軽い気持ちで宮本浩次さんのコンサートに行ったら人生が変わってしまった話

ろくに予習もしないまま(先入観や思い入れをあまり持たないまま生歌を堪能したいという大義名分はありました。)軽率にコンサートに行ったところ、ものすごい勢いで沼落ち…いえ、大海原にダイブしてしまいました。
人生何があるか分からねえな。
浅い知識と勝手なイメージに加えて、クソデカ感情自分語りを織り交ぜているので「お前がそう思うならそうなんだろう、お前ん中ではな」のスタンスでご覧ください。
本文中には呼び捨てだったりニックネーム呼びだったりが混在しています。
敬称略ということでご理解いただければ此れ幸い。

2022年6月12日
宮本浩次56歳のバースデー、に私も生まれ変わった。
「愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日」
ミヤジの歌で愛を知って、生まれ変わらせてもらった。
宮本さん、私はこの日のことを一生忘れないよ。

たまたまWOWOWで見た「異邦人」のカバーがとても良くて、エレカシ曲もメジャーどころは知ってたし、気になったライブは気軽に行くことにしているので、このタイミングでの47都道府県ツアーは渡りに船。
でもコロナ禍のキャパ50%制限の壁に阻まれチケット取れず…。
(というかちんたら一般販売を待っていたら秒でチケット枯れてた…)
偶然、縦横無尽完結編の存在を知り、チケ確保。
この時は、まさかこんな展開になるなって想像もしていなかった。

宮本浩次 縦横無尽完結編on birthday1日目

この日は圧倒的なエネルギーと存在感にやられて、受け取ったものが大きすぎて、それが幸せなのか痛いモノなのか分からなくなってしまった。
散々泣き倒しておいてどの口が言うのかという感じだけど、
この涙は感動の涙か?何か違う気がしないか?
気持ちに名前がつけられなくて、どこにしまったらいいか分からなくて…
ライブに行ってこんな風になったことないぞ、どうしよう…。

昂る経験をしたときは割と言語化したくなる派なので、拙くてもいいから「ここが良かった!」と言葉にしてきたし、色んなことがあった上で考えても「最高!」としか言えなくなる現象はこれでもかってくらい体験してきたけど(オタク、推し現場ですぐ記憶と語彙力無くす問題)ここまで形にできない感覚を味わったのは初めて

なんだこれ…。
なんなんだこれ…。
ガチ恋?憧れ?畏怖?尊敬?

ずっとぐるぐる考えて考えて考えて…
答えはあそこにしかない、と…急遽2日目参戦を決めた。
タイミングよくチケット確保できたのは、今思うともう壮大なフラグだったんだと思う。「行けるなら行け」と背中を押してくれたヲタ仲間には足を向けて寝れない。(そもそも完結編の存在を教えてくれたのも別界隈のヲタクだ。その節は本当にありがとう。)

心の準備はできた。覚悟もできた。
忘れ物を取りにいこう。答えを見つけてこよう。

宮本浩次 縦横無尽完結編on birthday2日目

1曲目「光の世界」
真っ暗な中にひとりたたずむ宮本浩次
消えてしまいそうに儚いのに美しくて力強い、二律背反の存在感
その世界に引き込み、巻き込み、没入させていく。
「美しいなにか」を見ている感覚。
目が離せない。息ができない。
会場のすべてがセンターステージにいるミヤジに向かっていて
ミヤジはそれを静かに、全身で受け止めていたように見えた。

2曲目「夜明けのうた」
ここで唐突に答えが出てしまった。
この人は世界を諦めていない。
人生を、生きることを、自分を、諦めていない。諦めない。
私はそれがどうしようもなく羨ましかったんだと気付いた。
「生きる」ということに対して、決して器用な部類ではないであろう彼が、
その繊細さゆえにたくさんの「悲しみ」を味わってきたであろう彼が
「歩みを止めない」「わたしも出かけよう」と当たり前に歌うこと。
その強さ、真っ直ぐさが眩しくて羨ましくて
嫉妬もできないくらい美しくて清々しくてかっこよくて…正義だった。
羨ましくて愛おしい。
あんな風に生きてみたい。
涙が止まらなかった。

大きなスクリーンに夜明けが訪れて、段々明るくなっていくのを見ながら
宮本浩次というひとは夜明けみたいな存在だな、と思った。
勝手に明けていく朝焼けの空のようで
望んでいようといまいと「夜明け」を連れてきて
「一緒にいこうぜベイベー」と歌う。
何度でも勝手に明けて、何度でも「いこう」と言ってくれる。

彼はどれだけの夜を乗り越えてきたんだろう。
その度に見てきた夜明けの美しさをきっと知っているんだろう。
その景色を見せたいという。
ただただ純粋に見てくれよ、という。
美しいものにあふれた世界へ…「ようこそこの町へ」と誘う。

ああ、何て嘘のない歌を歌うひとなんだ。彼から発せられるすべてのものには、宮本浩次の血が通っていてどこまでも純粋で美しい。
血と体温の通った歌声。
それは深いところに当たり前にするりと入ってきてしまった。

大切なものを失った日から、私の心には大きな穴が開いてしまった。それは二度と塞がることのないもの。どんなに幸せなことがあっても、そこから零れ落ちていってすぐに空っぽになってしまう。
むなしい、苦しい、さみしい。
頭の片隅に居座り続ける最悪な選択肢。
「明日、ふっと消えられたらいいのに。」

止まない雨はない、とか
明けない夜はない、とか
神様は乗り越えられない試練は与えない、とか。
きれいな励ましの言葉は、届かなくなってしまっていた。
あなたは雨上がりや夜明けを経験できたんでしょう?抜け出せたんでしょう?私は今も闇の中にいるのに、これからもずっとここにいるのに、無責任なことを言わないでほしい。
誰かのくれるやさしさを、受け取れなくなっていた。

でもこの日私は生まれ変わった。
「俺が見た夜明けの空はとてもきれいだったんだぜ」と教えてくれて
彼がそう言うなら、私もその景色が見てみたいな、と素直に思えた。
「悲しみの向こう」に「夜明けはやってくる」ことも教えてくれて
彼がそう言うなら、私もその「悲しみの向こう」に行ってみたいと思った。
世界に美しいものがあることも、それを誰かに見せたいと思うのも
きっと彼にとっては当たり前のこと。

誰かにそんな風にやさしくできるのって愛じゃん。
「頑張れ」って言うより、全然愛じゃん。

ああそうか、そういうことだったんだ。
「愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日」
宮本浩次の歌で愛を知って、まだまだ生きていくんだなって実感して
前向きでもなく後ろ向きでもなく、ただ「いこう」と思えた。

自分でも「何でこの曲で???」と思うような曲でもボロボロ泣いてた。
多分、それはミヤジからのメッセ―ジを受け取ることができたから。
「愛が何なのかわかった」からなんだと思う。
彼の優しさに触れて、自分を守るために身に着けた意固地の殻はどこかに消えていった。

「愛してるぜ、この場所も、君も」
ミヤジのいう「この場所」は単に場所ってことだけじゃなくて、今いる立ち位置とか、みんなと一緒にいられるステージとか、長い人生の中の「今」とか色んな含みがあって、その時の自分に一番しっくりくる聞こえ方をするのが凄いなって思う。

28曲目「ハレルヤ」
「素晴らしい素晴らしい場面に出会えますように!」
曲前の彼らしい応援のメッセージだけでグっときてたのに、スクリーンにMVと同じようにミヤジの直筆の歌詞が出て、文字からもあふれるミヤジ感にすっかりやられてしまった。

「信じてみようぜ自分」
「行くしかないならtoday」
「強くもなく弱くもなくまんま行け」

もともと大好きな歌詞だったけど、このときはこれがこの上なく響いて、泣いて泣いて…立っているのがやっとだった。
今まで拒絶してしまっていたポジティブな言葉たちは、彼という存在を通すことで驚くほどすんなりと深いところに染み込んでいった。

ふと思う。
1曲目の暗がりとオーラスの客電がついた明るい会場の対比、何だか人生みたいじゃない?暗いときも明るいときもあるけど、それが人生ってやつじゃない?なんて。(宮本さんの言葉を借りるなら「生きていると上り下りのエブリデイ」ですね。)

本能のままに全身で歌う姿は理由なしにかっこよくて、
歌の世界に入り込んでいる姿は心配になるほど狂気的で
目についたエビバデに対してド正面から歌う姿は純粋で
五人衆が好きすぎて笑顔で抱き合う姿は子供みたいで。
少年の心を持ったまま大人になった、ではなく
元々の魂がピュアなんだろうなと思う。

宮本浩次のピュアな魂に触れて、純粋なやさしさに触れて、
心も視界も晴れた気がした。
なんて幸せな経験だ。
私の人生、投げ出すには早すぎるじゃないか。

心に開いた穴は一生このまま。
それでも生きていけると思えた。生きていかなきゃと思った。
私の中の悲しみを、見て見ぬふりなんてしない。
それがきっと「まんまいけ」ということだから。
バカらしくも愛しきこの世界を、私はいきてゆく。

もっとこの人と色んな景色が見たいな。
この人の歌が見せてくれる世界をもっと見てみたい。
そのつながりだって「愛」じゃないかと思うんだ。

「ああ涙ぢゃあなく勇気ともにあれ」「笑いとあれ幸あれ」
なんて優しい祈りだろう。
どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。
宮本さんだけじゃない。
私の周りにもたくさん優しいひとがいた、沢山やさしくしてくれた。
頑なになって、受け入れられなくなってただけ、気付けなかっただけ。
彼のやさしさを受け取れた自分をもっと大切にしたい。

「なんて優しいひとたちなんだエビバデ!」
この「エビバデ」に私も含まれてるんだとしたら、嬉しいな。
そしていつか、当たり前に優しくいられる自分になれたらいい。

コンサートが終わって外に出たら、ちょっとだけ欠けた月が出ていた。
空がきれいだな、と思った。
こんな風に思えたのはいつぶりだろう。
世界が色を取り戻したような気がした。

というわけで2日間かけて宮本浩次沼にどっぷり脳天までつかりました。
人生最速の陥落っぷりでした。
新参者ですがゆっくりじっくり味わっていきます。
リアルタイムで味わえなかった寂しさはありますが(タイムスリップしたい)今は「もっと早く出会いたかった!」という気持ちよりも、「今このタイミングで出会えた喜び」が勝ってるから、自分でも驚くほど満たされてて超幸せですけども!?
受け取ったものがあまりに大きすぎて、大げさでなく人生変えられちゃって、ちょっと神格化しているフシもありますが…それはきっと時間が解決してくれるはず。

あー!早く次の現場行きてぇな!
生きてることを実感しに行きたい!
あそこには 豊かな何かが溢れてるからな!

以下、オタクの心の声

それにしてもフォトブックのオフショットミヤジさぁ…。
何なのあれ可愛すぎじゃないですか…帽子とでっかいトランク…かわよ…こんな可愛い50代がこの世に存在しているとか…ありがとう世界。
ライブ中はあんな凶暴な獣みたいなのにさぁ…狂気と色気のやさしさと可愛らしさ…え、それ一人の人間が抱えきれるもんなの?
岡田さんだから切り取れる表情というのもあるんでしょうか。
リラックスミヤジの可愛さったらないよ…きゃわ次最高…。

ステージ上でのあのギャップも何なんですか…そんなんもう…無理だよ…(頭を抱える絵文字)
シャツにネクタイにジャケットでキメてきたと思ったら感情のままにシャツのボタンを引きちぎるし頭バッサバサにかき乱すし何なのこの生き物はwww理性どこいったのwwwでもそこが好きwww

「rain-愛だけを信じてー」
主語は「わたし」だけど、これってエビバデ目線で歌ってるよなって。
信じてくれてるというか、そんな大げさなことでもなく
「エビバデよくわからないけど大丈夫だぜ」(下線部とても大事)と言われているようで、演出もあいまってまあ…号泣ですよね。
せっかく濡れないようなレイアウトになってるのに、わざわざ雨の下に立って歌うミヤジが可愛くて美しくて…すき…(でも滑らないかちょっと冷や冷やしたw)
わざわざ雨に当たりにいくところも、水たまりを全力で踏みにいくところも、ずぶ濡れになった体を雑に拭く姿もどこまでもミヤジでもう最高。

この曲、小林Pとの化学反応があったからこそのキラキラ感なんだと思うんですよね。雨の中なのに冷たい、暗い、寂しいだけじゃなくて、どこか希望が見える、濡れた雫がキラキラ光って見える感じ…
それって宮本浩次そのものなのでは…???


「P.S.I love you」
ハレルヤが一番泣くかなって思ってたけど、今一番響いてるのはP.S.I love youです。宮本浩次のすべてが詰まっているし、彼のメッセージは「愛してる」に集約されている。曲の構成もすごく良い(歌始まりの曲、いいよね!)
あとこれ…伝わるかな。
「アイラビュー」じゃなくて「アイラブユウ」って発音しているのが凄く嬉しくて。「you」に想いがこもってるからじゃないかって勝手に思ってる。
彼の「お前」「あなた」「君」「you」「わたし」「俺」はすべて誰かの、あの場にいた一人ひとりの誰かのことで、宮本浩次自身のことでもあって。誰かの物語でありながら、自分のことを歌ってくれている、自分のために歌ってくれているって思えて、ものすごく響くワードなんですよね。

私への大きなお土産になった「愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日」このフレーズ、一生心の中に飾っておきたい。
額装して玄関に飾るから、誰か書にしたためてくれませんか?

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