作曲を続けるには好きを取り戻さないといけない
作曲に限らず、創作しているとふと「自分は何をしてるんだろう」「何のためにこんなことやってるんだろう」って気持ちになる時が多くの人にはあるんじゃないかなと思います。それでも今は辞めてないんだけど、これからも続けるために必要だなぁと思うことについて書きます。
創作物を知り合いに見せること
創作したものを人に見せるのって(曲なら、作った曲を人に聞いてもらうこと)まだわたしは超絶恥ずかしい。今のスクールでは講師と受講生全員の前で曲を聞かれて、講評されて、時にはボロカスに言われるので、だんだん人に曲を聞かせるのは慣れてはきた。それでも今の完成された商業音楽を聞き慣れている人たちに、自分の曲を堂々と差し出すには気が引ける。そんな時に心の拠り所になるのは「絶対この曲はカッコいい、自分で自分の曲が好きだ」と思う信念。人が何と言おうと、この曲は良いのである、という強い心。
コンペのために曲を作るということ
わたしは本物のコンペに曲を出したことはないが、コンペは以下のような広ーーーい的に何とかボールを投げに行く必要がある
今の流行りを捉えている(古臭いと思われたら終わり)
今回の曲の具体的な使用シーンの要望を満たす(タイアップとか、カップリングとか、踊れるとか、バラードとか)
アーティストが目指す今後のアーティスト像とフィットしている
ファンが求めるアーティスト像と乖離しない
でもこれまでの曲とは違った新しさ
JPOPは海外の曲とは違って、基本的にはAメロ〜Bメロ〜サビという構成があり、JPOPらしさみたいな概念がある。メロディもこういうのってJPOPらしいよね、というものがある気がしている。(まぁ歴史的には民謡とか歌謡曲的な、歌を重視する文化に沿っているのかなと思う)
コンペ頑張ることで私に起こったこと
的に当たるように曲を作ろうと思うと、自分がそんなに好きではないような曲を聞き、メロディ感も身体に入れて作っていくことがある。色々な曲を聴くこと自体は非常に勉強になっていて、実はこの曲はこんなにカッコ良いのか!?と感嘆することも多いので、そこに関してはかなり知識も広がった感覚はある。ただメロディや曲の雰囲気を寄せにいこう、寄せにいこうと頑張ると、何が起きるか。
一応それっぽいメロディとコードができるが、「これって自分は信念をもってこの曲は良い!と言えるんだっけ?」という何の意思もない、誰のためなんだかわからない曲が爆誕するのだ。
コンペの曲はあくまで商業音楽であり、個人の表現やアーティスト活動とは違う。それはわかっていつつも、それだけに取り組んでいると、自分は何の曲が好きで、どんなものを作りたいんだっけ?がわからなくなってくる。曲で感動することも少なくなってしまったような気がする。
しまいには、寄せにいこうと頑張ったメロディーに近しいメロディー感しか思い浮かばなくなり、もっと良いメロディーを作れていた(自分の幻想かもだけど…)自分はどこへ!?!?全く違うこういうジャンルが好きだったのに、歌謡曲っぽくしかならない!という感じになってしまうのだ。
これはあくまで個人所感だけど、こんな風になってしまったとしても寄せにいったメロディのレベルが高いならまだしも、頑張って寄せにいっているからか、何だかクオリティもイマイチな時が多い。そうなるともう地獄。
好きを取り戻す必要性を感じた瞬間
そんなことに陥っているときに、一つ良いなぁと思う曲を見つけて、久々に感動してじっくり聞いてみた。クレジットも確認したりして。そしたら某有名アイドルの曲だったのだが、20代の海外でも活躍している日本のソングライター兼ダンサーの方が作っていることがわかった。
その時にこう思った。
今の曲の作り方をしてたら、一生こんな感じの曲は作れない。歌詞の語呂の感じも、歌い回しも…このままじゃヤバい。ちゃんと自分が好きで、こういうものが作りたい!をインプットしつつ、アウトプットして作らないと。ちゃんと自分の好きを取り戻さないと、継続もできなければクオリティも全然追いつかない。
的の中にどう自分の好きをちゃんと盛り込んで、自分のテンションを上げながら、クオリティも上げていくか。両立はまだうまくできる気がしないから、今は自分の好きを優先して、的から外れててもやり切る、なんだろうなぁと。
最終的には、その好きと、こだわりと、アウトプットが、その人らしさになるのだと。