【長編小説】 初夏の追想 3
――ここに戻って来た時点から、どうも私には何かが取り憑いたようである。なぜなら、あれほど現実にその場所に立ち戻ることを躊躇していたというのに、いまでは私の指はしっかりと万年筆を握り、紙の上をさらさらと滑らかに滑らせ、早くこの物語を本式に始められるよう、せっかちなほど忙しく動き回っているからだ。
どうやら私はこの家で、彼らの亡霊に囚われてしまったらしい。
夜中にベッドの中で目を覚ますとき、彼らが手に手に幾多の古い思い出を掲げて、表の砂利道の上を行進して来るのが聞こえる。彼らの行進はいかにも亡者らしく、ゆっくりと緩慢ではあるが、それだけに妥協を許さず、強い意志に満ちている。彼らは夜ごとに少しずつ屋敷に近づいて来、早く彼らの物語を開封せよと扉を叩く。
彼らはすぐそこまで来ている。
夜ごとに彼らの要求は強まり、あるときついに扉を打ち破った。すると彼らは自分勝手に屋敷の中を徘徊し、かつてのままの姿で、てんでに当時の生活をやり始めたのだった。
そしてそのただ中で、私は押し寄せる記憶の波に飲み込まれそうになりながら、辛うじて均衡を保っている。彼らと再び出会えたという歓びに、足元をすくわれないように、細心の注意を払いながら……。
――その少年は、美しい少年であった。
痩身の体躯と優しい面ざしを持ち、成長期の若者に特有の、ただそこにいるというだけで周囲の雰囲気を清らかにさせるような、自然と発散される輝きや瑞々しさのようなものを具えていた。肌は透けるように白く、一点の曇りもなく艶めいていたが、髪の毛のほうはそれと対照を成す漆黒の色をしていた。人を見遣るときの涼しげな目尻はこめかみに向けて長く切れ上がり、視線を向けられた人のほうはその妖しさについ心を乱されてしまうほどだった。誰がどう見ても、彼が飛び抜けて恵まれた容姿を持って生まれてきたことを否定することはできなかった。
だがその外見もさることながら、彼は非常な感受性の持ち主でもあった。いわゆる天才肌とでもいうのか、ときには気難しくもあり、周りの人間を気詰まりにさせることもしばしばだった。けれどそれを差し引いても、一度でも彼と接した人は、その尋常ならざる才気に、誰しも惹きつけられずにはいられないのだった。そんな風だったから、彼を目の前にして彼に一種の憧れや好意を持たぬ者はまずいなかっただろう。
私は、三十年前、この建物の中で、その少年とともに過ごした。その日々は短かったけれど、私の人生にもっとも大きな影響を与えるものとなった。彼と暮らしたあの日々に起きた出来事によって、私は人生の転換を遂げた。それは、それまでの人生をそっくり覆すほどの、大きな変化だった。そして、そのころの私は、そのことが自分をこんなに大きく変えようとは、予想だにしていなかったのである。
意識の変容というものは、必ず、自分の気づかないところで起こっている。そして人間には、それを自ら押し止められるだけの力はない。
それが、あの夏の日々を通して私が知ったことだった。