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最高裁判官の国民審査で今崎幸彦は❌?
最高裁判官の国民審査が近づくたびに、私は一種の苛立ちを感じていた。この審査は一体何のために存在するのか。いつも思うことだが、国民にとってこの審査はあまりに不透明で、まともな判断をするにはあまりにも情報が少なすぎる。だが、だからといって審査を放棄するわけにもいかない。それは、国民の義務であり、声を上げるための一つの手段だからだ。
今回の審査対象は6人。中でも私は、今崎幸彦と尾島明に対して特に不満を抱いていた。どうしてもこの二人に❌を付けるしかないと思った。特に今崎だ。彼は以前から何度も、私が理解できない判決を下している。まるで、自分が女子トイレに入る権利を守ろうとしているかのような裁定だった。もちろん、そんなことはあり得ない。だが、それでも不自然さが際立つ判決だった。きっと、彼には何らかの圧力や金が流れているのだろう。腐敗した利権が絡んでいるのではないか。そうでなければ、どうしてこんなに何度も同じような判決を出すのか。
尾島明も同様の判決を出している。
今崎の姿をネットで見た時、ふと、ワクチン開発で巨額の利益を手にした尾身に似ていると思った。今崎の顔には、金を得た人間特有の冷たさが漂っていた。人間は年を取るにつれて、その生き方が顔に刻まれていくものだ。それを見ると、ますます❌を付けざるを得ない気持ちになった。
実のところ、私は毎回、審査対象の最高裁判官全員に❌を付けている。以前、友人にそのことを話した時、「知らない人に対して❌を付けるのは良くない」と言われたことがある。しかし、私はその言葉に納得がいかなかった。「いや、知らないからこそ❌を付けるんだよ」と返すと、友人は呆れたような顔をして、「それじゃだめだ」と一蹴された。
もしかすると、友人の言い分にも一理あるのかもしれない。しかし、私はどうしても「何も知らない人に権力を与える方がよっぽど危険だ」という考えを捨てられないのだ。最高裁判官の判決は、私たちの生活に大きな影響を与える。それにもかかわらず、彼らが何を考え、どのような基準で判決を下しているのかについての情報はほとんど伝わってこない。どうしてこんなに情報が少ないのだろう。国民審査があるなら、彼らももっと自らの意見を公開し、私たちに判断材料を提供すべきではないか。
例えば、少なくとも審査の2週間前には、これまで出した判決や、今後どういう方針で判決を下すつもりなのかを知らせるべきだ。衆議院選挙の公示が終わっても、最高裁判官たちからは何の情報も得られない。自分から積極的に調べようとしなければ、彼らがどんな判決を出してきたのかすら分からない。それどころか、国民審査があること自体を知らない人も多いだろう。実際、選挙当日になって初めて「国民審査があります」と知らされ、慌てて❌を付けるかどうか考える人も少なくない。
こんな状況では、誰に❌を付けるべきか正確に判断することなど不可能だ。だから、私はこれからも❌を付け続けるだろう。それが正しいかどうかは分からない。しかし、少なくとも今のままでは、この不透明な審査制度に対して、私が感じる不信感は拭えないままだ。もっと透明性を求め、私たちが正しい判断を下せる環境が整う日が来ることを、切に願っている。