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2022年5月04日の近況報告 死にたい人に「死んでいいよ」と言っても多分死なない

※注意※
今回はメンヘラ向けの記事となります。苦手な方は閲覧をご遠慮いただけると助かります。


正直、症例が1人だけ=俺だけという観測範囲の狭さなんで、万人に当てはまるわけではない。というのをまず大前提の共通意識をして持っていただきたい。
 その上で話すと「死んでもいいよ」って言われても「そうかわかりましたグサッブシューギャー」とはならないと思う(表現は酷いが……知能をカケラたりとも感じさせない擬音だ)。
 それ以前に、そう「死にたい」とか「死なない」と思う「以前」に「ホッとする」と思うし、生きるか死ぬかはその後の話となるでしょう。


『昨年は交通事故で2600名以上の尊い命が無くなっている! 車を作ってはいけないし、使ってもいけない! 使ったら2600人以上の命が無くなってしまう!
 車の写真も世に出回るべきではない! 未来ある子どもたちのために車に興味を持たせてはいけない! 「車」という漢字も使ってはいけない! 子供が興味を持ったらどう責任を取るつもりなんだ!?
 ドラマにも小説にもアニメにも、車は登場させてはならない!』


……もっと書けるがこの辺にしとくか。この『』内の話を聞いて「狂ってる」と思いますよね?
 でもこの話の「車」を「死」あるいは「自殺」という単語に変えると、途端に誰もが納得するんですよ。
「自殺」は何があろうが絶対にいけない事。理由なんてどうでもいい、とにかく死んではいけない生きるんだ。
「死」に興味を持たせることすら罪なこと。ましてや「自殺シーン」を描くなんてもってのほか! 子供が興味持って真似でもしたら、一体どう責任を取るつもりなんだ!? ってなりますよね?


そんな人が世の中の大部分を形成しているんだから「あなたはこの世でただ一人しかいないかけがえのない存在だ」なんて言ったところで
「周りの人が悲しむ? どんな命だろうと素晴らしい? 知るかそんなの。俺は死にたいから、死ななくてはいけないから、死ぬだけなんだ」となって本当に助けが必要な人には「絶望的なまで」に届かない。
 そう『絶 望 的 な ま で に』届かないのだ。


個人的にこの「周りへの関心が無くなる」ってのはかなりの末期症状で、周りの事を考えられなくなる、あるいは周りの事なんてどうでもいいと思ってしまうとと本当に危険な状態だと思う。
 発覚次第その場で縄で縛ってでも精神科、今でいう心療内科に連行しないと本当に死ぬと思う。


そんな世の中ですから「死」について書かれている、とりわけ「死んでもいいよ」という記事を見ると「ホッとする」んですよ。そう「死にたい」とか「死にたくない」以前に「ホッとする」んですよ。
 周りの人間や世の中は「死んではいけません!」と「死にたい」自分を「否定」し続けている中で「死んでもいいよ」と自分を「肯定」してくれる人の存在のありがたさは病んだ人間にしか分からないはずだし、もし可能ならばすべての人に理解してほしいとは思っていますが、現実的には無理だというのも理解しています。


本当のところは「もし死んでもいいよって言って自殺する人が1人でも出たら自殺幇助 (じさつほうじょ)の罪で刑務所行き」ってなるだろうから、それが嫌なだけだと思います。


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