
Google Mapを手放して、東京を歩いたら
東京がずっと好きになれなかった。
人が多すぎるし、狭いし、なんでも高いし、どこに行っても並ぶ。
田舎が好きな理由と、都会が好きになれない理由を挙げればキリがないのだけれど。
東京に引っ越してきてから3か月。
そんな私でも東京の好きなところが少しずつ増えてきた。
住めば都というけれど。
昔から引っ越しが多かったからか、訪れた土地で楽しみを見つける才能が、ほかの人より少しだけ、あると思う。

個人書店
東京の好きなところの1つが、個人書店の多さだ。
街を散歩していると、小さな書店、いわば独立系書店というものをよく見かける。
私は、本屋を見つけると吸い込まれていく習性がある。
年々、本屋の閉店が相次いでいることが、本当に本当に、悲しい。
わざわざ遠くまで足を運ばないと本屋に行けない今だからこそ、散歩中に偶然、個人書店に出会える東京が好きだ。

大手チェーンの書店では、入口に最近売れている本たちが並び、
本棚は著者や出版社ごとにきれいに整列されている。
目的の本を探すときには、ありがたいのだが。
それでも。
店主の好みや書店のカラーが押し出された、個人書店が私はすきだ。
そこに行かなければ出会えなかった本に、たくさん出会えるから。
必然的にお店の隅々を見ている自分がいるし、
気になって手に取った本を連れて帰らないと、もう二度と出会えないような気がしてくる。
そんな、本との一期一会の出会いをもたらしてくれる本屋が大好きだ。

偶然の出会い
もしかしたら最近の私は、「偶然性」を求めていたのかもしれない。
NetflixでもYouTubeでも、パーソナライズされたおすすめが多すぎる。
自分の興味に関連したものが、すぐに表示されることはありがたいのだが、なんだか面白みに欠ける。
自分の世界、興味・関心がいつまでも広がることがない。
なんだか似通ったものばかり表示された画面を見て、「今日も、見たいものないな~」となっている。
ただ生きているだけで勝手にこちらに迫ってくるものより、人目を忍んで世間を掻き分け突き進まないと辿り着けないものに触れていたい。
「ほら、これが見たいんでしょ?」と画面から言われると、
そんな風に本が並んでいると、
なんだか味気なく感じる。
「自分で見つけた!」
そんな実感が欲しいのかもしれない。
Google Map
無くてはならない3つのアプリを挙げるとしたら、
真っ先に名前が出てくる。
そんな私の生活に切って離せない、Google Map様。

どこかに行くときも、最短ルートから、乗り換え方法まで、
全てをエスコートしてくれる神様。
おすすめのお店も、人々の口コミを添えて表示してくれる。
ほんとうにできたアプリだ。。
私は二回道を曲がったら、どこにいるか分からなくなるような方向音痴なので、Google Mapは手放せない。
そして、どこに行ったときにも、行くお店に迷わないように、
行きたいお店にピンを立てて、保存している。
気になるお店探しがもはや、私の趣味だ。

でも最近、Google Mapに頼りすぎるのをやめてみた。
行先にたどり着くことに躍起になって、
途中で見つけた魅力的なお店をスルーしている気がしたから。
それどころか、歩きながらmapを見て、途中にあるお店の存在に気付いていないときもきっとある。
なんだかそれってもったいないな、って。
「おいしい」とたくさんの人から保証されたお店に、最短距離で、行く。
それでいいのかな、って。
たまには道に迷ってみようかな、
迷ったところに、隠れたカフェがあったりするかもな、
なんて考えて。
散歩中に、思い切って、Google Mapを手放してみた。
そしたら見えてきた。
なんだか変わった看板や、
呼吸するだけでビタミンが入ってきそうな空の青さとか、
今の季節はこんな花が咲くんだ、とか、
こんなところにパン屋さんがあったんだ!とか。
今まで見えていなかったものが、どんどん見えてきた。

恐れていたもの
日常を彩るということに気づいた、偶然性。
それって、これまで私が恐れていたものかもしれない。
偶然性って、不確実だから。
正解が分からないことを選択するのは、いつだって怖かったし、正解からズレないように生きることに必死だった。
大学院を辞めた時も、
会社を辞めた時も。
これから先の不確実な将来が怖くてたまらなかった。
でも、その失敗が無かったら。
その回り道が無かったら。
そこで迷子にならなかったら。
私は今、東京で暮らしていないかもしれない。
こうしてnoteを書いていないかもしれない。
今の私は、結構幸せだ。
当初予定していたお店には、辿り着いていないかもしれないけれど。
今の自分の気分にぴったりなお店が見つかった。
それなら、そのお店に入ってみてもいいんじゃないかな。
人生は、間違えずに、早く、最短で歩むことが大切なわけではないのかもしれない。
たくさん回り道をしても、初めて出会うお店を見つけて、見たことない花を見つけて、楽しむものなのかもしれない。
もしかして幸せは
唯一つ掴み取るようなものじゃなくて
幾つでも何度でも気がつくものなんじゃないかな
今日も、本と音楽に生かされた。
暖かくなってきて、もうすぐフェスシーズンが始まる。
愛すべきサブカルチャーたちが溢れる東京が、大好きだ。
こんな遠回りも、案外悪くないね。

いいなと思ったら応援しよう!
