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7月の日記-明るくってさみしい

7.23
昼頃まで起きられない。夏に完全に敗北して、「自律神経の乱れ」というやつを実感している。在宅勤務を朦朧となりながらして、在宅だけではできないことがあるので19時ごろに仕事に出る。0時前くらいに帰宅。深夜、人と恋についての電話をする。モーツァルトみたいに寂しいな、アルバン・ベルク四重奏団きちゃうよ、とか調子に乗っていう。相手は何もわかっていないのに自分だけで楽しんでしまうところがあり、そういう自分が本当に嫌いだけれど、その嫌いな感じすら許せてしまうくらいの深夜まで電話をした。眠りにつくまでアルバン・ベルク四重奏団のモーツァルトを聴く。明るくってさみしい。

7.24
送別会だった。好きな上司がいなくなってしまう。でもなんか、ま、そんなもんよな、って感じだった、もうここまできたら。なんだろう、仕事で一緒に働いている人に対して最終的にはあまり思い入れみたいなものがないのかもしれない。まあ、また会おうと思えば会えるし。いや、会おうと思わないから多分結構ほんとの別れなんだけれど。でもそういうのってあるや、生きていてくれればとりあえずまあ。寂しいけどまあ、そういうもんよな、ってやつ。でも別れに随分慣れてしまったなあ、と思う。二次会のお店で飲んだワインが美味しかった。美味しいワインを飲む二次会は悪くない。

7.25
川上未映子「夏物語」を読み終わる。自分にとってのバイブル、みたいに言っている人とこれまで複数であってきた本なのだけれど、これは、そう、なるよな、と思った。物語はなんていうんだろう、ある意味でもっとも強い、現実を穿つ可能性だ(と信じている)。大人は変わることができない。それは真理として確かにあって、それほどまでに、幼い頃の生育環境であったりであってきたものたちの影響というのは大きい。けれど、例えば物語は、フィクションという機構を用いてその「どうしようもない人間」をこじ開け、変容させる(させてしまう)力があると確かめるように思った。観覧車のシーンがあまりにも美しくて読みながら泣いた。

7.26
「響けユーフォニアム!」を今頃みていて、大層毎話感動している。アニメーションって「動き」じゃないですか。言葉ではなく、「動き」で伝わってくるものの多さにときめきを隠せない。
言葉が好きだ、それなのに、というか、もしかしたらだからこそ、言葉とは違う角度から「ほんとう」に手を伸ばす音楽や映像に心から感動して、すぐに涙を流してしまう。

7.27
駅で漫画を買って読もうかな、くらいの気持ちで家を出たのだけれど、急速に東京まで行ってしまいたくなって特急に飛び乗ってしまう。セリザワさんが会ってくれることになって新宿のピースで話をした。ふたりで話すのは思えば初めてだったけれど話題が尽きなかった。わたしは性格があまりよくないところがあって、そういう面を見せてもケケケと一緒に笑ってくれるのが嬉しい。いっぱい喋ってくれるのも、うれしかった。
そのあとは首藤くんと吉祥寺で話をした。吉祥寺の駅前のルノワールは大学時代からずっと変わってなくって取り残されているような感じ。煙草もすえるし。首藤くんはいろいろなことを訊いてくれるので沢山喋った。いくつか整理できたことがあった(と思ったけれど多分それはその時整理できたと思っただけで、ただの移ろいゆく自分の一瞬を捕まえようとした仮説でしかない)。駅のマクドナルドで夜遅くまで作業をして、実家に帰って、寝た。最近よく眠れてなくって、実家でも、案の定よく眠れなかった。

7.28
甲府に帰ったら家にでかい椅子が届ている。ゲーミングチェアというやつ。これで家で作業する癖みたいなものがついたら最高だな、と思って買ってみた。家で作業する癖がついたら宅録がまたできるようになるかもしれない。宅録ができるようになったら音楽がもっと楽しくなるかもしれない。音楽がもっと楽しくなったら映像も言葉にもいい影響があるだろう。
組み上がった椅子が思ったよりでかくって、座ってみて、思わず「余は満足じゃ」と呟く。2万と引き換えに得た明るい未来の予感。

7.29
編曲をすることになって本当に早速宅録設備を整える。段ボールにしまっていたモジュラーシンセやシールドやインターフェースを取り出す。大学生の頃にバイト代などを注ぎ込んでコツコツ集めたものたち。あの頃は自分一人で音楽がしたかったからだけれど、今は一人ではなくって、誰かと一緒にやりたいから、って気持ちがあって、そういう人たちが周りにいるようになって、だからなんか、ちょっと続いていく気がする。

7.30
仕事で長い間車に乗る。助手席で靴を脱いで前に足を乗っけて体育座りのような形になる。雨がたくさん降っていて、首都高の過ぎゆく景色をぼんやりと眺める。本当はもう一箇所行く予定だったけれど雨が強くて断念して帰った。

7.31
ライブの準備。曲を決めたりする。上手くいったらいいなあ、と思う。なんというか、わたしはすぐに感動してしまうから、自分が奏でている音楽に情動が乗ってしまって、歌声が感情的になってしまう。前はそれを曖昧に許していたけれど、それを今回はしっかりと辞めたいと思った。自分のために歌うのはもう前回で終わり。あなたがいるから歌う、それをはっきりしたい。と思う。

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