「肝心かなめ」と「がんじがらめ」を混同している母と暮らせば #人生は人喜ばせ合戦 参加記事
ハミングバードさんから、何やら依頼がやって参りました。
なにか突然、ドエライ苦渋に満ち溢れた困難を背負わされてしまったような気がする。(こういう時は大袈裟に言っておくに限る。と誰かが言っていた)
手探りですが、なんとか進めてみたいと思います。
素敵ですね!ハミングバードさんの記事!
ため息ばかりなり・・・
企画は次の通り
今回のバトンリレーの趣旨であるが、(1)「人に喜んでもらったこと」または(2)「人にしてもらって嬉しかったこと」の体験談を集め、巨大な「人喜ばせ合戦」のアルバムを作るという壮大な計画があるらしい。
ミモザさんより
ikue.mさんのこのヘッダー。美しいですね。
元は上記、チェーンナーさんの企画です。
私はだいたい私はスマホ1画面で読める!を死守してきた人間であるから、ここでも・・・は無理筋。
今回ばかりはこのルールからは外れることになることをご容赦願いたい。
テーマはやっぱり母なの?
うちの母はとんでもないよ!知らんから、どんなことになっても。ではスタート!
本編
題 母にしてもらってうれしかったこと。ボツ
題 「肝心かなめ」と「がんじがらめ」を混同している母と暮らせば
①
今はもういい大人だが、母と暮らしている。
嵐山にほど近い風光明媚な、普通の、ごく一般人の住宅が立ち並ぶ一角で。
実は母とはこれまであまり一緒に暮らして来なかった。
関東の高校で寮生活を始め、それ以来、疎遠だったと言ってもいいかもしれない。それ以上に疎遠だった父と早くに死に別れ、やむなく母は一人暮らしをしていた。お察しの通り、私は一人っ子である。
②
今、生活上のこと以外で母との共通の話題となると、中学以前まで遡ってしまい、隔世の感がある話になってしまう。
小学生の私は4年生くらいまで、成績は芳しくなかった。(それ以降の目覚ましい上昇ぶりについてはここでは話題の外である)
そこで、母は問題集を買ってきて、宿題以外にそれを課した。
母は回答を切りぬき、試験形式で出題。毎晩答え合わせをして、間違ったところをやり直させた。かなり教育熱心だったと言っていいだろう。
ただ、小学生と雖も大人にも難しい問題もある。(特に理数系は難しい)
問題は起こるべくして起きた。私が全精力を傾けて主張する答と、問題集の答欄が違うのだ。
ただ、母は強硬ではなかった。その代わりに、どのような道筋でその答にたどり着いたのかを説明させた。
この経験が後に論理的思考の手助けになっているように思う。
③
私は多動性ADHDと診断されていた。かなり扱いにくい子どもだったに違いない。
(今でも幼いころを振り返ると、とんでもない子どもだったと我ながら思う。上記診断は、学校からの依頼で親子で教育施設に赴き、様々なテストを受けた結果下された)
そのせいか小学校入学までに交通事故で2度死にかけている。
(その時に負った頭骸骨陥没骨折の痕がある。これって死因になるあれですよ!)
その他、中耳炎だとか骨折だとか、他の子2,3人分のケガや病気をした。(中耳炎の時はまだ幼稚園に通っていたころ。私は母の背中で揺られながら、遠くの耳鼻科に通っていたのを覚えている。どうして覚えているのかと言うと、耳鼻科に行くと帰りに必ずおやつを買ってもらえたから。子どもの記憶というのは、存外そんなところに植えつけられるものなのかもしれない)
たまに私の幼いころのそんな話をしつつ、苦労を掛けたことを申し訳なく思うと共に密かに感謝している。
おかげで、現在は何の滞りも不平も不満もない(たぶん)。それで私はno+eでみなさんと、楽しいひと時を過ごすことができているのです。
結
幼いころの記憶は、途切れ途切れに出てくる。母との話も継ぎ接ぎだらけ。母との会話だから、それでも全然かまわないのだけれど・・・
でも、ここではそういう訳にもいくまい。
もちろん、現在進行している生活の中での話もある。
「スーパーの大売り出しに行ったらもう人が多くて、肝心かなめで品物まで手が届かない」と嘆く母と、日々笑いながら暮らしている。
おしまい
次の方へのバトン
敬愛するはるさん(初瑠さん)にお願いすることにいたしました。