安藤忠雄展「挑戦」 ギャラリートーク(+宮本亜門)2017年10月
これまで衝動に駆られて新型コロナ、およびWHOについて書いてきたが、ここらで息抜きをと。以前安藤忠雄の展示会に行った時に、偶然ギャラリートークをやっていて、メモしていた。安藤のファンになったきっかけのそれを共有したい。
海外で建築家をしている友人から、安藤忠雄展が開催しているので行って図録を買って来てと頼まれた。広告を目にしたことがあり、気にはなっていたので都内に用があるのに合わせて、国立新美術館に足を運んだ。展覧会のタイトルは「挑戦」。英語のタイトルは「Challenge」ではなく「Endeavors」。安藤らしいシンプルなタイトルだ。
友人に報告するつもりで、入場してすぐに、ダメ元で係員に写真を撮っていいか尋ねた。案の定、テラスの「光の教会」以外はダメだと言われた。がその係員の女性はすかさず興奮気味に早口で、「今、安藤さん来てらっしゃいますよ。今からギャラリートークが始まります。そ、そこをまっすぐ行って左に曲がったとこです。」と。急かされるままに、展示物を素通りして指示された方に行くと、広いホールの真ん中あたりに椅子を置いて安藤忠雄と男性が座っていた。よく見るとその男性はテレビで見かけたことのある宮本亜門だった。あっそう。この時点で、何か得をした気分になった。それを取り囲むように床に2,30名の観客が座っており、さらにその周りを立ち見の観客がポツポツと囲っていた。隙間なく集っているわけではなかったので、すり抜けるように、宮本亜門のすぐ真横の位置につくことができた。息遣いの聞こえるほど、真横に位置することが出来てラッキーだった。
思いがけず初めて聞いた安藤忠雄の話は面白くて、元気をもらえた。おまけにトーク終了後に安藤本人と一言二言、言葉を交わし、図録にサインをもらうこともできた。何人かの人に内容を聞かれたので、聞き逃すまいと自分の備忘用も兼ねて抄録を起こした。
安藤忠雄展「挑戦」ギャラリートーク
2018年10月12日 12:30~13:15 @国立新美術館
スタッフの合図とともに亜門がインタビューし、安藤の特有のだみ声が始まった。
安藤)宮本亜門さんなんでも聞いてください。
亜門)沖縄の国際通りの真ん中に安藤さんの建築があるんですけど、ほとんど安藤さんの経歴から外していると思うんですけど。というのは、今は白いペンキとかで塗りたくられてるんです。でも風が入って気持よかったんだろうなぁと思いました。
安藤)あれは1984年にオープンしたんですよ。45m角の真四角なコンクリートの建物ですよ。沖縄のシンボルであるタジュマルの大きな木を屋上においた。そこが日陰になって安らぐ。私はいい建物だと思った。でも建物というのは時がたてば、どんどん転売されて誰の持ち物かわからなくなる。時々沖縄に行くのですが、凄いことになってるなぁと見てた。(注:1984年にフェスティバル、1996年に沖縄OPAに、2013年からドン・キホーテに)
建築物はドンドン変わっていく。私は、昔作った作品の近くに行ったときに、見に行こうかどうか迷うんです。見るのが怖いんです。どんなに風に変わってるのか不安で怖いんですね。でも作った人間には、責任がつきまとうんです。建築はメンテナンスが大事。私がやっているコンクリートは10年に1度メンテナンスすると100年は全然問題ない。私は100歳まで生きますよ。人間もメンテナンスをすると100歳まで生きれるんです。本を読んだり亜門さんの芝居を見てメンテナンスすることが必要なんです。(笑)
亜門)テラスにある光の教会は安藤さんが作るって言い出したんですか?
安藤)展覧会で15万人くらいにしたいと言うので、ガラスのない「光の教会」(実際の「光の教会」は寒いと言ってガラスを入れさせられた)を作りたいと思った。国立美術館の2階テラスに作るのは大変だったんです。私は展示物だと言ったが、東京都には増築だと言われた。仕方がないので都とやりとりして確認申請した。実際の光の教会は3500万でできたが、今回7000万かかった。(爆笑)それに持って帰らなあかん。自然と一体になるのはええなぁ。でも暑いでしょ、寒いでしょ。個性のある家は住みにくい。「住吉の長屋」も住みにくいんです。
よく安藤さんはどこに住んでおられるんですかと聞かれるけど、私は大阪梅田のマンションに住んでます。私の魂は地下2階地上5階建ての事務所にあり、自分の住む家は作らない。マンションは住むには使い勝手がいい。(笑)
1980年代90年代、バブル全盛期で大きな建設会社は3500万円くらいの仕事(光の教会)は受けてくれなかった。地元の一柳さん(地元の建設会社)は建築が好きで受けてくれた。でも3500万では、屋根が作れなかった。私は屋根のない教会もいいと思ったが、一柳さんが屋根は自分が寄付すると言ってできあがった。自分が作りたいものがあると人は気合が入る。「住吉の長屋」も「まこと建設」が凄く頑張って作ってくれた。
亜門)安藤さんは、国内でしか仕事をしてなかったのになぜ海外で評価されたのか?
安藤)シャルルドゴールなどを作ったフランスの有名な建築家のポールアンドリューらが、展覧会をやってくれと言ってきた。なぜなら1897年に初めてフランスで、鉄筋コンクリートが開発された。パリが元祖なんです。でもフランスではあまり使われなかった。そこに写真を見て、日本でコンクリートをうまく使っている奴がおる、ということで呼ばれた。
だから、メディアとか雑誌とかは大事なんですね。コンクリートは代々木体育館とか他にもあったが、世界がびっくりしたのは、あの冷たい裸のコンクリートに「住吉の長屋」のように人が住めているということなんです。それで、木造とかもやってましたが、コンクリートを徹底してやったら一つの世界ができると思った。世界中の人が手に入るコンクリートで、世界中の人ができない建築を作ろうと思った。
建築というものは外から見るものでなく、中を楽しむものである。使い方はそれぞれ人に任せる。直島の地中美術館は光が入ってきたらきれいなので、何もしなくコンクリートだけで来た人が自分を発見する場所にした。
(亜門)「安藤さん、どんどん地下に埋めますよね。」(爆笑)
大阪の中之島は、古いものを残して中にもう一つ作ったらどうですかと言った。おじいさんが孫をだいているように。(注:アーバンエッグ計画案のこと)しかし相手にされなかったけど、言い続け、仕掛け続けたらベニスの向えでプンタ・デラ・ドガーナで実現できた。
(建築物は)あんまり見せないほうがいい。北海道に大仏があって、周りの人にあまり喜ばれないので、何とかしてほしいと相談された。見に行ったら鎌倉と同じ大きさで、すごいのは無垢なんです。石を積んでから削っている。尊敬されないというので、全部隠してしまえと言って、まさかやるとは思わずにデザインを渡したら、84歳のこの人「おもしろい」って言ったんです。工事を始めたんですよ。ようやった、と思いますわ。
この間この人、ベトナムでホテル付のゴルフ場を造るということで、アマンホテルのオーナーと二人でホテルの設計してほしいと来た。コンサルタントが難しい工事なんで10年かかると言ったら、この二人顔を見合わせて「10年やったらええな。やりましょう」言ったんです。84歳でっせ。今造ってますわ。こういう人もおるんですわ。やっぱり一週間に1回は感動せなあかん。本読んで、芝居、映画見て食事して。
亜門)ザハさんとは昔からお知り合いなのですか?
安藤)ザハさんとは、昔から友達で1986年にロンドンで展覧会であって、その前に大阪に来られて会っていた。コンクールについては、私に選んだ責任がある。我々の拙かったのは、「工事費もコントロールできるんですか」と話をしなかった。選んでから、文部省にはこんな大きな施設やったことがないだろうから国土交通省と一緒にやったほうがいいよと言ったら、文部省もプライドがあるから「いらん!」。
やりはじめると最初は1300億円だったけど、1800億くらいは行くだろうと思っていたら2500と言いだし、安藤さんの責任だと言い出した。私は選んだだけでその間ノータッチなのに。経緯を記者会見しろと言われて色々あったけど行った。デザインはパンチのあるいいデザインだと思った。屋根が可動式なので固定にすれば、金額も合わせれると思った。丹下さんの代々木体育館も50%くらいアップしたらしいけど、当時の財務大臣(大蔵)の田中角栄さんが世界に向けて発信するなら仕方がない、私がお金は何とか探しましょうと進めて、今でもモニュメントになっている。
日本人の心、力、技術力を世界に示すのだから多少はいいと私は思ったが、そうはいかなかった。
亜門)安藤さんの中で、若い人にこれからこうあって欲しいという思いがあるんですよね。
若い人は自分で目標を作らないといけない。日本は1970年くらいから国が目標を作ってきた。ええ会社入って、終身雇用で60歳まで働いて定年してみたいな。これからは自分を見直して自分は何をするのか自分で考えていかなあかん。(略)
左脳は知識を詰め込むほうで、右脳は自由とか勇気とかの方で。日本人は右脳がないんです。(会場爆笑) 子どもの頃から右脳を取って、偏差値のために塾に行って左脳だけ伸ばしてきたからあかん。そろそろ私はもう一回考え直さなかんと思う。(略)
この展覧会は、回顧展ではなくこれからのスタート。人生というのはいいことも悪いこともあるけど、希望があれば何とか生きていける。
亜門)この間、安藤さんと食事してたら、食事前にざーと沢山の薬を飲んで、ちょっと待ってて、隅っこに行ってシャツをまくり上げて、おなかに自分で注射されてたじゃないですか?
安藤)私2009年に胆嚢と胆管と十二指腸の重なったところにがんが見つかって全摘した。さらに2014年に膵臓にがんが見つかって、先生に「膵臓と脾臓全部取って生きていけるんですか」って聞いたら「1年に1人くらい全摘してるけど、生きてる人はいるけど元気になった人はいませんな。」と言われた。別の先生にデータ見せたら、取らなあかんと言われたので全摘した。だから今、胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓全部ないんですよ。先生には消化器官がないので、口で消化しろ、毎日1万歩歩けと言われている。今のところ全然問題なく生活ができている。毎日血糖値とかいろいろ測らなあかんけど、それくらいは仕方がない。人生起こることは起こるので、それを自分なりに、うまくどう振り分けていくかが大事なんです。
(略)
四季と美しい自然にはぐくまれてきた日本人は文化力が高い。江戸時代には農民が歌舞伎を見ていた。それを大事にしてほしい。自然環境を守って。この展覧会も25%は外国人で、世界はもう一つなんです。地球全体のことを考えてほしい。
抄録ここまで
私は安藤を、テレビでの物言いを断片的に聞いた程度で、あまりいい印象ををもっていなかった。しかし、今回「この人すごい」と思った。
ギャラリートーク含めて展覧会全体を通して感じたのは、安藤は見かけからは想像できなかったが、圧倒的な仕事の量をこなしていることを知った。また記憶力が凄い。頭のいい人によくみられるが、事柄の起きた日付がかなり正確に出てくる。著名人と会ったり対談した日、本を読んだ時期まで。あれは、何年の何月何日でと。納期等のスケジュールと格闘していて、カレンダーが頭に入っているのだろうか。
若い時からのデッサンも展示されていたが、デッサンは見かけによらず非常に繊細で上手なのに驚いた。デッサンには性格が表れるし、あれは相当書き込んでいないとかけないはず。安藤は、繊細さを持ち合わせて弛まぬ努力を重ねてきたの人なんだ、だからあのようなデザインができるんだと。
私は、建築には素人なのでよくわからないが、図録をよく読んで期間中にもう一度見に行きたいと思った。YouTubeにこの展覧会関連がアップされている。
参考:安藤忠雄スペシャルインタビュー『安藤忠雄展 ―挑戦― 』https://www.youtube.com/watch?v=5LIs-16fscg
『安藤忠雄展 ─挑戦』記者発表:安藤忠雄による特別講演
https://www.youtube.com/watch?v=byPlTy-NDuk
追)この直後、偶然にNHK Eテレ「”こころの時代~宗教・人生~ 安藤忠雄「“しゃあない”を生きぬく」”をやっていたのを視た。
安藤のファンになってしまった。
以上