物価高と叫ばれる中、支えてきてくれたんじゃないのかと思えるもの
「残りの所持金が、あと150円」となってしまい、このお金で何を買おうかと思いを巡らすと、よく行くコンビニ型スーパーで売られている普段からよく買う比較的安く買える商品達が頭に浮かび、甘いものかそれとも塩っけのあるものを買おうかと迷い、どっちも買えたらなぁと溜息を吐き、このお金を使い果たす果たしてしまった後のことも頭にチラついて、使い果たすといった選択をすることにも、踏ん切りが付かない…
迷い悩み、願望が芽生え、どうにもならないことに落胆もし、決断出来ずに、惨めな気持ちにもさせられ、「どうでもいい」「どうにでもなれ」と開き直りもし、短絡的な思考に身を寄せていこうともする
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結局、128円で買えるカップラーメンを購入した。金銭的な余裕がないときによく購入し、毎日のようにこのカップラーメンを食していたこともある。
美味い、冬の寒さも手伝い、あたたかさが染みてきて、食べ終わり間際、それが寂しく感じられてきたりもし「これが貧困かぁ」などとチラりと思えてきてしまうけれど…
このカップラーメンを購入し、食したのは、もう1000回を超えているんじゃないだろうか。振り返り、物価高の中でも比較的安く買えるこのカップラーメン、そんな自分を影ながら支えてきてくれていたんじゃないかとも思えてくる