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古賀稔彦さんに学ぶ。
3月24日。
私は夜の仕事を終えて、朝方帰ってきましてようやく昼過ぎに目覚めたのですが、大変ショッキングなニュースが目に飛び込んでまいりました。
柔道で、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、鮮やかな背負い投げを持ち味に「平成の三四郎」と呼ばれ、
1992年のバルセロナオリンピックでは大会直前に左ひざの大けがを負いながらも男子71キロ級で金メダルを獲得するなどオリンピック3大会に出場しました古賀稔彦さんがお亡くなりになりました。
私は、高校時代の体育でしか柔道は経験したことがなく、古賀選手の事はテレビでしか拝見したことがありませんが、選手時代そして指導者としての古賀さんを見て選手時代の勝負に対する取り組み方、そして指導者としてのご活躍、凛としたその生き様に大変尊敬をしておりました。
少し古賀さんについてご紹介しますと、
オリンピック3回出場。
中でも、1992年バルセロナ五輪男子71キロ級 に出場して金メダルを取るのですが、直前に78キロ級代表の吉田秀彦との練習中に左内側側副じん帯断裂。
それでも痛み止めの注射を打ちながら気力を振り絞って勝ち進み、準決勝は背負い投げで一本勝ち。決勝ではハンガリーの選手に優勢勝ちし、頂点にたどり着いた。男泣きした古賀の晴れ姿を吉田は前夜に果たした自らの優勝以上に喜びした。
1990年、当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝。
コーチとしては愛弟子である谷本歩実を指導して、谷本選手は金メダルをとるのです。
スポーツジャーナリストの二宮清純さんがテレビで言っていましたが
古賀さんは名選手でもあり名コーチでもあったそうです。
指導としては相手の袖をつかむときに指1本分上を持つように声をかけたりと、自分の技術を言葉として伝えられる方だったと言っておられました。
この言葉で、人を指導すると言うのはなかなか難しいことだと思うんですよね。
例えば私ごとでで申し訳ありませんが、上の子供達が小さい頃は何か悪いことをしたときに外に音放り出したりしていたものでした。
ところが今一番下の子供にはそういった事はした事はありません。
何人か育てていくうちにねそういう指導っていうかしつけはは必要ないと感じてきたんですよね。
今までは、私の言葉で伝える技術が未熟だったからのかもしれません。
だから、一番下の子が悪さをすると、上の子たちがまたあんなことしてるよそろそろ外に出したほうがいいんじゃないのー
なんて私に言ってきたりするんですよね。そういう意味では上の子たちに悪いお手本になってしまったかなぁと少し反省もしております。
とにかく、古賀さんの武道家としての真剣なお姿、見ている人を惹きつける試合運び、多くの人のお手本になる指導方法、そしてその生き様。 今後私も参考にさせていただこうと思います。 あらためてご冥福をお祈りします。ありがとうございました。