【小説】 白粉彫りの女
奥様の白い胸に、いざ、針を構えました。
「よろしゅうございますね」
ええ、と奥様は艶な響きでお答えになり、それをもって最後の確認が済んだものと致しました。ええ。墨を入れるというのは、後戻りが効きません。ご婦人が覚悟の上で墨を入れるというからには、相応の事情がおありなのでしょう。乳房を手で押さえつけて、最初の針を打ちました。
びくんと、脂肪の多い軀に波が走りました。やがて慣れは来ます。私は寝台に横たわった奥様の横に立っておる訳ですが、眼を瞑った奥様の顔が真上ではなくこちらを向いているものですから、その表情が視界の端に捉えられます。眉をしかめたところでございました。
「痛うございますか。いや、痛うございますよ」
怯んでいる場合ではありません。まだ彫りは始まったばかりなのです。
ふくよかな、粉のように白い肌の奥様でした。今時は痩せこけた娘をスタイルが良いなどということもあるようですが、いやいや。和の服を着るには相応の肉付き、丸みというものが必要です。奥様の滑りのよい肌の内に新鮮な脂が蓄えられているのが、手に伝わります。彫り物をするときというのは、左の手で肌を押さえながらするものですから、奥様には触らないわけにはいきません。肌をカンバスに絵を描くのが彫り物なのですから。
それにしても妙な注文でした。軀の前面に、手形をあしらえろというのです。それもその手の形と位置のいちいちをご指定なさってきたのです。ええ。私の手よりも少しばかり小さな手です。その上私を直々に指定されたのは、私にしかできぬ彫り方をお求めになったからでございました。
それは白粉彫りと呼ばれる伝説の刺青です。怒りや興奮、女性の場合は性交に於いて絶頂に至った場合などにのみ浮き上がるというものです。これは小説の中などで語られてきた彫り方であって、実際にはできないというのが彫り師の間で言われてきたものでした。
ええ。私も普段はそのように申し上げております。ですが門外不出の手法により、それは可能になるのでございます。理屈は、毛細血管を破壊して図柄の部分だけ血が通わぬようにするのです。血管というものは何度でも再生してきますから、それにはある種の毒を用いる必要がございます。そこが門外不出なのでございます。
さらにそれでも掘った部分がうっすらと見えてしまいますので、全体にぼかし彫りをしてカモフラージュする必要もあります。いずれにせよ、万人に施せる彫りではございません。またこの製法で肌に彫りが浮かぶかどうかは、体質にも依存するのでございます。ある種のアレルギイの反応も利用しているからです。奥様は事前の試験で、白粉彫りが可能な肌質を持っているということが明らかになっておりました。
さてどうしてこの白粉彫りが門外不出であるかと言いますと、その価値を高めるためです。この白粉彫りを好む御仁がいらっしゃるのでございます。それがどなたであるかは口が裂けても言えませんが、この稀な彫り物をする機会はわずかにはあるわけであり、その技術は引き継がれておるのです。奥様は、知る人ぞ知るこの事実をご存知であったわけですから、裏の世界に通じており、それなりの地位の方でもあるということでございましょう。
さて奥様がご指定になった手形の配置を見ますと、まるで奥様の軀を触っているようでした。乳房を鷲掴みにし、やがてその手が下に降り、秘部をまさぐるといった具合です。私はその手の流れのままに奥様の肌に触れていきました。そのすべての手形が露わになると、奥様が今まさに多くの手により蹂躙されているかのように見え、如何とも官能的なはずでした。
最後は首元でした。私の白粉彫りは、その濃度を変えることも可能です。首元はよりいっそう薄く、よほど紅潮が強くならないと浮き上がらないようにせよとの御注文でございました。ちょうど首を締めるように手の形が配されます。私はすべて仰せの通り、何日もかけ、ついに彫り物を仕上げました。
私は大金を得ました。その代わりに、このことは他言無用と言われました。無論この彫り物自体が秘密のものでありますから、元より口外するつもりなどございません。ええ。
「ところでこれはいかがいたしましょう」
私は奥様に伺いました。
「本当は手放したくないのだけれども、そうもいかぬから貴方にこのようなものを注文したのですからね。どうぞ処分してちょうだいな」
「かしこまりました」
多くを聞くわけにもいきますまい。私はおそらく奥様と深い縁のあった男のものであろう左右の手を、ゴミ入れに放りました。
〈了〉
こちらの企画にこの作品を捧げます。