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『阿賀路』第62集 令和6年(2024)

発行した『阿賀路』の目次と概要紹介です。


目次

(主要記事の目次は上記と重複するため省略)
「閑話休題」
1 雪国?阿賀町 石川治
2 「当麻」…知ってなきゃ読めない難読地名とその発音、由来 堀口一彦
3 「オタクサ」と言う名の紫陽花 江川淳子
4 「高松館」解体される 長谷川文明
その他、編集後記など(省略)


我が父 赤城源三郎について
郷土史に関わった前提(講演の続きとして)

赤城正男氏による、郷土史家・赤城源三郎について振り返りの記事。
前年(令和五年)の阿賀路総会での講演の続きとして"父がなぜ郷土史に関わったのか、その前提となること”を記す。
戦国時代に遡る赤城家の先祖と来歴について詳しく述べられている。


小瀬ヶ沢、室谷洞窟と新潟県の縄文文化のはじまり

橋詰潤(新潟県立博物館専門研究員)氏による研究成果を概説する記事。

本稿は、二〇二三年七月二二日に阿賀町公民館を会場として行った新潟県立歴史博物館の出前講座「小瀬ヶ沢、室谷洞窟と新潟県の縄文文化のはじまり」の内容に基づいている。当日の内容の中から、両洞窟の調査にかかわる学史と両洞窟の重要性、筆者が二〇〇五年より継続してきた再分析の試みなどについて概要を紹介する。

阿賀路本記事の「はじめに」より引用

旧上川村にある縄文時代草創期にあたる両洞窟の発掘調査について、洞窟の説明、出土品の解析、研究の経緯など学術的で読みごたえのある記事となっている。


郷土における 平 維茂 雑考

杉崎純一氏による平維茂(たいらのこれもち)についての考察記事。観光名所にもなっている「将軍杉」の名前の由来は余五将軍(平維茂)に依る。この将軍杉や平等寺、岩谷の齋藤孫十郎家のことなどについて文献の記載も確認しながらまとめている。


会津と越後に残る高倉宮以仁王伝記

小澤弘道氏による高倉宮以仁王伝説についての考察記事。

改めて前号の『阿賀路』第六十一号に続き「高倉宮以仁王伝記」を取り上げ、書承である会津側の伝記と中山周辺の伝記を見比べ、違いと理由について考えてみた。

阿賀路本記事の冒頭文より引用

以仁王(もちひとおう)は後白河天皇の皇子で平氏滅亡の端緒となった人物であるが、宇治から逃れる途中で戦死したとされる。いっぽう落ち延びた伝承が各地に残されており、阿賀町(旧上川村)もその一つ。本記事は史料の記載内容を丁寧に示しつつ比較と考察を加えている。


全海法師即身仏拝観記

岩鼻通明(山形大学名誉教授)氏による紀行文。
全海法師(全海上人)は貞享4年(1687)に菱潟で即身仏となった僧侶。毎年七月八日に御開帳があり、この日のみ拝観することができる。
道中や周辺で見聞きしたことが豊かに表現された紀行文であるうえ、文献から引用した解説が加えられているのも参考になる。


阿賀・阿賀川について

石田明夫氏による阿賀川(阿賀野川)の解説記事。
阿賀野川は、上流と下流あるいは歴史的変遷において、揚川や阿賀川など複数の呼び名と表記がある。
本記事では歴史的経緯をおさえつつ、史料にどのように書かれ、また描かれているかを包括的に解説されている。


フランス人医師の見た明治七年の東蒲

石川治氏による仏医師ヴィダルに関する資料紹介と考察記事。
本号発行の2024年はヴィダルが阿賀町を訪れた明治7年(1874)から丁度150年となる節目の年。ヴィダルが阿賀町で何を見てどのように記録をしたのかを先行研究の文献を紹介しつつ、そこから読み解ける事実をもとにさらに考察を加えている。


五十嵐家住宅の復旧計画及び現在の状況

清田亮(阿賀町教育委員会社会教育課主任)氏による表題事業の報告。
五十嵐家住宅は平成3年(1991)に国の重要文化財に指定された山村住居(と蔵)で、令和4年(2022)の豪雨災害により主屋の半分が倒壊した。現在はその復旧工事の途上であるが、その経過や状況について写真もふんだんにまとめられている。


没後の今川魚心子の輝きの追求

岡村鉄琴(新潟大学教授)氏による今川魚心子に関する随想的記事。
今川魚心子(ぎょしんし)/今川文暁(ぶんぎょう)は文人墨客として知られる阿賀町宝来寺の住職。
本記事では「魚心子会」、「阿賀町ゆかりの文人展」などの思い出や、近年の出来事などにも触れている。


来訪の洋画家・𠮷田博 麒麟山からの眺め

石川治氏による𠮷田博(吉田博)と洋画「雨後」に関する記事。
𠮷田博は明治~昭和期に活躍した風景画家で、麒麟山から阿賀野川を描いた洋画が残されている。この作品については不明な点が多いが、様々な観点から推測的考察を加えて解説している。


奥阿賀の俳句紀行 七 東蒲原郡の炭焼き

写真家で俳人の山口冬人氏による炭焼き小屋の訪問記。
三階原や東蒲の風景写真に情感ある文章を添えて、農村の営みを叙情的に描いている。


新潟県内の岩越線(磐越西線)の駅と鉄道施設

目黒公司氏による磐越西線についての解説記事。

福島県の郡山駅から新潟県の新津駅までを結ぶ磐越西線は、大正三年(一九一四)十一月一日に「岩越線」として全線開通した。今年(二〇二四年)はそれから百十周年となる。

阿賀路本記事の「はじめに」より引用

鉄道建設の背景や新潟県内の各駅の解説、トンネルや鉄橋、土木遺産としての岩越線(磐越西線)の価値などについて、幅広く詳細な情報がまとめられている。


群外研修「新発田市方面を巡る」に参加して

長谷川栄一郎氏による群外研修(令和五年九月五日)の報告記事。
会津藩の宿場赤谷から始まり、新発田市各所(市島邸、新発田城、蔵春閣等)を巡った概要について記しています。


[次号予告]戦後80年特集 「平和の大切さを次の世代に」

次号予告も兼ねて関連投稿を呼びかける案内記事。「新潟県終戦処理の記録」を引用する形で戦没者数(「郡内町村別戦役別戦没者一覧表」)も掲載している。


阿賀町のできごと

齋藤修平氏による一年間(R5/2023年)を振り返る近況記事。
四年ぶりの「つがわ狐の嫁入り行列」開催など5件のトピックを取り上げている。


おわりに

本記事の概要紹介(書評)は管理人によるものです。
なお、『阿賀路』の記事本文は公開しておりません。
内容に興味を持たれた方は、事務局から入手されるか、所蔵されている図書館で誌面をご覧いただければ幸いです。
本記事あるいは本誌記事を読んでの感想、意見、要望などありましたらお気軽にコメントをいただければ大変有難く存じます。
(文責:石川)

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