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近況報告濃いめ第42回:暴力を暴力以外の言葉で置き換えるのは狂ってる証拠

「ワタル、これは『いじめ』じゃねえよ。誓っても『いじめ』じゃねえ。これは『躾《しつけ》』だよ。オメーの親の代わりに『躾《しつけ》』をしてるだけだ」


 これは現在連載中の短編集「追放→ざまぁwww こんぴれーしょんぱっく」の「閃きで異世界を征服する」の今日の更新分「地球での話」で出てきたセリフだ。
 こんなセリフを考え出すのは我ながら狂っているとは思う。

 詳しい話はこちら:https://kakuyomu.jp/works/16816452220970588364


 個人的には「暴力を暴力以外の言葉で置き換える個人や組織は、いかなる崇高で壮大でもっともらしい理由があっても100%、もれや例外は一切なく狂っている証拠」だとは言いたい。
 なぜなら暴力を暴力以外の言葉に置き換えるというのは暴力を振るう心理的負担を軽減してしまい、暴力を暴力と認知しないまま暴力が止められなくなってしまうからだ。


 劇中ではあまり詳しくは語られていないが、宮本は「いじめは悪いことだ」と「本気で」「腹の底から」理解しているし納得している。
 だがそれと同時に彼は「自分のやっていることは『躾《しつけ》』であって「いじめ」ではない」とも「本気で」「腹の底から」思っているし納得している。
 だからこそ恐ろしい。

 この種類の暴力には果てがない。文字通りどちらかが「死ぬ」まで止まらない。文字通りだ。文字通り「どちらかが」「死ぬまで」止まらない。
 令和の現代日本においてもこの種の暴力は学校社会や会社社会にはびこっている。


 現実の日本で起きてしまった事件では、植松聖死刑囚が起こした事件で障害者を殺したのを「障害者は生きる価値の無いゴミ。殺せば税金の無駄遣いを省けて経済が回る」と犯行動機で述べたのが、まさに狂ってる証拠。
 もっと昔の話では1983年に、当時中学生のグループが横浜市で浮浪者、今で言うホームレスを殺した事件でも「横浜をキレイにするためのゴミ掃除をしただけ」と言ったのもそれだ。


 学校内で起こるいじめもそうで、彼らは暴言や暴行で相手を傷つけている自覚は一切無い。そう、恐ろしい事に「いじめを行う奴はいじめる相手を人間だと思っていない」のだ。
 せいぜいが「みんなの敵であるキモいコミュ障(言っておくが学生にとってキモいコミュ障は人間として扱われない)を退治してるだけ」と思っている程度だ。

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