【長編小説】 春雷 6
――ときどき、父のことを考える。
父のイメージは、ふとした拍子に咲子の脳裏に浮かび上がる。例えばゆったりと湯舟に浸かったあと風呂から上がったときとか、無心に掃き掃除をしているときなど。
咲子の夢のなかには、父は割と頻繁に現れた。そんなときの父は、イメージとして脳裏に浮かぶだけでなく、まるで映画の一カットを見ているように、咲子の目の前で華麗に動いていた。夢のなかで父は言葉を発さないが、いつも快活でご機嫌で、弾むような足どりで現れてはどこかへ去ってしまうのだった。
父が咲子の夢に現れたのは二度や三度のことではない。二桁には満たないものの、父がこの世を去ってからこれまで夢に出てきた回数は、何でもないこととして流して終える類のものではないと咲子は感じていた。まるで父が、咲子のことを心配しているか、それとも何らかのメッセージを送ろうしているのではないかという風にも思われた。
でも、そうならなぜいつもあんなに軽々と身を翻してどこかへ行ってしまうのだろう。夢の終わりには、父はいつも咲子に背中を向けて去ってしまうのだった。
この世で背負っていた負担からすっかり身軽になって、嬉しくて仕方がないのだろうか。それとも、「こんな風に楽しく生きなさい」と見本を見せて、いつも上機嫌で生きるよう勧めてくれているのだろうか。
咲子は考える。
船着き場の向こうの山に、日が暮れる。生まれてこのかた名前も知らない山だが、真咲はいつも気がつくとその向こうに沈む夕日を見送っている。
日が没したあと、薄暗くなりつつある空にくっきりと浮き立つ黒い稜線の上には、数分のあいだ、明日への希望を仄めかすような残光が射す。
真咲はその光とも闇ともつかぬ青みがかった微妙な色具合を眺めながら、心の奥に何かわからないものを受け取っている自分を感じる。それが何なのか、知ろうとするのだがいつもどうしてもうまくいかない。それは無理矢理に言葉にするならば、不安でもあり、退屈でもあり、また計り知れぬ悠久の神秘のようでもある。
――これが、自分がいまこの土地に足を踏みとどめて立っている、その理由なのだろうかと、真咲はときどき思う。
――灼熱の季節がやって来ていた。
七月の中旬になってもまだ雨の日は少なく、今年は空梅雨を覚悟していたところにようやく待望の梅雨が訪れ、それからは二週間ほど毎日のように雨が降り続いた。
人々が長く続く鬱陶しい日々にうんざりし始めたころ、スパッとけじめをつけるように太陽は戻ってきた。
けれどそうすると、今度は気温が急上昇し、梅雨のあいだから人々を悩ませていたじめじめした湿気と一緒になって、いわゆる蒸し風呂のような状態を作り出した。
日中日向に出るなどもってのほか、何かしようと思えば朝の早い時間帯にすべて済ませておかなければならなかった。湿気を十二分に含んだ大気はまるで生ぬるい水のなかを泳いでいるような感覚を生じさせ、高温に喘ぐ人々の呼吸は浅くなった。
「あんた何歳になったんかな」
取引台の上に千円札を置きながら、慶太郎爺が言った。
「四十五になりました」
恥ずかしげもなく、咲子は答える。自分の年齢を人に教えるのに抵抗を感じなくなってから久しい気がする。いつもの営業的なスマイルさえ浮かべながら、お釣りを渡した。
「ほうか。そんならこっからが折り返しじゃなあ」
ケイ爺は皺の寄った顔をほころばせ、取引台から二メートルほど離れたところに設置してある木製のベンチによっこいしょと言って腰かけた。
「折り返し」
「そうよ。いまの人は、百年生きるようになったやろ。あんたたちゃまだこれからじゃ!」
「そんなこと言って。じいちゃんも、まだまだ長生きしそうやなあ」
咲子は言う。
慶太郎爺は、御年九十歳のご長寿である。この歳になっても自分で大根を漬け、独り暮らしの身でありながら、毎日自分のために味噌汁やおかずを作る。連れのお婆さんに先立たれたのは、何年前のことだっただろうか? 浅黒い皮膚と、横に広い顔と体躯の持ち主で、毎回自転車を漕いで咲子たちの店に来る。
「俺ぁもう駄目よ。まだの、いざって歩かんでいいけえちったマシやろうけどの」
そう言ってケイ爺は笑った。その笑いにさえ、ちょっとの余裕がうかがえるのが、咲子には頼もしかった。
――若いころがちょうど太平洋戦争の末期に当たったケイ爺たちの世代は、張り詰めて切羽詰まった気運のなかで青春時代を過ごした。本土決戦に備えて毎日のように河原で戦闘訓練を受けていたという。当時十四、五歳ぐらいだったに相違ないケイ爺は、竹槍を持たされて藁で作った人型の標的に向かって突進したり、対戦車攻撃の〝人間爆弾〟としての練習を積まされた。
「おうよ、こげえ、戦車に向かってのう、爆弾抱えて体当たり! はい! 行ってけえーーっ! ちゅうてのう!」
咲子は数日前に観たドキュメンタリー番組のことを思い出していた。戦況がいよいよ厳しくなっていたころ、九州一帯が本土決戦に向けて準備をしていたという内容だった。ケイ爺の話は、番組のなかで証言していた老人の話と綺麗に重なった。実際にそれを経験した人物が目の前で話しているのだと思うと、テレビで見た情報に、いっそうの生々しさが加わる。
ケイ爺が組み込まれていたのは国民義勇隊と呼ばれた急造の民間防衛部隊だった。ケイ爺は爆弾を抱えて戦車に突っ込む訓練をしたと言ったが、咲子が観たドキュメンタリーでは爆雷を背嚢に入れて背負い、たこつぼと呼ばれる塹壕から飛び出していって、地面を這って、敵の戦車のキャタピラに投げ、走って戻ってきてまた塹壕に隠れる、という訓練だったという。当時撮影されたらしい記録フィルムの映像では、具体的な攻撃は爆雷を戦車の下、腹の部分にぺたっと貼りつけるようにしていた。
勿論練習で本物を使うことはなく、ケイ爺たちが訓練をするときに持たされていたのはデモだった。爆弾とは名ばかりの、紙か何かを丸めたものを紐やテープでぐるぐる巻きにしたような、手作りのお粗末な模型だったそうである。
もし本土決戦とあいなって、本物の爆雷を背負って戦車に突進するという事態になっていたら、命の保証はなかっただろう。ドキュメンタリーを見ながら咲子はネットで調べたのだが、爆雷というのは信管を内蔵した接触刺激により作動するものと、導火線を使用した時間経過により爆発するものと二種類あったそうだ。前者とすれば、戦車に接触した際もしくは突進中に転んだり何か不測の事態が起こって信管が外れると、そこで爆死してしまう。後者にしても、制限時間内に首尾よく戦車に辿り着いて設置をし、導火線に火を点けた上で安全圏まで逃げるというすべての行程をスムーズに成し遂げられなければ、やはり爆雷と共に命を奪われることになる。
大本営は、このような末端の小集落の子どもの命までもを犠牲にして戦車を吹っ飛ばそうなどと本気で考えていたのだろうか。そう考えると、咲子は当時の人々がどんな気持ちで日々を生きていたのかということに、心を馳せずにはいられなかった。
歴史を知るいまの我々は〝終戦間際〟という言葉を使い、そのころにはもうすぐ日本は負けるのだから何をやっても無駄だ、と理論立てることができる。だが進行形のその時点においては軍人にしろ国民にしろ、上層部の一部の人間を除くすべての日本人はまだそのことを知らない。我慢して戦い、辛抱して頑張ればアメリカに勝てると固く信じていたのだ。彼らのすさまじい精神状態を想像しようとすると、自然と眉間に皺が寄った。
ドキュメンタリーのなかで、当時ケイ爺と同じくらいの歳だったかつての義勇兵である老人はこう言っていた。
「怖いとか、もうそういうことは通り越している。判断停止。ただ言いつけ通りに動くロボット……だったんじゃないかと思う」
ケイ爺にしても、いまのように熱の籠った話しっぷりを見ている限り、もしそのときが来れば判断停止したロボットのように迷わず戦車の下に身を投げ出していたのではないだろうか。そうだとしたら、ここでこのようにケイ爺と咲子が会話を交わしているという光景は実現しなかったかもしれない。
そう思うと、咲子は何か胸の詰まるような気持ちになった。
ケイ爺の話は爆弾のデモを人が作っているのを見たことがある、というところに差しかかっていた。話し続けていくうちに、ケイ爺のなかである興奮が高まってきたようだった。それからあとは、早口になり声がくぐもって、何を言っているのかよくわからなくなった。
咲子にようやく聞き取ることができたのは、最後にケイ爺が「そげなことがでくるかっちゅーんよのう」と目を剥いて笑いながら言った言葉だけだった。
青春のただなかに、命を差し出すことを要求されて生活していたケイ爺が、当時の心持ちとして〝そんなつもりは微塵もなかった〟といま高らかに宣言したことは、咲子に少なからぬ安堵を与えた。そして、あの、日本国中がある種の狂気に取り憑かれていたと言っても過言ではないような時代に、生きることを諦めない前向きな意識を持った少年がいたという事実に、咲子はふっと明るい気持ちになった。
――ともかくも、そのようにして生きるか死ぬかという時代のなかで、否応なく身体と心を鍛えられて過ごした若き日々の基盤があるから、この歳になっても頑強でいられるのだろうと咲子は思った。勿論ケイ爺の歳で、病気がちだったり弱り切ってしまっている男のお年寄りも多い。とっくに亡くなってしまった人は、もっと多いかもしれない。けれどケイ爺のように九十の齢を迎えるまで健康に生き永らえた人は、言わば〝選ばれし人〟で、そういう人は実際、飛び抜けて長生きをする。長年に渡るお年寄りとの付き合いの経験から、咲子はそう確信していた。
来店するお年寄りのなかに、宮園の爺ちゃんという人がいる。この人も年齢は八十五を超えた辺りで、矍鑠としているが人当たりのいい笑顔の持ち主だ。店に来るといつも機嫌よくひとしきり話をして行く、咲子の好きな爺ちゃんのひとりだった。
宮園の爺ちゃんは咲子の同級生の祖父で、母から聞くまで咲子はそのことを知らなかったのだが、浦にある由緒正しき神社の神主の家系だった。若いころ漁師だった爺ちゃんは、おそらく戦争末期に召集され、兵隊として戦地に行っていた。満州への出征だったそうで、爺ちゃんは終戦後、ソ連軍の捕虜となってシベリア送りになっていた。
爺ちゃんはシベリアでのことを、あまり話したがらなかった。戦争当時のことについて強い興味を持っている咲子は、何度か話を振って聞き出そうと試みたが、そうすると途端に爺ちゃんの口は重たくなった。兵隊に取られる前に漁師をしていたころのことや、シベリア抑留の期間を終えて故郷に戻ってきてからの生活――ここ何年かは老人たちのあいだで流行っているグラウンドゴルフに興じていること、つい昨年胃ガンが見つかって胃を全摘したという話――などについては非常に饒舌に話すのだが、あちらでのことは、はぐらかすようにして避けた。
――やはり、話したくないのだろうな。
内地で戦闘訓練を受けたが出征を免れたケイ爺はまだ、その経験を口にすることができるのかもしれない。けれど、実際に兵隊として戦地に赴き、かつ戦争が終わったあとも何年も故郷に帰れなかった宮園のじいちゃんの経験というのは、咲子のような者に語るにはあまりにも重すぎるのだろうと推測した。買い物のついでに世間話のように話せる類のものではないのだ。それを自分が知りたいからと無理に聞き出そうとするのは、デリカシーに欠ける興味本位のひやかしでしかないように思われた。
それ以来、咲子は爺ちゃんに戦争のことを聞くのを止めた。
咲子は、幼いころから年寄りめいたものに惹かれる傾向があった。老獪、臈長けた、といった言葉がなぜか好きだったし、同じくらいの年ごろの子たちが子どもらしいエネルギーを思い切り発散して騒いでいる輪のなかで、同じレベルにまでテンションを上げることがどうしてもできなかった。
落ち着いていて、冷静で、物事の判断をきちんとできる、世の中のいかなることにも動じない、長老と呼ばれるような人間に憧れているようなところのある、変わった子だった。人生でたったひとつ、どこにいても、何があっても、つまりはどんな局面においても必ず通用する万能の〝何か〟を知りたいと、一心に願っているような子だった。
そのせいか、咲子の歩き方は、年々俊敏さを欠いて、むしろ放縦と言ったほうがふさわしいようなものになっている。体の体重移動が前方に向かわず、どちらかというと左右によたよたと振り子のようにかしいでしまうことは以前から気になっていた。年齢のせいだと言ってしまえばそれまでだが、ケイ爺の言ったような〝人生百年時代〟においては、まだそうなるには少し早いような気がする。自分自身、そのことはどうにも不満だった。
精神が臈長けるのはいいことだ。けれど肉体が衰えてしまうことは、その反対だ。
咲子は思う。
扇風機の風が、北側の窓から吹き抜けていく風と混じりあいながら顔を撫でる。アドニスは母の籐椅子に、半眼になって眠っている。朝方も、夏の期間はずっとそうするように店の取引台の上で長ながと横になって寝ていたのだが。このところ、見るたびいつもバテたような格好で眠っている。
丸まっていた体の腹側に熱がこもったのか、猫は体を伸ばして伸びをした。真っすぐな姿勢になると呆れるほど長いオレンジ色の背中に幾筋も走るベージュ色の線が、優雅な曲線模様を描いた反物のようにその全貌を現す。
「美しいなあ、ホントにあんたは」
思わず真咲は呟く。毎日目にしているはずのアドニスの毛並みなのだが、改めて見るたび、いつもつくづく感心する。
人間で言えば青年期真っ盛りの男猫は、細身の割に筋骨隆々である。抱き上げるときには、鉛のようにずっしりと重い。
その体を見せつけるように、アドニスはもう一度大きな伸びをした。長すぎる体はとうとう籐椅子からはみ出して、前足と後ろ足は完全に外に飛び出した状態になった。
そのままこの猫は、怠惰な昼寝を続けるつもりらしい。目を閉じ口角の上がった顔の表情は、これ以上はないというほど満足そうだ。
真咲は手を伸ばして、アドニスの背中を撫でた。毎日夕方には鯵やきびなごなどの新鮮な小魚を食べさせるので、天然の魚油が浸透しているのだろう、その毛並みは神々しいばかりに光り輝いている。真咲の手の動きに合わせて、背中のツヤも移動する。
アドニスが目を開け、真咲を見上げるように籐椅子の上でごろんと仰向けになった。今度は腹を上に向けて、冷やすつもりのようだ。
この浦の夏は、年々暑くなっている。特に今年の夏は、〝年に三日の暑い日がない〟と言われる猫にとっても随分厳しいらしい。
「こらっ。あんたは寝るのが仕事でいいなあ」
ぽんぽん、と、アドニスの額を叩いた。自然体でいまを生きることのできる動物が、羨ましいと思う。
猫は仰向いたまま、大きく目を開くと、そのまま身じろぎもせず真咲を見つめていた。
時折アドニスの目のなかに、真実を見透かす光のようなものが見える気がして、そのたびに真咲はドキリとする。それは、誰もごまかすことのできない、嘘をついても見破られるような恐ろしさを秘めている。
真咲はアドニスの目をじっと覗き込んだ。その目は瞬きもせずにこちらを見返してくる。見つめ合っているうちに、真咲はこう思った。
この猫は、わたしのことをすべて知っているのかもしれない。人間には想像すべくもない秘めた力を持っていて、わたしが誰にも知られたくない秘密も全部お見通しなのだ。
「知っとるんやろ、みんな。何か言ってみ、アドニス」
試みに、喋らせようとしてみる。無論猫はこちらをじっと見るのみで、何も言葉を発さない。言いたくないから言わないのか、それとも口の構造上喋れないのか、はたまた、本当に何も知らないのか。
でも、見つめれば見つめるほど、この猫は自分に関するすべてのことを知っているのではないか、という風に思えてくる。もしかしたらその上で、あえて黙っていてくれているのではないだろうか。そう考えると、アドニスに対して恥ずかしいような逆に感謝するような、複雑な気持ちが芽生えてくる。
でももしそうなら、彼は真咲だけでなく咲子の考えていることも、母の心のなかも、もしかするとこの浦に住む人々の秘密も、全部知っているということになるのではないか。そんなことをすべて承知の上でこの世界に生きているとするならば、猫というのはあなどれない生き物だ、と真咲は思った。
――でも――。
わたしの考えすぎかもしれない。猫は自然の一部として、一種族の動物として、ただここにいるだけなのかもしれない。真咲はこうも思った。
けれど、一瞬閃いたその考えは、ただの気休めのような気がされてならなかった。それほどに猫の瞳は理知的で、人間の真咲には理解不能な神秘を秘めているように見えるのだった。
どっちにしろ、猫が喋らない生き物でよかった、と思って真咲は溜め息をついた。
アドニスは真咲に視線を合わせたまま口を開けて舌を長く突き出し、大きな欠伸をすると、籐椅子から飛び降りて行ってしまった。