別できないのである。
・DSMはアメリカ精神医学会の診断基準でしかない。それを使う人が世界中にいるとはいえ、それを作ることができるのはアメリカ精神医学会であるし、国際的診断基準ではない。
・細かいことを言うと、今使われているのはDSM 5であり、IVではうつ病は気分障害に分類されていたが、5では『抑うつ障害群』に分類されることになった。
・DSMがいくら操作的診断だからといって、誰でも診断できるというのは大間違いである。ひとつひとつの診断基準に当てはまっているかどうかを考えられるのは医者だけで、患者が自己診断するためのツールではない。
・おそらくこの患者は、うつだとしても軽症だ。国によっては、軽症例に構造化された精神療法は推奨されない。また精神療法をするにしても薬を併用するほうが自然である(米国では「まず精神療法」を推奨しているようだが)。また、対人関係療法など、あまり日本では知られてはいないが認知行動療法以上の効果があるとされる精神療法もある。
・認知行動療法をするのが適切だとして、わが国でそれができるのは極めて限られた施設のみである。手近になどできないし、認知行動療法という名前の治療があったとしても、それが本当に腕のある人の手による本当の認知行動療法なのかもあやしい状況である。
うつ病に関する基本的なことのまとめ
うつ病についてつらつらとまとめる。
・生涯にかかる割合は10%を軽く超える。ざっと6人に1人以上。
・意欲が低下する
・以下の妄想がよく現れる
「金がない」(貧困妄想)
「許されない」(罪業妄想)
「病気に違いない」(心気妄想)
・抑うつ気分を呈するか、楽しみがなくなるというどちらか一方はまずある
・ストレスを抱えていなくても、うつ病になるときはなる。ストレスを抱えてうつ病になったとしても、それは単なるきっかけにすぎないということもある。逆に、ストレスを抱えたせいでうつ病となる(そう診断される)人もいる
・虐待のような養育環境とうつ病の関係はある。だが、遺伝との関係もある
(ところで「抑うつ」などという言葉は日常語であろうか? 専門用語として使うならば定義する必要がある。だがほとんどの書物に「抑うつ気分」の定義が書かれていない。精神科のあらゆる症状名が書かれている濱田先生の『精神科症候学』にさえ書かれていない。だから文献の裏付けがないことを恐れずに私が教育されてきたことを伝えるが、抑うつ気分とは「物悲しさを伴う意欲が低下したようなときに覚える感情」のことである)
うつになるのは真面目な人?
かつてうつ病の中核群と考えられていた「真面目な人がなるうつ病」というのとは異なる、「不真面目な人のうつ病」というもの認められるようになってきた。仕事はできないが、コンサートには行けてしまう、なんて人が「うつ病だ」と言われると、ずいぶんうつ病のイメージが変わる。新型うつ病の概念である。
新型うつ病は独特な疾患の一群であり、複数の概念が提唱されて一時流行っていた。ただ、現在はそれも減った。
だが新型うつ病のことばかりでなく、かつてのうつ病像と現在のそれとは様相も違うし治療の仕方も随分と変わった。うつ病と診断される人は増えており、治療も進歩したという割には、実は抗うつ薬の治療効果はいまだに高いものではない。
実はこれらの背景には、うつ病をもたらす社会要因や治療方法の変化ではなく、うつ病という病気の「概念」の揺れがあるのではないかと思われるのである。すなわち、うつ病という病気の数は昔から変わっていないのかもしれない。だが、なにを「うつ病」と呼ぶかは変わってしまったということだ。
原因は、DSM、ICDなどの操作的診断基準だ。前述したように、操作的診断基準では、内因性うつ病と心因性の抑うつ状態を区別しない。
病態の研究も治療の研究も診断基準を踏まえるから、内因性・心因性をごちゃまぜにした集団に対してなされる。
するとこんなことが考えられる。薬でしか治らない一群があり、そこに薬がほとんど効かない一群も混じる。一括りにされて研究されたらどうなるだろう? 薬の効果は低く見積もられるはずだ。逆に精神療法では決して治らない一群がいるのに、精神療法だけで治る群が多く混ざっていると、「全員に精神療法をすべき」という誤った結論を出してしまう。
操作的診断基準は、精神医学を科学にするために、客観的な基準として設けられた。だがうつ病においては、そこから誤解が生まれたのだ。うつ病を生物学的に診断する方法が見つからないうちは、今の診断基準で「うつ病」と呼ばれるものを、ひとつの疾患とは見なさず、同様の症状を呈する複数の病気の一括り(症候群)と考えたほうがよいだろう。
内因性うつ病と心因性うつ病では、治療においてかぶる部分もあるが異なる点もある。だから現在の症状だけから診断して同じように扱っては、うまく治せないかもしれない。かつて両者をしっかりと見分けたように、今も本当は見分ける必要がある。
これって漢方の証の見立てと似ていないだろうか。内因・心因という「証」が合っていないと、治療がうまくいかないのだ。
とりあえず薬を出してみて、それが効くかどうかで診断を決めることを診断的治療という。この診断的治療を良しとしない医者がいる。「治療は、診断というものをしっかり見定めた上ですべき」という理想にこだわるせいだろう。だが、手段は主義にしないほうがよい。現在の診断基準でしかトレーニングを受けていない医者の診断は、治療に不十分である。
そういえば奇しくも「証」の字は、証拠(エビデンス)の証であった。
Ver 1.0 2022/4/23
福祉と援助の備忘録(14)はこちら。