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おさむらいさんのお仕事

 山城の国に新米のおさむらいさんがおりました。新米と言うのは一年生のことです。このおさむらいさん、新米なのにお殿様から三通の大切な書状を託されました。それを丹後の国まで届けるように言いつかったのです。
 こんな新米のおさむらいさんにどうしてこんな大切なお役目が回ってきたかと言いますと、山城の国から丹後の国に行くには途中、丹波の国を通らなければなりません。丹波の国にはよく鬼が出るというのでみなに恐れられているのです。
 でも、このおさむらいさん、新米の上になにしろめでたい、のんびり屋ですから、そんなことは知りはしません。
 お殿様から預かった大切な書状を一通は右のたもとに、一通は左の袂に、そしてもう一通は懐に入れました。
「こうしておけば、間違えてお渡しすることもなかろう」

 めでたいおさむらいさんは、さっそく出かけて行きました。
 
 老の坂峠にやってきました。
「ここを越えると丹波の国か。わしは丹波は初めてじゃ」
おさむらいさんは足取りも軽やかに丹波の国に入りました。

 峠の下りにかかったところで目の前を雀がチュンチュン飛んでおりましたが、そいつがおさむらいさんの肩にちょいっととまりました。この雀が言いますには
「わたしにゃ二羽のかわいい子がありますが、このまま虫の一匹もいなかったらお腹を空かせて死んでしまうことでしょう。こうなったらこのおさむらいさんのちょん髷を突っついて、のみしらみでも見つける他はあるまいね」
 おさむらいさんは慌てました。
「それは弱ったな、そんなことをされたんじゃたまらない」
おさむらいさんは山の中に入っていって、蟻を取ってきて雀にやりました。
「おさむらいさん、ありがとう。このご恩は忘れません」
そう言うと雀は口一杯に蟻を頬張って飛んでいきました。
「あー、良いことというのはするものだ。先を急ごう。わしには書状を届けるというれっきとしたお役目があるのだから」
 めでたいおさむらいさんは伸びをひとつしました。

 しばらく歩いていますと、鹿がやってきておさむらいさんの横に並びました。この鹿が言いますには
「わたしはこのあたりの森に住むものだが、もうどうにも角が痒くてたまらない。こうなったらこのおさむらいさんのお尻でも突き上げるより他にあるまいね」
 おさむらいさんは慌てました。
「それは弱ったな、そんなことをされたんじゃたまらない」
おさむらいさんは小径に入っていって、狸を一匹捕まえてきました。そして鹿の角に乗せてやりました。
「おさむらいさん、ありがとう。このご恩は忘れません」
そう言うと、角をゆっさゆっさ揺らしながら帰って行きました。
「あー、良いことというのはするものだ。先を急ごう。わしには書状を届けるというれっきとしたお役目があるのだから」
 めでたいおさむらいさんは欠伸あくびをひとつしました。

 また歩いておりますと、犬がやってまいりましておさむらいさんの前で止まりました。この犬が言いますには
「わしはこの辺りを縄張りにしているもんだが、どうも腹が空いてたまらない。こうなったら、このおさむらいさんの太ももにでも食いつかにゃなるまいね」
 おさむらいさんは慌てました。
「それは弱ったな、そんなことをされたんじゃたまらない」
おさむらいさんは丘を登っていって、子牛を一頭ひいてきて犬にやりました。
「おさむらいさん、ありがとう。このご恩は忘れません」
そう言うと、子牛をくわえて行ってしまいました。
「あー、良いことというのはするものだ。先を急ごう。わしには書状を届けるというれっきとしたお役目があるのだから」
 めでたいおさむらいさんは大欠伸をひとつしました。

 おさむらいさんの旅も丹波の国を過ぎ、いよいよ丹後の国へ入りました。

 おさむらいさんは難所に差し掛かりました。この山道はつむじ風が吹くことで知られていますが、おさむらいさんはそんなことは知りはしません。山のてっぺんまで来たところでいきなりつむじ風が吹きました。するとおさむらいさんの右の袖が吹き上げられた拍子に、書状が高く巻き上げられてどこかへ飛んでいってしまいました。
「あー、これはしくじった。お殿様から預かった大切な書状だというのに」
おさむらいさんがしばらく書状が飛んでいった方をどうしたものか、と眺めていますと、雀が三羽飛んで参りまして肩にとまりました。雀たちは書状をくわえていました。
「おさむらいさん。私たちは前にお助けいただいた雀の親子でございます。どうぞ書状を大切になさいまし」
そう言うと、三羽仲良く飛んでいきました。
「あー、良いことというのはするものだ。とんだお助けがあるものだ」

 おさむらいさんはほっと一息して、峠の茶店でお茶と団子をいただいておりました。ふと足元を見ますと、蟻がお行儀良く行き来をしております。その先を辿ると、なんと自分の右の袂まで続いておりました。おさむらいさんが大切な書状を取り出してみますと見事に蟻だらけの穴だらけです。
「あー、こりゃ書状が台無しじゃ」
「おさむらいさん、おさむらいさん。あなたは覚えちゃいないでしょうが、私たちは雀にやられた蟻の兄弟です」
と言うと、書状を持っていってしまいました。
「悪いことはするものではない。とんだしっぺ返しを食らうものだ」
おさむらいさんはひとつため息をつきました。
「さて、あと書状は二通ある。大切にせねば」

 おさむらいさんは次の難所にやってきました。この吊り橋はよく揺れることで知られていますが、おさむらいさんはそんなことは知りはしません。ちょうど橋の真ん中まで来ると、橋は勢い良く揺れだしました。するとおさむらいさんの懐にあった書状が谷底に落ちてしまいました。
「あー、これはしくじった。お殿様から預かった大切な書状だというのに」
おさむらいさんは橋を渡って、しばらく書状が落ちた谷底をどうしたものかと眺めていますと、鹿が岩をピョンピョン跳ねて上がって参ります。鹿は書状をくわえていました。
「おさむらいさん、私は前にお助けいただいた鹿でございます。どうぞ書状を大切になさいまし」
そう言うと、また谷底に下りていきました。
「良いことというのはするものだ。とんだお助けがあるものだ」

 突然雨が降って参りましたので、おさむらいさんはお百姓さんの家の軒先で雨宿りをしておりました。雨の音を聞きながら黒雲の塩梅を眺めておりますと、足元に何やらキラリと光るものがございます。おさむらいさんがそれを取り上げようと屈み込みますと、懐から大切な書状が水たまりに落ちてしまいました。
「あー、こりゃ書状が台無しじゃ」
「おさむらいさん。あなたは覚えちゃいないでしょうが、私は鹿にやられた狸の兄弟です」
と言うと、書状を持って行ってしまいました。手に取った小判は、狸が行ってしまいますと、木の葉に変わりました。
「悪いことはするものではない。とんだしっぺ返しを食らうものだ」
おさむらいさんはひとつため息をつきました。
「さて、書状はあと一通きりじゃ、大切にせねば」

 おさむらいさんは次の難所にやってきました。ここの坂道はおよそ九里ほど続きます。あまり休み休み行きますと、思わぬ時を過ごしてしまうということで知られていますが、おさむらいさんはそんなことは知りはしません。 三里ほど来たところでどうにも堪らなくなりましたので野原で横になりました。その上、あんまり日差しがきついので左の袖で日よけをしました。するとその拍子に袂から書状が落ちてしまいました。そんなこととは知らないおさむらいさんは、しばらく休むとまた歩き出しました。
 ちょうど五里ほど来たところにお地蔵様の祠ほこらがありました。
「お地蔵様、雨の日も風の日も日照りの日もお見守り・・・」
おさむらいさんがそう言いながら袂に手をやりますと、なんと書状がありません。
「あー、これはしくじった。お殿様から預かった大切な書状だというのに」
おさむらいさんはしばらく、今来た道をどうしたものか、と振り返ってみましても、誰一人通る者もありません。するとなにやら黒い影がこちらに向かって走ってまいります。その黒い影は書状をくわえておりました。
「おさむらいさん、私は前にお助けいただいた犬でございます。どうぞ書状を大切になさいまし」
そう言うと、犬は来た道を帰って行きました。
「良いことというのはするものだ。とんだお助けがあるものだ」
おさむらいさんは書状を懐の奥にしっかりしまうと、また歩き出しました。

 八里まで来たところでほとほと疲れはててしまいましたので、おさむらいさんは一里塚を背に座りました。赤い陽が傾くのを眺めていますと、涼しい風も吹いてまいります。するとなにやら生ぬるいものが首筋から伝って腹までまいりました。大切な書状を取り出してみますと見事によだれでべっとり濡れています。
「あー、こりゃ書状が台無しじゃ」
「おさむらいさん、おさむらいさん。あなたは覚えちゃいないでしょうが、私は犬にやられた子牛の兄弟です」
と言うと、書状をくわえて行ってしまいました。
「悪いことはするものではない。とんだしっぺ返しを食らうものだ」
おさむらいさんは大きなため息をつきました。

「さて、書状は全部なくなってしまった。じゃが、考えてみれば丹後の国の、右の袂は有本(アリ)様、懐の書状は綿貫(タヌキ)様、左の袂は牛山(ウシ)様、と知らぬうちにお届けできた。なんともうまいことお役目が果たせたというものではないか。めでたい、めでたい」
 おさむらいさんは、ひとつ大きな大きな大欠伸をしました。
「この度のお勤めをお殿様がなんとお褒めくださるか、わしは知りはしないが、こんな楽しい旅もめったとできるものではない。ここはひとつ、お殿様に旅の土産話でも持って帰るとするか」
 新米のめでたいおさむらいさんは空になった両方の袖を愉快に振りながらのん気に帰って行きました。
               おしまい  本文 4000字(ルビ含まず)

ボンラジさん
必要とあらば、4000字以内に削ります。
よろしくお願いします。

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