ただよう希望3/4 第3話|コラボ小説with 藤家 秋さん
ただよう希望 第3話
船だ!
僕が吠えると、二人して飛ぶように立ち上がった。
希は飛び跳ねて船を揺らして叫んだ。
僕も吠えた!
でも、小型の船は何事もないようにゆうゆうと通り過ぎていった。
もっと近かったら気づいてくれたかもしれないのに。もっと大きな音が出せたら振り向いてくれたかもしれなかった。
この千載一遇を僕は悔やんだ。
命の糸が切れたような気がした。
日は傾いて、海は真っ赤になった。僕たちの血のように真っ赤だった。
明かりのない僕たちには夜の間にできることなんてない。
僕たちはまた腰を下ろした。船底を叩く波が心なしか寂しげなのは気のせい?4ビート、これはブルースに違いない。拓海君の大好きなマイルス・デイビスのラッパの音が聴こえるような気がした。
満天の星。これが僕たちの見る最後の景色なの?
悪くない。悪くはないよ。
僕は希のそばで横になった。僕の振る尻尾がホールトマトの大きな空き缶を叩いて、空元気のような侘しい音を立てた。
拓海が浜に戻っても2人はいなかった。
「どこに行ったんだ、あいつら」
そう呟いたけど埒は明かない。
ふらふらと砂浜を歩くしかすることがない。
犬を連れて散歩に来たおじさんに訊いてみた。知るわけないか、と思いつつ。
「すみません。この辺で白い犬を連れた女性を見かけませんでしたか?」
「いや、知らねえな。幾つくらいの子だ?」
「二十歳くらいです」
「そんな子がいりゃ覚えてないわけがねぇ。この辺はばあさんばっかだからな。ははは」
柴犬が珍しいものでも見るような顔で、おとなしく座っている。
「いなくなっちゃったんですよ」
「そうか、心配だな。宿は?」
「まだ決めてないんです」
「そうか、良かったら電話しろ」
おじさんは体を歪めて、ポケットからスマホを取り出して見せた。
「ここ、俺ん家の民宿だ。犬も大歓迎だから」
「あ、ありがとうございます。おとなしい柴ですね」
「ああ、女の子だからな。お宅は?」
「うちは雄のスピッツなんですよ」
拓海は電話番号を書き留めた。
「民宿 なほとか」
口に出してみた。なんなんだ?
おじさんは「スピッツか、最近とんと見ねぇな」と呟きながら歩いて行った。
砂浜を四方八方見渡しても人影はおろか、海鳥さえいやしない。
真っ赤な夕日が海に降りていく。ゆっくりと。希の顔がちらつく。夕焼けに見惚れる横顔を思うと、とっても愛しく思う。どうして今、傍にいないんだ。
「青年!」と呼ぶ声がして、背中がひっくり返りそうになった。青年?
さっきのおじさんだ。
「ちょっと来てくれ」
そう言われて素直についていく。知らない人について行ったらダメ!そんなことをさんざん言われてたな。と、顔が歪む。
「どうしました?」
「あんたは知らんだろうが。ここに跡があるだろ?」
波打ち際、そこには砂浜を引っ掻いたような跡がある。
「昨日までここにボートがあった。この辺の貸しボート屋のものだが、そいつに乗って沖に出たってことはないか?」
「いやー、そんなことないと思いますが」
「この砂の跡はかなり新しいぞ。そんなに時間は経ってない」
「そう言われると・・・イタズラ心でってことはあるかも・・・」
「そうなんじゃねえか?船ってのはな、人が乗ると沈み込むだろ?そんだけ波の影響を受けやすくなる」
「はい」何が言いたいんだ?
「船に乗って休んでる間に動き出すってことは十分あるんだよ」
「そう言われてみると最初にここに来た時、ボートがあったような」
「そうか、やっぱり。そんな事故がたまにあるんだ。無線で知り合いの漁師に頼んどいてやる」
そう言われて電話番号を教えて、宿泊予約までさせられた。
「今日の昼ごろだったら、どこまで行ってんだろうな。対馬海流に乗ってたら佐渡くらいまでは行ってるかもしんねぇな」
「えー!佐渡ですか」
「海流の速さがわかんねぇから何とも言えねぇ」
おじさんと一緒に民宿なほとかまで歩きながら、名前の由来を聞いた。なんでもナホトカ号という名前のロシアのタンカーが沖合で座礁して、大量の重油が流れ出す事故があったのだとか。真冬にも関わらず、たくさんのボランティアが能登にやってきた。その時からここに住み着いてる。とおじさんは言った。
おじさんは帰り着くと、すぐに無線で漁師たちに知らせてくれた。
「見つかりますか?」
「藁の山から針ってやつだな」
「えー!」
「今日の昼だったら、まだ捜索してもらえねぇだろう。ヘリじゃ」
「どれくらい経ったら」
「明日の朝。明日の朝に要請すりゃいい。どうせ夜の間、捜索はできねぇ」
このおじさん、何者?
拓海は心配で夜の浜にもう一度行ってみたが、怖くなってすぐに舞い戻った。
空が白んできた。一晩、なんとなく眠ったが、希は死人のような顔をしている。
「酔ったみたい」そう言って船べりから何かを吐いた。
『ホント、弱っちいんだから』僕はそう言ったけど、どうせわかりゃしない。
遠くから船の音が聞こえてきて、僕は吠えた。でも希にはまだ聞こえていないようだった。
僕はオールを咥えて、缶の上に何度も落とした。
「うるさいっちゅうの、おまえは。頭痛いんだから」
『そんなことわかってる。叩け!最後のチャンスだ』僕は何度もやった。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ!雑種のくせに」
僕は誇り高き拓海君の犬だぞ。
そんな希にもようやく船のエンジンの音が聞こえたらしく、急に立ち上がった。
「おーい!」
『だから聞こえないって!叩けよ』
希もようやく気がついて、オールを手にした。
「おまえ、見かけによらず、賢いんだ」
『余計なお世話だ。叩け、叩け、叩け。明日のジョーがひっくり返るまで叩け』
耳が裂けるかと思うほどの希望の音だ。
希は立ち上がって、オールの柄に缶を被せて、高く掲げて振り始めた。
ガランガランとがさつな鐘の音がした。
船が方向を変えた。こっちに向かってくる。
僕たちはついにやった。
希と抱き合った。
僕は生まれて初めて狼みたいに吠えた。
つづく