みずたまり変奏曲・全4話 ミモザx歩行者bwith 菊 #創作大賞2024
第一話 みずたまり変奏曲・黒 歩行者b
町のほぼ真ん中と言ってもいいところに、忘れられたようにこんな広場があるのが不思議な気がしていた。腰丈の低いフェンスしかないここで球技は禁止。したがって子どもの姿はない。それに少し幹線道路から奥まっていることもあって通り抜けに利用する人もなかった。
陸哉りくやはここが気に入っている。広場の半分を覆うほどの大きなクスノキはその下にはいると空を隠してしまうほどだ。
ある雨の日、陸哉はそのクスノキの下で雨宿りをした。中学校から家までの下校ルートから少し外れればこの広場がある。
学校は楽しいとは言えない。でも嫌だということもない。小学生の時は多少いじめられたこともあったが、中学にはいってからはそんなこともない。
毎日をなんとなく惰性で過ごしているようで、何かに夢中になりたいという思いはあった。
部活は科学部に所属しているが、理科の授業にちょっと何かトッピングした程度の週二回の活動にはあまり興味を惹かれることもなかった。そろそろ潮時かとも考えている。
あまり活発な方ではないし、特定の親しい友だちはいない。かといって、誰とも話さないわけでもなかった。
昼休みに机に腰を下ろした砂川がおもしろいことを言っていた。
「梅雨っていうのは前線の動きで入ったの出たのって言ってるんじゃなくて、実際に雨が降るか降らないかによるんだ」
陸哉はそうなんだな、と横から聞いていて思った。砂川はたまにそんなおもしろい知識を披露してくれる。
「だから梅雨入り宣言っていうのは必ず雨の日に出される」
たしかに今年もそうだったと陸哉は思った。
こうして雨宿りをしているとつくづく雨は嫌だと思うけれど、町が雨に洗われる景色は捨てたもんじゃない。
雨は不思議だ。みんな粒を揃えて満遍なく降ってくるシステム、その理由を知りたいと思う。もし空に雨の素があって大量の水を蓄えて、それを一度に町に降らせたらどうだろう。きっと家なんてすぐに潰されてしまう。
雨はポツポツとまばらになり、空が明るくなってきた。
陸哉は帰ろうとして、目の前にできた水たまりを見た。そこには煉瓦造りの建物の角が映っている。ハッとして辺りを見回したが、もちろんそんなものはどこにもない。角度を変えて見ようと、水たまりの隅を飛び越えた時、ポケットから父からもらったたいせつな時計が落ちた。水たまりに波紋が広がって、煉瓦造りの建物がフルフルと震えた。
手を伸ばして水の中に手を入れようとした時、水たまりの中に映ったセーラー服の女の子がそれを、その時計を拾い上げたように見えた。
「まさか」
陸哉は思わず声を出した。そんなことあるはずがない。水たまりに手を差し入れると茶色い水が湧き起こり、たちまち水たまりの景色は茶色で塗りつぶされてしまった。
時計は今の雨で溜まったばかりの浅い水たまりの中に忽然と、そう唐突に消えてしまった。「父から中学入学のお祝いとしてもらった時計」大事にしていたのに・・・。陸哉は自分の不注意を赦せなかった。
理科が好きだった。小学生のときの将来の夢は科学者。漠然とだがそれしか思い当たらなかった。時計の規則正しさに憧れて父にねだったが、父は首を縦に振ってはくれなかった。モノが欲しいのじゃなくて、その規則正しさがほしいことを父が理解してくれないことが悔しかった。
でも父は中学の入学祝に時計を贈ってくれた。それまでで一番うれしい贈り物がそれだ。決して高価なものではない。でもそんなことは関係ない。正しい時の刻み、それがほしかったのだから。
陸哉はもう一度水たまりに手を入れてみた。満遍なく探っても、茶色い水が踊りの輪を広げるばかりで、そこに何も見つけることはできなかった。
第二話 みずたまり変奏曲・白 ミモザ
水たまりが好きだ。水たまりをのぞくのが好きだ。
そこに映る空が好きだ。白い雲が好きだ。
いつも見上げている空と違う、不思議で懐かしい色をした水たまりの中の空。
なぜ懐かしく思えるのだろう。
今いる世界が居心地が悪いからだろうか。
家にいても学校にいても町を歩いていても私は居心地が悪い。
いつでもどこでも体にも心もなじまない気がする。原因は分かっている。水が合わないのだ。
水が合わないってほんとうに水が合わないのだ。
いつからだろう。家でも学校でも水道の水は飲めない。手を洗うのも少し気持ち悪い。
井戸水は大丈夫。ほっとする。私があまりにも水道水が苦手なので、親は家を建てるときに井戸水を掘りあげてくれた。その地区はそんな家が多かった。手動ではない。モーターで普通の水道のように使えるのだ。
でもママがパパにヒソヒソ言ったのが聞えた。
「ほんとうに菫すみれは面倒な子ねぇ」
なんで私はこんなに面倒なんだろう。私の前世はすぐ死んでしまうお祭りの金魚だったのだ、きっと。
めんどくさい自分を自分で非難し続け持て余す。
だれか教えて。私がどんな水とも仲良くなれる方法を。
水たまりをのぞいた後、しばらく指先を水にひたす。
空から落ちてきた水。
これで大丈夫。
何が?何が大丈夫なんだろう…
今日は、とびきりの”水たまり日和”だ。
学校の帰り道、お気に入りの水たまりに寄り道する。
そこは昔、私のおじいちゃんが経営していた(もう廃業した)古い小さな会社の裏の煉瓦造りの倉庫の前。
長年の車の行き来で凹んだアスファルトに、いつも大きな水たまりが出来る。
やっぱり。今日も素敵な水たまりが出来ている。
駆け寄った私はまだ新しい中学の制服のスカートをぬらさないように用心深くしゃがみこんだ。セーラー服の白いリボンが揺れる。それも濡らさないように手で押さえる。
水たまりの中の空をのぞきこむ。自分の顔は見ないように、空だけ、空だけ…
なぜ?
水たまりの中いっぱいにクスノキが揺れている。クスノキが揺れるザワザワという音もかすかに聞こえた気がした。
私は振り返る。クスノキなんて、ない。
もう一度水たまりをのぞく。
澄んだその水の中に私は”時計”を見つけた。
え?時計?さっきまでそんなものなかった。
私はあわててその時計を水たまりから拾い上げる。
ハンカチを出して丁寧に拭く。
そして水面をもう一度のぞくと、そこに知らない男子生徒のおどろいた顔がみえた。
驚いて後ろに誰かいるのかと振り向いて、いないことを確認してもう一度水たまりを見直すと、そこにはもう顔はなかった。
懐かしい空のかけらと、クスノキが映っていた。
でも風が吹いて水面が揺れるとそれらも消えていった。
私は手の中の時計をみる。
真新しい腕時計。
秒針が動いている。なんとなくほっとする。
午後三時。今の時間だ。
私は時計の裏側を見てみる。
名前が刻まれている。
「RIKUYA」
水たまりに映った男の子の名前だろうか。
「りくや…」
私はつぶやいて、ぼんやりと時計の針を見続けたが、足のしびれに我慢が出来なくなって立ち上がった。
(この時計はきっとRIKUYAさんの大切なものだ。返せるときまで大切に持ち歩こう。だっていつ突然返すチャンスがあるか分からないもの)
時計は予備のハンカチにていねいに包んで鞄にしまった。
水たまりの中に一瞬見えただけの彼にまた会えるという確信があった。
ずっと見つめていたので、時計をカバンに入れてもコチコチと針が刻む音が私の中で続いていた。それは軽やかで、私の足取りを雨上がりの空のように軽くした。
第三話 みずたまり変奏曲・青 歩行者b
5日間雨が降らなかった。梅雨の晴れ間のことを五月晴れというんだと砂川が言っていたのを思い出した。梅雨の時期は旧暦の五月にあたるのだという。
陸哉にはそんなものは必要なかった。ただひたすら雨を待ちわびていた。クスノキのそばに水たまりができるのを心待ちにしていた。
ようやく降ってきた雨を顔に受けて陸哉は頬を緩めた。
いつもより早めに家を出て、水たまりのそばにしゃがみ込んだ。しかしまだ水の浅いそこは、小さな雨粒がさわさわと水面を騒ぐだけで、空さえ映してはくれなかった。
その日は朝から嫌なことばかりが続いた。ノートを忘れ、宿題を提出できなかったし、昼休み前に鼻血が出て、皆から冷やかされた。陸哉は鼻の奥の皮膚が薄いらしく、血管が切れやすかった。
それに今日の放課後は科学部の活動日。太陽の活動についての話を聞くだけだったが、おもしろかったと言えばおもしろかった。太陽の寿命は100億年、既に半分の50億年が経過しているという。といってもあと50億年、到底自分たちに影響があるとは思えないが、寿命があるという事実に驚いた。あの激しく燃える太陽は永遠にあるものだと疑わなかった。あるのが当然だと思っていた。
下校時に雨は上がっていた。広場の水たまりには、夏至に近い明るい青灰色の空が映るだけだった。
あれはあの時だけの偶然なのだろうか。それとも夢?そんな思いを頭から振り落とした。あれは夢なんかじゃない。そう思いながらも失意にも似たやり場のない悔しさを傘の柄に握りしめて帰宅した。
一旦止んだ雨は夜半から大きな音を立てて再び降り始めた。締め切った窓越しに伝わる音で陸哉は目を覚ました。窓を開けると、雨の音が冷たい空気に乗って押し寄せ、みるみる部屋はいっぱいになった。結局、外が白み始めるまで眠れなかった。
それでも翌朝はいつものように起き上がり、眠い目を擦る。空は相変わらず不機嫌そうな顔をしていたが、雨は上がっていた。
広場に向かう胸は何の保証もない期待で高鳴る。陸哉は薄く水に浸かっている広場の入り口で立ち止まった。やはり何もない。聳えるクスノキと青空が薄く水面を撫でている。
あれはなんだったのか。確かにセーラー服だった。あんなに鮮やかな夢なんてあるはずがない。構わず水の中に足を踏み入れた。少しずつ浸潤する足先。僅かに残された陸地をクスノキの根元に見つけて上陸した。
振り返った陸哉の目にレンガの壁が飛び込んできた。
「あった」
思わず口から漏れていた。幻でもなんでもない。あの子はいた。確かにいた。
遅刻ギリギリまで水たまりのレンガの壁を見つめた。そうしていたかった。
学校の下駄箱に濡れた靴下を丸め、上履きに冷えた裸足を突っ込むとなんだか新しい遊びを見つけたような気がした。
ふわふわと浮遊するような時間が過ぎていき、授業が終わると走って広場に急いだ。
水たまりはいつものような大きさになっていた。クスノキを正面に見るとクスノキしか映らないが、クスノキを背にしてみると、そこにはレンガの建物が見える。陸哉は大きく息を吐いた。
そうやって1時間は経っただろうか。水面に女の子が見えた。紺色のワンピース。
「ねえ、ちょっと・・・聞こえますか」大きく両手を振った。しかし何の反応もない。
そして手を叩くと女の子は振り向いた。
「こんにちは。えーっと、僕は陸哉って言います」
彼女も手を振った。こっちが見えている。でも言葉は届いていない。
陸哉は咄嗟に自分の手首を指さした。
彼女は頷いて、ポーチから時計を取り出して見せてくれた。やっぱり。時計は彼女の世界に落ちたんだ。
陸哉はうれしくなって、何度も手を振って、全身で話しかけた。
第四話 みずたまり変奏曲・赤 ミモザ
水たまりの中から時計を拾い上げてから、私の中のリズムが良くなった。何かが規則正しくなって、水に嫌な感じがしなくなったことに気がついた。
時計に耳を寄せると落ち着く。
今までの私は何かリズムがくるっていたのかな?いつから?
ガラスの器に盛られたサクランボを食べながら考える。
今までも繰り返し思い出そうとしたけど思い出せなかったきっかけは?
「あ!」
時計とサクランボを見つめていたら、あの出来事がふっとよみがえった。
幼稚園に通っていた頃の雨上がりのある日、サクランボ色のワンピースを着た私は、ママと一緒におじいちゃんの会社に行った。
スイミングの帰りで少し髪が濡れていた。
ママが会社の中でおじいちゃんと話をしている間、私は煉瓦の倉庫の横で待つことにした。いつもそうしているから、ママも「倉庫の横で遊んでて」と言った。
私は一人で走っていった。倉庫の前にはその頃も大きな水たまりがあった。いつもは閉まっている扉が開いているのに気がつき、私は水たまりをばしゃっと踏みつけてワンピースを汚しながら倉庫へと駆け込んだ。
薄暗くひんやりした倉庫の中には、使われなくなったものが置かれていた。古い机やイベント用の看板、なんだか分からない古い機械などが埃をかぶっていた。
その倉庫の中で、大きな柱時計だけが動いていた。大きな立派な時計で金色の振り子が揺れている。私はそれをじっと眺めた。
しばらくするとカチリ、と音がして、三時になった。
ぼーん、ぼーん…深い海の底に響くような音がする。私はその音が少し怖くて手で耳をふさぐ。
ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん…
音は三回で終わらず、鳴り続ける。
ぼーん、ぼーん…
私はうずくまった。
ピチョン。
うずくまった私の頭に水滴が落ちてきた。
音はまだ続いている。
ぼーん、ぼーん…
ピチョン。
空気が歪んでいき息が苦しくなった。ああ、きっとここはプールの底だ、くるしい。ママ助けて!
「菫すみれ!」
ママに呼ばれてハッとした。
「どうしたの?」
ママが私の顔を見つめている。
「時計の音が…時計が…」
「時計?」
「時計の音が止まらない」
私は泣きながら言った。
ママは私の涙を指でぬぐいながら言った。
「夢をみたのね。こんなところで寝てしまって」
私は古い革張りのソファの上にいた。
「ママが子供の頃からあの時計は止まってるの。
鳴ってるのなんて聞いたことない」
私はママにしがみつき、恐る恐る時計のほうを見る。
さっきの時計と違う。金の振り子は黒くくすみ、全体にほこりをかぶって止まっていた。
ピチョンと水が落ちる。
ママが怪訝な顔で天井を見上げた。
グレーの配管が迷路のように見える。
「どうしてあんなところに水道菅が通っているのかしら…」
あの日以来、倉庫の扉が開いているのを見たことはない。
私は倉庫の中に入ったことが一度もないと思っていた。
あまりに怖かったので忘れていたのだ。
そしてあれ以来、水が苦手になったのだ。
でも思い出しても、それは本当のことに思えなかった。
私は一人で煉瓦倉庫に行ってみようと紺色のワンピースを着た。そういえばあれ以来、赤いワンピースを着ていなかった。自然に避けていた。
今日も煉瓦の倉庫は閉まっている。
私はいつものように水たまりをのぞきこむ。
太陽が映りこみ、眩しくて目を閉じる。
パン!
手を叩く音がして目を開くと、彼が見えた。
「りくやくん?」
私は水たまりの中に声をかける。向こうでも何か言っている。聞こえない。手を振ってみる。
彼はもどかしそうだったが、思いついたように手首を示した。
ああそうだ、時計!
私はポーチから腕時計を取り出して彼に見せる。彼は嬉しそうな笑顔になった。
その時、彼の背後の空に虹が見えた。くっきり七色の光る虹。見たことのないほど美しい虹。
「虹!」
私は彼に知らせたくて虹を指さした。
虹は水たまりの中にある。
勢いあまって私は水たまりに突っ込んでしまった。
「大丈夫?」
しりもちをついた私に彼が手を貸してくれる。
「ありがとう」
私は恥ずかしい気持ちもなく自然にその手をとり、引っぱりあげてもらう。不思議に服のどこも濡れていない。
彼の背後には、あの大きなクスノキがある。
「はい」
私は反対の手ににぎりしめていた時計を手渡す。
「ありがとう」
りくや君は大切そうに受け取った。
それから二人は水たまりをのぞいて黙り込む。
クスノキも煉瓦の建物も映っていない。
そこにはただ青空と、くっきりとした光る虹が映っていた。
🌈エンディング曲🌈
(了)
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