近況報告濃いめ第5回:自殺をする人と自殺を考えもしない人の決定的な違い
警察庁:令和元年中における自殺の状況
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R02/R01_jisatuno_joukyou.pdf
2019年の自殺者数は2万169人と、10年連続で前年を下回り統計を取り始めて以来最少となったそうです。
それでも2万人近く死んでるわけで計算すると1日におよそ55人前後が自ら命を絶っている計算になります。
なぜ2万人もの人が自ら命を絶つか? 今回はそんなお話です。
そもそも「この世で最もつらくて苦しい事は死で、死に比べればどんな辛い事でもマシである」という『根本的にずれた考え』を『フツウの人』が持っている事でしょう。
本人が「それから逃れるためには死ぬしかない」と思った事ならどんな理由でも死にます。
「頭がかゆくてかゆくてたまらず、あまりにもかゆすぎてどうしようもなくなる」と死んでしまいますし、
「自転車にすら乗れないほどの運動神経の無さにとことん絶望する」と死んでしまいますし、
「授業中、昼が近づくといつも決まった時間にお腹が鳴るのが恥ずかしくてたまらなくなる」と死んでしまいます。
他人から見たらどれだけ「ささいな内容」であっても本人が「死ぬよりもつらい」と思ったら実際に死んでしまいます。
「絶望しかない世の中を、あるかどうか分からない幸福のためにこれ以上もがきながら人生を生きるよりは、スパッと死んで終わりにしたい」と思っている人もいるでしょう。
そういう人は「地獄のように、いや地獄以上に苦しい日常を過ごすこと」が「死ぬよりもつらい」事になります。なってしまいます。
「そんなこと言っても死ぬよりはマシでしょう?」という安直な考えは通用しません。
人によっては「生きる」ためのハードルよりも「死ぬ」ためのハードルの方が低くなることも十分ありえます。身をもって体験したことがあるのでおそらく事実でしょう。
「今は苦しくてもいつかいい事があるから」なんて言えて、それに勇気づけられる人というのは、その「いつか」にすがらなくても生きていけるほど余裕のある人であり、
「何のために生きるのか分からないけど、理不尽なこの世を耐えて耐えてただひたすらに、ガムシャラに耐え続けて何の意味も無いけどとにかく生存しなくてはならない。
生きることが血を吐きながら、体のパーツを分解させながら走り続けるマラソンでしかない」という人には一切届かない、心に響かないのです。
「生きる事」が「死ぬこと」よりもつらい人から「死ぬことを禁止」されたら「死ぬことすらできないのか」とこの世のありとあらゆるモノに絶望して「自殺」するのです。
それで死んだ後にも「何で死んだんだ? 死ぬほどつらければ力になったのに」と当てずっぽうなことを言って死体にムチを打つわけです。
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