雪が降る シロクマ文芸部
うしろの君 【1063字】
雪が降る。
僕の背後に誰かいる。後ろを何かがついてくる。
僕の目の端に映るそれは人のようでもあり、はっきりと捉えられない曖昧な何ものか。それは魔物と呼んでいいものなのかもしれない。
暮れ始めた街、静かに形を変える街に満ちた青い空気に、淡色の雪が降っている。周りの音をすべて吸い込んで、斑に雪が落ちてくる。
街を歩く僕の視線のゆらぎで消えてしまうか弱い魔物にほくそ笑む。そう、僕は古い家の前で足を止めた。ライトの灯されたガラス窓は少しだけ開いていて、そこから白い湯気が立ち上っていた。
いつか見た夢を思い出した。
朝の霧の中を歩いていると、不意に透明な壁に突き当たった。それは厚い空気の壁で、押すとゆっくり凹んだが、それを押し破ることはできなかった。
そこへ一両編成の電車が頭のライトを揺らしながら通り過ぎていった。それはカープに差し掛かるとキシキシと線路を鳴らして息を吐き、そして怒涛ように爽快に白いソフトクリームを巻き上げた。
僕は透明な壁に沿って歩いた。そこには見たことのない家並み、見たことのない公園や建物があった。瞬きをする度にその光景は新たにされた。困惑した僕は歩みを止めた。
けれども所詮は夢だ。忘れてしまおう。
今の僕の世界はどうだろう。僕は日々、何をしているのだろう。仕事をし、食事をとる。そして風呂に入って寝る。彼女も、友と呼べる人物もいない。僕の周りはただ、ものが溢れているだけではないか。
見えるところしか見ない世界は何の変化もない。僕の中で幾度も再構成され、ずっとそこにあって知らんぷりをしている。
歩いていることさえ本当の自分の意思なのかどうかも怪しくなった僕は、いたたまれず背中の何ものかに話しかけた。
「やぁ、こんばんは」
反応はない。
僕はこの雪の世界にいて、何もせず、何も求めずにいる。
「君は雪の化身なのか?」
魔物は何も言わない。少し相好を崩したように思ったが、それはきっと僕がそう思いたかっただけのことだ。
雪は降る。
僕は自分が何者かわからなくなった。果てしなく続くように見えて、僕の世界は思うよりもずっと狭いのだ。
ある時、僕が目を上げると、横断歩道の向こうの魔物と目が合った。それは確かに彼だった。
足元の黄色い点字ブロックが血反吐色になっていた。僕はそこに蹲って、何かが訪れるのを待っていた。そこに君はいた。魔物なんかじゃない。それは未だ見たことのない僕自身だった。
雪が降ると、君には見えるはずのない僕が見えていたんだな。冬の寒さを、雪の冷たさを知るのは君だった。息をしていたのは。
了
小牧部長さま
よろしくお願いいたします