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飯山陽さんの話はもうやめませんか?
飯山陽の物語に幕を引く時が来た。これ以上、みんなが彼女を貶めるのは本意ではない。彼女は立派な人だ。だが、彼女の運命が大きく揺れ動いた瞬間を記さずにはいられない。
日本保守党の百田尚樹と有本香が衆議院選挙の候補者を発表した日、飯山陽の表情が一変した。その中に、自分の名前がなかったのだ。YouTubeで彼女は、初めは穏やかに、そして次第に動揺を隠せずに語った。「なぜ私の名前がないのか、私にもわかりません」と。彼女の心中には、いくつもの思いが巡っていた。そして、いくつか思い当たる節もあると暗に匂わせた。
その動画を見た日本保守党の支持者たちは一様に驚き、疑問を抱いた。なぜ彼女の名が候補者リストから外れたのか。だが、百田尚樹と有本香には、その理由を説明する手立てがなかった。もし事前に知らせていれば、それは飯山陽に対する悪口と受け取られるかもしれなかったからだ。
次の日、飯山陽は怒りに満ちた表情で再びYouTubeに登場した。百田尚樹と有本香への憎悪が溢れるライブ配信が始まった。その言葉の一つ一つが、彼女の失望と裏切られたという思いを伝えていた。
彼女は多くのものを失った。しかし、その代償など些細なことだった。彼女が本当に求めていたのは、百田尚樹と有本香に対する「知らしめ」だった。
「なぜ、ただ一言、私に知らせてくれなかったのか?」
彼女の怒りは、その問いに集約されていた。ただそれだけの話だった。
だが、その裏には、百田尚樹と有本香がすでに彼女を仲間と見なさない決断を下していたという事実があった。それは、誰が悪いという話ではなかった。ただ、彼女が謙虚さと思いやりを持っていれば、事態は違っていたかもしれない。
飯山陽は、容姿端麗で博識、洞察力に優れた品格ある女性だ。凡人には到底及ばない存在と見られていた。しかし、凡人にも持ち得るものがある。それは、謙虚さと思いやりだ。豪華な生活や知識に勝るとも劣らない、大切なものだ。
もし彼女が、それらを少しでも心に留めていれば、無敵の政治家になっていただろう。だが、そのわずかな欠如が、彼女の未来を変えてしまった。それが彼女の物語の一つの終わりだった。
彼女はこの先も、謙虚さと思いやりを持たずに人生を進むのだろうか。それはもちろん、彼女自身の自由だ。誰にも彼女の生き方を強制する権利はないし、きっと彼女も「お前らに言われる筋合いはない」と思っていることだろう。
しかし、ふと立ち止まって考えてみてほしい。飯山陽は48歳、人生の半ばを過ぎている。残りの人生も、それなりに満足し、自分なりの道を歩んでいくだろう。財産も十分に築き、娘に引き継ぐべきものもある。それは土地や建物、金銀財宝といった有形の財産だ。しかし、それらの財産はあくまで今生のもの。来世に持ち越すことはできない。
来世に持っていける無形の財産について、彼女はどれほど知っているだろうか。それは「徳」と呼ばれるものだ。徳を積むことで、来世でより良いスタートを切ることができるという。もし徳が少なければ、来世では人間としてのスタートすら保証されず、動物として生まれ変わるかもしれない。
その徳の一つが「思いやり」だ。謙虚であり、人を思いやること。それは簡単そうに見えて、実際に続けるのは難しい。しかし、この徳を積んでおけば、来世でも後悔することはない。逆に、これを欠いたままの人生は、いずれ後悔を呼ぶことになる。
こういった話をすると、まるで宗教じみていると揶揄する者もいるかもしれない。しかし、これは宗教の話ではない。誰もが見落としがちな、しかし確かに存在する人生の真実だ。
話が少し逸れてしまったが、結局のところ、私は彼女が今の生き方に本当に満足しているのか、楽しいと思えているのかが気になるのだ。どこかで気づき、残りの人生をもっと楽しんでほしい。そう願わずにはいられない。