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【長編小説】 春雷 3

 ――かもめが鳴いている。
 もう二週間も前から、船着き場の前の街灯の上に一羽の鷗が陣取っている。勿論、鷗も食べたり眠ったりしなければならないわけだから、四六時中そこに留まっているわけではないのだろうが、その不穏な声をひとしきり轟かせ、浦の人々を落ち着かない気持ちにさせて家から様子を見に出て来させるときには、鷗は決まって街灯のてっぺんにいた。そして、何かに対して威嚇するかのように、小さな湾から向こうの山の方角に向かってその誇り高い胸とくちばしを突き出しているのだった。
 実際、家族を含め浦の人たちは鷗のことをそれほど気にしていたわけではない。ただ、近ごろとみに擦り切れそうになっている真咲の神経は、それによって容易に逆撫でされた。
 鷗が切り裂くような悲鳴をあげるとき、真咲にはそれが大きな天変地異への警告なのではないかという風に思われ、またそうでなくともこの鷗は何かに対して非常な怒りを抱き、鳥の言葉であちこちへ罵声を浴びせかけているのではないかと勘繰られた。
 非常な怒り。
 この言葉そのものの持つ波動あるいは声に出したときに喉頭に響く振動は、真咲にある特別なイメージを思い起こさせる。そしてそれと共に彼女を非常に入り組んだ、彼女の内部にある感情と思考の薄暗い森へと誘い込む。そこはまったくなかなかのカオスであり、人肌程度の妙に心地よい安寧の泥沼があるかと思えば、目にするだけでも痛々しい棘だらけの茨の茂みが広がっていたりする。真咲がこの世に生を受けてから長い時間をかけて作り上げてきた、本人すらその境界を知らない広大な森である。
 そしてそこにはいま、ある男のイメージがある。活火山のようにその怒りを発憤させる男の記憶は、真咲自身の怒りと重なり合って、増幅し膨れ上がっていく。互いの抱える暗赤色のマグマは、どろどろと渦巻いてどこかにその捌け口を求めている。思いどおりにならない人生、高い理想と幻滅させられるような現実……。前へ進もうとすればするほど、周囲の空気はコロイドのような流動性を帯びて足元にまとわりつき、重くなった歩みはついにその動きを止められる。
 抱えている悩みは同じだったのかもしれない。真咲はそうも考えてみる。でもそれもまた、「根底の部分ではふたりは繋がっていた」と信じたい自分のエゴにほかならず、一方的な想いをいつまでも引きずっている未練がましい執着に過ぎないのだろう、と思い到る。すべては終わったことなのだ。
 自分が神経症であることは、早くから真咲にはわかっていた。毎日、毎秒、毎時間……。色々な思考と感情が押し寄せてくる。ただここにじっとしているだけでも、自らの来し方往く末を思って何とも情けなく、空虚な気持ちに落ち込んでしまう。仕事をするとか映画を観るとか、何か気晴らしでもあるときにはいっときそれで気が紛れているけれど、そういった時間が過ぎてしまえば少しずつ潮が引くように高揚した気持ちは消え、虚無感が芽生え、それは段々と何かにかつえたような焦燥に切り替わっていった。
 一番辛いのは、周囲の人々にそういった状態を知られないようにすることだった。他人に自分のなかにあるこの薄暗がりを覗かれることは、それがいかなる相手であろうとも、ある種の精神的な摩擦を生み、ただでさえ自ら追い込みさいなんでいる真咲の神経は耐えられそうになかった。そんな風だったから、親しい友人であっても〝外側〟の人たちには、残り少ないエネルギーを振り絞って笑顔と活力を見せ、できるだけ自然体で何の問題もないように振る舞った。そして外に対して使われることによってほぼ枯渇したエネルギーは、〝内側〟の人たち、つまり家族に対して使うほど残らなかった。もっとも近くにいる血の繋がった人々であるがゆえに一番自分のことを理解してほしいと願うあまり、またはある種の甘えから、真咲は身内に対してはだんまりを決め込み、常に高い垣根を築いて牽制してしまっているという有様だった。
 
 午後五時を過ぎて夜のとばりが下り始めるころ、船着き場の街灯にオレンジ色の光が灯る。
 てっぺんに陣取っていた鷗はいなくなっていた。陽が暮れる前に今日の最後の糧食を探しに行ったのか、寝床に戻るために早々と飛んで行ったのか、街灯の上から鳥の姿は消えていた。
 台所のほうで音がし始めた。母が夕飯の支度を始めたのだ。今日は外出した咲子が何か買って帰ることになっているから、何もしなくていいというのに、やはり何かこしらえているらしい。年越しのブリのアラの残りを冷凍しておいたものを温め直したり、炊いたご飯があったかどうかを気にかけたりしているのだろう(母にとって、炊いた白いご飯がないというのは許されぬことであった)。長年の主婦生活で身についた習慣で、定時が来ると夕食の準備のために動かないではいられないのだ。
 真咲の母は障害者である。十五年前に脳梗塞を発症して左半身が麻痺した。
 二月の寒い日のことだった。朝早く、体に異変を感じた母は、隣で寝ていた父を起こし、「何かおかしい」と言った。その五年前にも軽い脳梗塞を起こしていた母は、その症状が以前のものと似ていると気づいていた。咲子は六十㎞ほど離れた県庁所在地で働いていたが、幸いそのとき真咲が家に戻っていて、慌てて病院に付き添っていった。父は店を開けなければならないため残った。
 大袈裟な音が鳴るので浦の住人に知られる、「品が悪い」と言って母は救急車を呼ぶことを拒んだ。それで真咲が自家用車で連れて行ったわけだが、病院に着いてみると新患扱いで長いこと待たされることになった。
 脳外科の待ち合いの前の壁には、暗赤色のドレスを着たおどろおどろしい西洋人の女の絵が架かっていた。その日の陰惨な記憶と結びついてしまったのだろう、のちにそのときの絵の印象について語るとき、真咲は〝何か不安を煽られるような、気味の悪い絵だった〟と繰り返し同じことを言った。
 ようやく名前が呼ばれ、診察台に横になって脳外科の医師の診察を受けようとしたその途端、医師の目の前で母の脳の血管が詰った。左の足の、下のほうから〝ズン! ズン! ズン! ズン!〟と痺れが駆け上がるのがわかって、母は恐怖の声を上げ、こう叫んだという。
「先生、全身不随になる! 全身不随になるぅ!」
 脳外科の専門医は緊急事態なのを察知して、素早く母の鼠径部に注射針を入れ、ワルファリンを注入した。
 幸い命に別状はなく、言語中枢もやられなかった。もし言葉が出なくなっていたら、お喋り好きで通っていた母のことだから、本人にとっても周りにとってもどれだけ辛いことになっていただろう、と真咲は想像する。 
 生来の明るい性格も幸いしてか、母は積極的にリハビリに励み、自力で歩くこともできれば退院後に台所に立つこともできるようになった。父もそのころはまだ健在で、真咲や妹が家を離れていた時期を、夫婦二人だけで十年近く過ごした。
 父が癌で倒れたとき、まるで運命によって引き寄せられたかのように、家族の女三人はひとところに集結していた。まるでそれは目に見えない力が長大な腕を伸ばして世界に散らばっていた姉妹を引き戻したかのようだった。折しも東北地方で仕事をしていた咲子は契約を終えていったん故郷に帰っていたところだったし、真咲は破綻した結婚生活を解消してカナダから帰国したばかりだった。
 ――父親が倒れるという、家族にとっては大きな悲劇ではあったにせよ、皮肉なことながら、その日から母と姉妹は父の看病をきっかけにひとつの絆で結ばれることになった。
 元々の膵臓癌が肝臓に転移していた父の病状は、もう手の施しようがなく、入院後わずか一ヵ月で息を引き取った。死んだときの顔がいかにも安らかで、まるで眠っているようだったのは、家族にとって少しばかりの救いだった。優しい性格でありながら、寡黙で非常に我慢強い性格だった父が、人生におけるさまざまな葛藤や重責から解放された瞬間を見たようであった。
 実際、膵臓癌を患っていたにも関わらず、父の場合は死に際の数時間まで痛みというものがまったく出なかった。浦の人や親戚の話を聞くと、普通膵臓癌というものは尋常ならざる痛みを伴って、患者はのたうち回るほどに苦しむのだという。手術はおろか抗癌剤を使うことさえできなかった父が、そのような苦しみを味わわずに済んだということは、ひとつの奇跡だった。
 父には友人が多く、そしてそのすべての人から愛されていた。いまも昔も、父の悪口を言う人に真咲は出会ったことがない。父の死から数年を経たある日、偶然通りがかった配達のトラックの運転手から、お父さんは元気かと聞かれたことがある。「父は亡くなったんです」と答えると、その運転手はひどく動揺して、「俺ダメやー」、「知らんかった」、「俺ダメや……もう今日一日仕事にならん」と言って嘆いた。親しい友人でもない人のその反応に、在りし日の父の人柄を見た真咲だった。
 ――そして、以来ずっと、真咲はそれをきっかけに仕事を辞めた妹と供に、母のいる実家に暮らしている。
 脳梗塞後の母は、リハビリのおかげで随分と元気を取り戻していたのだが、真咲と咲子がいなかったあいだ、無理をして家事全般を自分ひとりでやろうとしたせいで、幾数回の骨折に見舞われることになった。閉経後の多くの女性の例に漏れず、しかも何のケアもしていなかった母の骨は脆く、極めて骨折しやすい状態になっていた。母は父と二人の生活のなかで、あるときは押し入れに布団をしまおうとして尻餅をつき、尾てい骨を折った。またあるときは、折角設置してもらった昇降機を意地から使わずに階段を上り下りしていて、下りるときに最後の一段で踏み外し、股関節の骨を折った。また別の機会には、スーパーで買い物をしていて、父が少し離れたあいだに床の上でつまづいて転び、膝の骨を折った。そして父の死後にも、妹と真咲との生活のなかで、腰椎の何番目かを折る〝いつの間にか骨折〟というのをしていた。
満身創痍まんしんそういよ」
 と言う母の言葉を聞いたとき、真咲はそんな言葉があることを初めて知った。

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