【エッセイ】 宮沢賢治のイーハトーヴォ フォークナーの……あれあれあれ
小説家がイメージの中で生み出した、架空の世界というものがある。
そういう意味で私たち日本人に最も身近な、ピンとくる架空世界と言えば、やはり宮沢賢治の〝イーハトーヴォ〟ではないだろうか。
宮沢賢治といえば、昨年『銀河鉄道の父』という映画が公開されましたね。観に行った方おられますでしょうか。私は先日WOWOWで放送されたものを観て泣きました。いやー、あのお父様にあんな風に愛されたからこそ、宮沢賢治という素晴らしい作家が生まれたのですねー。親父様の大きな大きな愛! 菅田くんの演技も良かったですが、役所広司さんの熱演に一番グッときましたね。
いつもの脱線、失礼しました。
もとい。
宮沢賢治のイーハトーヴォに対して、フォークナーの……と思い出そうとしてみたのだが、何という名だったかどうしても思い出せない。
ヘミングウェイと並び称されるアメリカの文豪フォークナー先生の『八月の光』という作品を読んで、あの特別な土地の特別な季節の特別な夕方のあの時間帯の光をぜひともいつか見てみたい! と感動したことは決して忘れていないのだが、記憶にモヤがかかりがちなお年頃、最近は本当に思い出す力が衰えていると感じる。
近頃はスマホをちょこっとタップしてググればすぐに知りたい情報を手に入れられるのだが、今回はなぜか自力で思い出してみたくて昨日ぐらいから粘っていた。
でもダメだ。なかなかうまくいかない。
頭の中に浮かぶのは、ヨナクトーファ、ヨナクトフォーファ、ヨナクパートフ、ヨクナトパーファ?
とにかくうろ覚えで破綻してしまっているカタカナのヨとクとナとトとファの羅列がゴチャゴチャと移動しまくるばかりで全く収拾がつかない。リズムだけは覚えているのだが、フフフフフーファ、みたいな感じしか出てこない。 笑
こうなったらもうただのお笑い種である。
いったい何だったっけ、フォークナーが小説の舞台を置いた、彼独特のあの世界の名は……。
頭の中がポンコツ過ぎて、とうとうギブアップし、スマホのお世話になる。
正解は……
〝ヨクナパトーファ〟
だった。 惜しい! (どこが)
しかしいったい、宮沢賢治のイーハトーヴォは易々と覚えられ、記憶のザルから抜け落ちることもなく残っていつでも自在に取り出せるというのに、どうしてフォークナーのそれは、覚えられることを拒否するかのように脳内に定着してくれないのだろう。
少し考えてみた。
思うに、小説家の使っている母語を無視して無理やり外国の言葉(彼から見れば)である日本語に置き換えて保存しようとするからうまくいかないのではないか。小説家の念というかプライドのようなものが、「気安く扱ってくれるな」とヘソを曲げているかのように記憶の定着の邪魔をしてくるのではないかとまたもや妄想がひとり歩きだ。
フム、さて、ではこうしてみよう。
フォークナーの母語、英語にてインプットを図ってみるのだ。
ではいくぞ、
Yoknapatawpha
大文字のYを筆頭とする、カリフォルニアワインの産地の連想も含んだ比較的覚えやすい印象にはなったと思う。日本語ではトーと読む部分をtawと綴る辺りがしばし厄介だが、phaは発音としてなじみやすいように感じた。
さあ、ではおさらいだ。
ヨクナパトーファ
Yoknapatawpha
やはりカタカナだけの場合より、このアルファベット表記をイメージに加えることによって記憶の中から呼び出しやすくなった気がする。
この二つの視覚的イメージで、フォークナーの架空世界はようやく脳内に定着してくれそうだ。
私はしばしば、言葉を覚える際に、こんな遠回りな遊戯をやらかしている。
しちめんどくさい、無駄な作業かも
ですな。 (笑)
先生のおっしゃった、あの土地の八月の夕方の光と空気を私も体感してみたいんですよ……。 ただそれだけなのです。