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百人百色#04 三羽さんの企画
本日は奇しくも 富士山の日 2.23 なのだそうです
#04. 田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人
三羽さん
よろしくお願いいたします
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西洲斎 【865字】
齢七十を過ぎたれば、力も欲も綺麗に消え去るものと思っていた。ところが今の儂はどうだ。精力ますます漲り、欲は衰えるところを知らない。
春に江戸を発ち、富士の姿を延々と追いかけてきた。神々しいまでの美しさをものの形として留めたいと望んできた。果てにとうとう麓に住み着いてしまった。
日々の暮らしは慎ましくあれ、とは先人の言葉。胸の内を満たさず、余白があってこそ、そこを埋めるべきものが見えてくるのだと。しかし今、いよいよ富士を目前にしても、最早描くべきものが見当たらない。ついに我が余白も枯れ果ててしまったのかもしれぬ。はたまた己とはそもそもそういうものなのかもしれぬが。
ある朝早く褌を洗っていると、どこからか狼の如き声がした。
「慥かたれ」と。それは霊峰よりの声かも知れぬと仰ぎ見れば、富士はあくまでも蒼く、彩に聳え立つばかりだった。
いよいよ目は見えず、耳も萎え果てたかと、なみなみと張った桶にて顔を洗えば、零れる水はさやさやと地を這う音がした。
また筆をとり、蒼き霊峰に向かえば、さやけき風がいそいそと吹き抜けていった。しかし筆は、富士を拒みでもするかのように、線の一本も引かせることはなかった。憐れなるかな、いよいよ絵師もこれが限りかも知れぬと覚悟した。
絵師の寿命は筆の命と共に潰える。儂は長く生きすぎた。憧れはここに打ち捨て、思い留めず三途の川を渡ろうと決めた。
その時だった。のぼる朝日がいっ時の間に富士を赤く染め上げた。その凄まじさに目は開かれた。眼前には燃える赤のみ。筆は赤き富士をただひたすらに描いていた。我が心は空に、筆の赴くまま富士の激しく燃え上がる様を描いていた。
余白はこれを待っていたのかもしれぬ。我が生涯はこれにて尽きて本望。
儂がここ田子の浦にて、これより富嶽百景なるものを描くことになろうとは、あの時は一片も過ぎりはしなかった。
底から冴え渡る朝、桶に張った薄氷を割って顔を洗い、思う。筆は生き物であって、描くべきものが現れるのをひたすら待つものなのだと。
本朝の富士には、白妙の如き雪がその頂に美しく降り積もっている。
了
*本編はフィクションです
葛飾北斎とも東洲斎写楽とも一切関係ございません
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