【怪談】 取ってきて
数年前のことです。
母に頼まれて、親類の家にあるものを
取りに行くことになりました。
その親類は、母方の遠縁にあたる家で、東京から車で4~5時間かかる田舎にありました。
その日私はあまり体調がよくなかったのですが、
母がどうしてもすぐに必要だからと切羽詰まった様子で言うので、仕方なく重い体を引きずって車を出しました。
都心から車で2時間、
狭い山道にさしかかりました。
ここからはずっとくねくねと続くアップダウンの多い道が続きます。
私は子供の頃、母方の祖父に連れられて一度だけその家に行ったことがありました。
あまりにも長く続く険しい山道だったので、子供心にもよく覚えていたのです、
その日は、私の体調を反映するかのように、どんよりと曇った嫌な天気でした。
私は栄養ドリンクを飲み、気を取り直して車を運転し続けました。
やっとの思いで親類の家に着いた時は、もう午後も遅い時間で、その家のお婆さんという人が1人で出迎えてくれました。
家はかなり大きな純日本建築で、大広間を中心に、やたらとたくさんの部屋がありました。
小さい頃母から聞かされていた話では、その家はとても古い歴史のある、その地方では有名な旧家だということでした。
「さあさ、さぞ疲れたでしょう。お茶でも飲んで、部屋でくつろいでいなさいな」
歳の頃なら80歳くらいのそのお婆さんは、私が初めて会う人でした。
小さい頃に祖父と一度訪ねた時は、もっと若くて見た目も違っていたかもしれないので、私が覚えていなかっただけかもしれませんが……。
屋敷中に幾つも複雑に走っている長い廊下を何回も曲がって、客用と思われる8畳ほどの美しい和室に通されました。
後から不思議に思ったのですが、廊下を歩いている間、どの部屋にも、全く人の気配がしませんでした。
部屋で休んでいると、スッと障子が開いて、この家の主人という人が入ってきました。
「遠いところを、よくお来しなさいました」
その人は、私の母から見ると、はとこにあたる人ということでした。
食事を一緒にと言われ、その人について大広間のような立派な部屋に通され、御馳走を振る舞われました。
「母に、ものを取ってきてほしいと頼まれたんですが……」
食事の際に私は言いました。
母は、先方に言ってあるからとだけ言って、具体的に何を取ってきてとは言いませんでした。
ご主人は、うなづきながら、
「ああ。それは、明日お見せすることにしましょう。今日はもう遅いですから」
と言いました。
食事が終わり、お風呂にも入らせてもらって部屋に戻ったのは、10時頃だったでしょうか。お風呂に入っている間にお婆さんが布団を敷いておいてくれたようでした。
日中の運転の疲れもあり、体調の悪さも相変わらずだったので、すぐに布団に入りました。
食事の時に勧められて飲んだお酒のせいもあったのでしょう、目を閉じるとすぐに眠りに落ちてしまいました。
……どれぐらい眠ったのでしょう……
私はふと目を覚ましました。
部屋は真っ暗で、布団を着ていても何故か肌寒さを感じます。
枕元の照明を点けようと
手を伸ばした時でした。
布団の横のところに、
赤い着物を着た若い女の人が、
こちらに背を向けて座っているのが見えました。
そして、独り言のように
ぶつぶつ何かを言っているのです。
私は恐怖で凍りつきました。
……耳を澄ましてよく聞いてみると、
その人は、唄を歌っているようでした。
♪ 取ってこい~ 取ってこい~
ご神木~を 取ってこい~
ご神木~を 取れんなら~
しめ縄の紙ぃ~ 取ってこい~
わらべ唄のような単調なメロディーが、
時々哀しげな調子に変わるのが何とも不気味でした。
その人は、同じ唄を繰り返し
何度も歌い続けました。
私は怖くてガタガタ震えていました。
どうしよう、何とかしなければと思いながら、体を動かすことが出来ません。
でもその内に、その人は催促するように
ゆっくりとこちらを振り向き始めました。
咄嗟に私は、
〝見てはいけない!〟と思い、
布団を跳ね挙げて部屋から飛び出しました。
ご主人かお婆さんに、今部屋で起きていることを伝えようと思いましたが、
二人ともどの部屋にいるのか見当もつきません。
私は屋敷じゅうを走り回りました。
でも暗い廊下をどんなに走っても、
お婆さんもご主人も、その気配さえありません。
パニックになり、汗みどろになって細い通路に飛び込むと、そこには外に出られる勝手口のようなものがありました。
私は無我夢中で、戸を開けて外に飛び出しました。
暗闇の中、どこをどう走ったのかわかりません。
気がつくと、私は大きな鳥居の前に
立っていました。
するとまた、あの不気味な唄声が
聞こえてきたのです。
♪ 取ってこい~ 取ってこい~
ご神木~を~ 取ってこい~
ご神木~を~ 取れんなら~
しめ縄の紙ぃ 取ってこい~
……あの女の人が追いかけて来ているような
気がして、私は夢中で鳥居をくぐりました。
♪ 取ってこい~ 取ってこい~
ご神木~を~ 取ってこい~
ご神木ぅ~を~ 取れんなら~
しめ縄の紙ぃ 取ってこい~
声は、段々近づいてきました。
怖い……! 怖いッ……!
早鐘を打つ心臓に突き動かされるように、
私は神社へ続く階段を駆け上りました。
階段を上りきったところには、
何故か神社の建物はありませんでした。
ただ月が雲に隠れて辺りは真っ暗闇です。
私は気が狂ったように、木々の間を駆け回り、ご神木を探しました。
その時、いきなり目の前に
しめ縄を巻かれた
大きなご神木が現れました。
……これだ……
と、思った瞬間、
すぐ後ろの暗闇から
取ってこい
「うぎゃあああああああーーーーーッ!!!」
私は生まれてから一度も上げたことのない声を上げて、夢中でその場を走り去りました。
ただ、不思議とその直前に、ご神木についている白い紙の一部を引きちぎっていました。
……ふと気がつくと、
私は布団に寝ていました。
夜が白々と明け始めていました。
え……ご神木は……?
……あの女の人は……?
狐につままれたような気分で起き上がると、
何だか体が軽くなったように感じられました。
私は手に、小さな白い紙切れを握っていました。
あのご神木の紙なのかと思い、
また不思議な気持ちに駆られながら、
朝食の席で、お婆さんとご主人に
夕べあったことを話しました。
何故かわからないのですが、
あの赤い着物の女の人のことは
話しませんでした。
すると二人は、安心したように溜め息をついて、「もう大丈夫だ」と言い、
こんな話を聞かせてくれました。
この家は、江戸時代から続く旧家で、昔は大地主だったとのことでした。
ある年、天候が悪く作物が採れない年がありました。
それでも無理をして年貢米を納めさせたところ、農民達の間に飢饉が広がりました。
屋敷の外まで押し寄せて食べ物をよこせと迫る農民達に、この家は雑穀のひとつも出さなかったそうです。
結局農民達の多くが、
飢餓や病気で亡くなりました。
……それから何世代か後に、この家に、奇病を持った娘が生まれました。
赤子の頃から顔じゅうに奇妙な腫れ物が
たくさん出来て、膿を持ち、悪臭を放って
とても見られるものではなかったそうです。
……昔の農民達の呪いに違いない……
そう思った大地主は、娘を家から一歩も出さず、座敷牢に監禁しました。
娘は生まれてから一度も外の世界を見ることなく、若くして亡くなったそうです。
……それ以来、この家系には、体が弱かったり
精神を病んで生まれてくる人が
後を絶ちませんでした。
そこで何代か前の主が、
鎮守様に願かけをし、
山の上にご神木を祭って
飢餓や病気で亡くなった農民達の
魂を慰めました。
それでもう長いこと、この家に呪いのかかったような子供は生まれなかったのですが、
現代になった今でも、どうかすると
その呪いが飛んで、一族の弱い者に
危害を及ぼすことがあるのだそうです。
このお婆さんとご主人は、本家に残ってずっとご神木を祀っている人達でした。
聞けば、私が幼い頃、祖父に連れられてここに来たのも、私が生まれつき少し体が弱く、呪いにつけこまれやすい体質であったことを心配して、祖父が連れてきたものだったそうです。
その時も何らかのお祓いをしてもらって
無事に帰ったそうでしたが、
今回も都会暮らしで守りが弱っていた私に
悪いことが起きそうだったとのことでした。
母は霊感のある人でしたので、それを
いち早く察知したのでしょう。
……「取ってきてほしいものがある」というのは、私に憑いている悪いものを
取ってきて
という意味だったのです。
ご神木からちぎってきた紙切れを、お婆さんは小さな布の袋に入れてくれました。
そして、これは保護だから、しばらくの間肌身離さず持っておくようにと言いました。
田舎の野菜やお土産をたくさんもらって、
その日のうちに私は東京に戻りました。
あれから体調を崩すこともなく、
仕事に励んでいます。
……時々、あの赤い着物の女の人のことを
思い出します。
あの人は、顔に奇病を持って生まれ、若くして亡くなった娘さんだったのでしょうか。
……あの時、振り返ったあの人の顔を見ていたら、どうなっていたのでしょう。
けれど、あの唄のおかげでご神木を見つけ、しめ縄についている紙を取って来ることが出来たのは事実です。
あの人は、私を守ろうといて
あの夜現れたのでしょうか……?
……そして、今もあの大きな屋敷のなかに
棲み続けているのでしょうか……。
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